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第3話

3.  それは突然だった。突然、地面に飲まれた。声をあげる間もなく、意識ごと沈み、目が覚めたのは見知らぬ場所だった。人がたくさんいた。けれど、おおよそ日本ではあり得ない髪の色と瞳の色をしていて、体つきは標準的な大人より更に一回り大きかった。幸いにも言葉は理解できたけれど、状況は理解できなくて、道をうろうろしていたところを、奴隷商に捕まった。  毛色の変わった奴隷ということで何度も売りに出されたけど、力も弱く見た目も異様な僕はなかなか売れなかった。食事もまともにもらえず、時には店主の苛立ちの的になることもあった。これまで当たり前にあったものが全てなくなった。お腹が空いたからといってコンビニがあるわけでも、お金があるわけでもない。お風呂もない。友達もいない。毎日が怖くて不安だった。  けれど人間逞しいものでやがては慣れた。相変わらず人間扱いはされなかったけど、僕はもうそういう存在なんだと思うことでどうでもよくなった。  僕はペットで動物で飼われていて売られていて、言葉も感情も求められていない。  王様が僕を買い上げてからも同じだった。王様が僕に求めるのは性的な行為で、やっぱり人間としての僕ではなかった。 「あのビョウはもう殺した」  その日、王様は何故だか怒っていた。それはどうやら僕が原因のようで、けれど心当たりのない僕はただ謝るしかできなかった。  そんな僕に王様はそう冷たく言い放った。  頭が真っ白になった。   「なん、で。僕、何を、しましたか」 「元々、俺の買ったものだ。どうしようと勝手だろう」 「本当に、」 「ああ、鎖で縛って動けないところを刺し殺した」  僕が、欲しいなんて言ったから。僕が、飼い主なんかになったから。自分の身も守れないくせに、彼を守っている気でいたから。  何も、守れてなんかいなかったのに。  元から僕の手の中には何もなかったのに。  その時、こみ上げてくるものがあった。それは熱くて重くて、涙となって溢れ出てきた。 「嫌、だ。もう嫌だ。もうこんなの嫌だ」  王様はそんな僕の姿を見て、にんまりと笑んだ。「それでいい」と、顎を掴み、言った。  ビョウは生きていた。けれど、しゃべらなくなってしまった。檻の鍵を解いても中から出ようとしない。餌は食べてくれるけど、僕の方を見てくれなくなった。ビョウの頭を撫でる。唸られこそしないけど、すり寄ってもくれない。  夢だったのかな。僕の都合のいい夢。頭がおかしくなった僕の見た妄想。 「お前は、俺を飼うべきじゃなかったな」  ビョウは最後にそう言っていた。飼い主として不甲斐ない僕を、嫌いになったのだろうか。夢でも、現実でも、もうビョウは僕と話をしてくれる気はないようだ。 「ごめん、ごめんね」  それでも、傍を離れないでいてくれることがこんなにも嬉しい。 ***    水音で目を覚ました。王様との行為の後、気を失ってしまったらしい。いつも通り、世話係の男が湯船まで連れてきてくれたのだろう。動こうとして違和感に気がついた。両手がひとくくりにされ壁に繋がれている。下半身は湯船に浸かっているが上半身は外に出ており、外気に寒さを覚えた。 「目が覚めたか」 「ひゃ」  男はすぐ背後にいた。僕の後ろの穴に指を入れ、清めてくれていたようだ。けれどそれが妙にしつこい。こんなときは大抵その先があるから嫌だ。疲れているからやめてほしい。そんなことを言える立場でもないのだけれど。  ただ、湯の中で揺らされながら、コトが終わるのを待つ。いつものことだ。帰ったら、ビョウを檻から出してあげよう。今日は出てきてくれるといいな。散歩にでも行く気になってくれたらいい。王様にまた頼んでみよう。もう僕なんか嫌かもしれないけど、できるだけ不自由はできるだけさせたくない。  目を閉じ、時間が過ぎ去るのを待つ。  そのとき、突然戸の開く音がした。まぶたを上げる。そこには表情のない王様が立っていた。じっとこちらを見下ろしている。慌てたように動いたのは世話係の男で、大きく水が跳ね上がった。  王様が腰に剣を携えていたことに、抜かれるまで気がつかなかった。もっと言えば、それが男に向かって振り下ろされるまで何が起こっているのかわからなかった。  透明だった湯が赤く濁っていく。生きているのか死んでいるのか、男の力の抜けた身体がぷかりと浮かぶ。  目を反らさなければいけない。そう頭の中で警鐘が鳴り響く。男のお腹が裂かれ、そこから濃い赤色がどくどくと溢れ出ている。意識が遠のいていく。それを王様は許さなかった。縄を引き上げ、僕の身体を床に転がすと、また剣を構えた。その目に、僕への感情は何も浮かんでいなかった。不思議とほっと息が漏れた。飽きられたんだ。僕はついに処分されるんだ。  王様の握った剣が僕に向かって振り下ろされる様が、奇妙にもゆっくり見えた。目を閉じる。暗くなった視界に、金の瞳が浮かぶ。  ビョウ、これまでありがとう。  ――痛みはいつまで経っても襲ってはこなかった。目を開ける。王様と黒い獣がもみ合っていた。ビョウだ。  檻の鍵を開けた記憶がない。閉め忘れた? ううん、今はそんなことどうでもいい。拘束されていて自由にならない両手がもどかしい。 「ビョウ! 下がって! ビョウ!」  ちらりと僕の方を振り返りはしたものの、すぐにまたビョウは王様に対峙をした。僕を、守ってくれようとしているようだった。  こんなことをしては、ビョウは殺されてしまう。きっと、許してなんかもらえない。どうしよう、どうしよう。   「ビョウ……」  こんなときなのに、命を賭して、僕を守ろうとする姿が、身震いする程嬉しい。  涙腺が緩む。よかった。嫌われたわけじゃなかったんだ。よかった。  ビョウは体勢を低く保ち、うなり声をあげている。僕は肘と膝を使って、床を這った。ビョウの足下へ頬を寄せる。 「ごめんね、ありがとう」 「――何あきらめてるんだ、馬鹿野郎」  喋った。  顔を上げる。ビョウの瞳はギラギラを前を見ていた。にぃと口角が上がる。 「俺様がこんな場所で終わるわけがない」

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