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後日談 『おしおきー86』( 最終話 )
「ようやくここまでこぎつけたな」
店の前に置かれた、どっしりとした一枚板の看板を見て、暁はちょっと眩しそうに目を細めた。
秋音と雅紀と俺。一緒に店をやろうと決意して、動き始めてから1年。
店のコンセプトを練り、珈琲のことや経営を勉強して、田澤や桐島親子の助けも借りながら、こつこつと作り上げてきた。
店全体のデザインは、秋音が担当した。内装は雅紀。俺は珈琲豆の仕入れ先や焙煎の仕方、喫茶スペースで提供するものなど、実際の内容を試行錯誤の上で決めた。
田澤の事務所の仕事をこなしながらの店作りは、忙しかったが、とても充実した楽しい毎日でもあった。
自家焙煎した豆は、既に何軒か契約を結んだ喫茶店やカフェに卸す以外に、一般のお客にもネットで通販する形態にした。店内でも雅紀が作る焼き菓子と一緒に物販ブースで売り、喫茶スペースでは、淹れたての珈琲と手作りの菓子を提供する。
建物のデザインは、秋音がずっと温めてきた原案を元に、2ヵ月かけて雅紀も一緒に図面をひき、暁が以前仕事で知り合った建築会社の社長に依頼した。
藤堂社長に電話で話したら、図面を見せて欲しいと言うので送ると、「good job 君を失ったのは、やはり我が社には大きな痛手だったな。だが心からの祝福を贈るよ。そのうち私も可愛い恋人を連れて、お邪魔させてもらうからね」という、実に彼らしい返事をもらった。
内装やインテリアなどは、雅紀がかなり悩みながらも大体の案を決め、予算の範囲で出来る限りこだわった内容にした。
そうしてようやく、今日この日を迎えたのだ。
頼んでおいた店の看板が設置され、明日からいよいよプレオープンだ。
ショップのオーナーたちへの豆の卸しや個人客への通販は、3ヵ月前からスタートしている。まだ細々とではあるが、少しずつ手を広げていく予定だ。
豆の焙煎と珈琲の淹れ方、提供するスイーツなどの試作。建物が出来るまではマンションで練習と研究を重ね、建物が出来てからは本格的な機材を設置して準備していった。
器や資材、食材などの細々な手配。2人だけでは手が回らない部分は、もじ丸のおばさんや事務所の仲間達が、争うようにして楽しそうにお手伝いしてくれた。
「暁さんっ。コーヒー淹れたから、少し休憩しましょう」
店のドアが開き、雅紀が可愛い笑顔をのぞかせた。
「お、サンキューな。……あ、そだ。雅紀、ちょっとこっちおいで」
「ん? なあに?」
白いシャツに黒のロングのカフェエプロンをつけた雅紀。細身だからものすごく似合ってて様になっている。先日30才の誕生日を迎えたというのに、相変わらずの童顔で、こういう格好をすると、いまだに20歳そこそこにしか見えない。
……開店したら、若い女の子のファンが増えそうだな……。
暁はその様子を想像して、むふむふしながら、雅紀を手招きする。
その顔を見て、雅紀はちょっと警戒した表情になり
「む……。暁さん、何か邪なこと、考えてるでしょ。ここ、外です。人が見てるから、ちゅうとかダメです」
「ちげーよ。おいこら。何でんな顔してんだよ。いいから来いって」
雅紀はまだ微妙な顔のまま、恐る恐る暁に歩み寄った。
「そうじゃなくてさ、これ。やっぱいいよなぁ。おまえの考えた店の名前がさ」
暁が指指す店の看板に、雅紀はふにゃんと幸せそうに微笑んだ。
「ふふ。俺が子供の頃に大好きだった絵本がね、これを集めて幸せになる、男の子のお話だったんです。俺、満月を見るといつも思ってた。男の子が集め終わって幸せになれたんだ~って。だからね、お店に来てくれた人たちが、ここで幸せな時間過ごして、笑顔になってくれたらいいなって、この名前にしたんです」
「そっか……。そうだな。俺たちの幸せをさ、来る度にお客さんにお裾分け出来るような……そんな店にしたいな」
暁は雅紀の肩を抱き寄せ、綺麗に晴れた空を見上げた。雲ひとつなく澄んだ青空には、白くてまあるい月が、ぽっかりと浮かんでいる。
暁はもう1度、店の前の看板に目を向けた。
看板には、もじ丸のおじさんが書いてくれた、丸くて優しい文字。
『 つきのかけら 』
後日談 ー完ー
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