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特別番外編『ちよこれいと』1

自家焙煎珈琲店『つきのかけら』をオープンしてから1年近く経った。 立地が特別にいい場所というわけじゃなかったから、開店当初は来客もそれほどはなく、売り上げの殆どは、珈琲豆をプロ用に焙煎して納品する分とネット通販の分だけだった。店舗での飲食は、ほぼ趣味に近いような状態で、暁と秋音は交替で表に出て雅紀といちゃこらしながら、店で出すスイーツメニューの試作品を作ったり、豆の研究や仕入れ先を探したりして、一日の大半を店で過ごしていた。 半年を過ぎた頃から、口コミで来店する客が増え始め、すぐ近くに大型のショッピングモールが出来てからは、買い物帰りの客も立ち寄ってくれるようになった。 メルヘンチックな店の外観や扱っているメニューのせいか、お客さんの殆どは女性だ。暁と雅紀は全然タイプの違うイケメンだったから、足繁く通ってくれる常連の女性客は、2人のどちらかがお目当ての様子で、特に接客がメインの雅紀は、若い子から年配の方まで、幅広い年齢層にウケが良かった。 最初は、お客さんがなかなか来てくれないと気を揉んでいた雅紀も、土日は2人では回せない程の来客に、ほっとした様子だった。そんな雅紀の無邪気に喜ぶ姿を、暁も微笑ましく見守っていたのだが……。 徐々に増えていく雅紀目当ての女性客の熱の上げように、暁は最近ちょっと心配になってきていた。 雅紀は、自分が女性にモテるとは夢にも思っていない。まったくの無自覚ちゃんだ。そもそも、彼は恋愛対象が同性限定だから、まさか女性が自分に恋したりするわけがないと、何故か思い込んでいたりする。 ……まあ、この分野の雅紀の鈍感さは割と筋金入りで、相手が同性であっても、元同僚や藤堂や古島相手にも存分に発揮してきたのだが……。 でも、傍で見ている暁は、常連客の何人かが、本気で雅紀に熱をあげていると気づいていた。 無自覚で無邪気で、でも一生懸命な雅紀と、恋愛本気モードの女性客のちぐはぐなやり取りを、黙って見守りつつ、内心ちょっとハラハラしていた。 そして迎えた初めてのバレンタインデーのイベント。 この時期、スイーツを扱う店ならば、1ヶ月近く前からバレンタインイベントと称して、特別メニューを提供している。 最近は、本命チョコや義理チョコを男子に贈るよりも、自分チョコや友チョコを買う女子が多くなっているらしい。店で買うだけでなく、女性同士でチョコレート系のスイーツを食べたりするのも人気らしい。そういう情報を事前にリサーチして、暁も一応イベントに合わせて、チョコレートを使ったメニューを期間限定で増やしてみた。 2週間ほど前から出し始めたバレンタイン特別メニューのショコラデザートパレットは、常連客にも人気は上々で、2月14日が近づくにつれ来客が増えて、ケーキを焼くのが追いつかないほどだった。 暁はほとんど厨房にこもりっきりで、接客は雅紀と応援に来てくれた古島たちに任せていた。 そうして迎えたバレンタインデー当日。開店から閉店まで慌ただしく過ぎていって、ようやく店を閉めた後、手伝ってくれた事務所の連中が帰ってから、何故か突然、暁が拗ねた。

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