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第2話

  2.  俺様がこんな場所で終わるわけがない。  そうは思っていたが、いい加減、心が折れそうだった。まずい飯、当然だが、獣扱いをされ、時には身体を打たれ、毎日が地獄だった。  そんな売られていた俺を買ったのは、人間の雄だった。その人間の雄は、小柄で痩せていて、人間のくせに人間から虐げられているようだった。俺と同じくらいの背丈で、酷く弱々しい。けれど、その細い腕で俺を守ろうとしてくれていた。  檻の中から見る人間は、いつだって苦しそうに顔をしかめていた。閉じた目からは涙が滲み出ていて、俺はそれを舐めてやりたいと思っていた。俺だったら、そんな顔をさせないのに、俺だったら、もっと優しくしてするのに。  その日も、『王様』に虐められた人間は、寝台の上で力なく俯せになっていた。それでも、手が檻の方に伸ばされる。鍵を開けようとしてくれているようだ。けど、鍵は途中で絨毯の上に落ちた。人間の方を見上げる。人間は泣いていた。声も上げずに、ただ嗚咽を漏らし、肩を震わせている。 「僕なんかが、飼い主でごめんね」  漏れ聞こえた声に、カッと頭に血が上った。 「そんなことない」  思わず飛び出た声に、人間は目を丸くした。間違いだと思ったのか、鍵をとろうと更に手を伸ばす。もう一度、今度ははっきりと声を出した。 「そんなことない」  人間の動きが止まる。人間は、髪も瞳も黒くて、この国では珍しい姿をしていた。それがあの『王様』の目にとまったのだろう。体つきも、元からが小さくできているらしい。人間は、大きな瞳を何度も瞬かせた。 「鍵を」と言えば、人間は寝台から落ちるようにして降り、檻の錠を持ち上げ開けてくれた。ようやく出られた。コリをほぐすため、全身を震わせる。人間は相変わらず呆けた顔で俺を見上げていた。が、やがては頬を赤くし俯いた。 「ビョウって喋れたんだ、僕、知らなくて、一方的に話しかけてばかりで。ごめんなさい」 「普通は喋れない」  裸のままの身体をくるむようにして、人間の傍に座る。人間は下を向き続けた。その顔を顎から舐め上げる。   「秘密だ。だから、話すのは俺と2人だけのときにしろよ」 「ひ、みつ」  人間は唐突に、自分の頬をつねり始めた。それから、「夢じゃない」と小さく呟くと、俺の頭を抱きかかえた。 「ずっと、ビョウと話せたらって思ってた。夢なのかな。夢でもいいや。嬉しい」 「ふん」  俺も人間の方へ頬ずりをしてやる。人間は更に強く俺を抱いた。嬉しくて、なんだか恥ずかしい思いがした。けれど、やはり嬉しい。変な心地だ。  人間はよくしゃべった。しゃべった、というよりは、俺のことを知りたがった。また、この国についても無知らしく、子供でも知っていて当然の内容を感心して聞いていた。 「そうなんだ。僕、何も知らなくて」  顔を赤らめ、何度もそう自分を恥じる。  この人間は、これまで、何も知らないまま、何も知らない中で、不安だらけで過ごしてきたのだろう。誰からも教えられず、誰にも聞けなかったんだろう。  俺は全てを包み隠さずに話した。この人間ならいいと思った。人間は「おとぎ話みたいだね」とよくわからないことを言って笑っていた。「そうだったらいいな」とも。  突然、こいつの世話係という男が入ってきた。手には食事を持っていて、それを人間の傍の絨毯に置いた。「動物同士じゃれあって」、そう嘲りすぐに部屋を出て行った。人間は顔を青くしたまま、ほっと息を吐いた。あの男は時折、こいつを玩具のように扱う。『王様』よりもたちが悪い遊び方をするので、人間はそれが怖かったようだ。 「ビョウは何を食べるの? 今の食事であっているのかな?」 「何でも食う。けど、少し味気ないかな。いつも同じ茹でた肉ばかりだ」 「何でも食べられるなら、僕のご飯も食べられるのかな?」 「いや」  そんなつもりで言ったわけじゃないのだ。 「僕、食べてもどうせ吐いちゃうし、すぐ身体清めないといけないし、ね、あんまり意味がないみたい。だからビョウが食べてくれるなら、嬉しい」  人間は汁物の入った容器だけを手に取り啜った。他の食事には本当に手をつける気がないらしく、後はひたすら、俺の毛並みを撫で回すことに執心していた。   「ビョウは、暖かいね」  ***  人間はよく笑うようになった。けれどそれは、俺の前だけで、『王様』と一緒にいるときは、怯えるか苦痛に顔をしかめているか、そういった表情(カオ)ばかりだった。俺はそのことに愚かにも優越感を覚えていた。人間は笑うと今よりも幼い顔つきになってとても可愛いのだ。それを知っているのは俺だけ。そう思い、他のことからは目をつむっていた。  『王様』が俺のことを敵視し始めたこと、人間を見ているしかできない情けない自分、その全てに蓋をしていた。  ある日、突然、部屋から檻が運び出された。人間を起こそうと吠えるが、薬でも使われたのか、不自然に人間は眠り続けた。  連れてこられたのは、部屋のすぐ近くの廊下だった。檻の中をぐるぐるを回る。その横を『王様』が通り過ぎた。部屋のドアが閉まる。何が目的なんだ。嫌な予感がする。  結局、陽が昇ってから、部屋の中には戻された。そこにはまだ『王様』がいて、人間は王様に組み敷かれ、泣いていた。驚いた。人間はどんなことをされても、泣くことは稀だったからだ。 「嫌だ、もう嫌だ。もう帰りたい。もうこんなの嫌だ」  そう繰り返している。『王様』は俺の方を見て笑った。人間の頭を撫で、言う。 「ビョウを殺したというのは嘘だ。ほら、ここにいる。けど、あんまり俺を怒らせるなよ。あいつがどうなってもいいのか」  めまいがした。  人間は俺の姿を見、更に泣き始めた。声も出せないくらい、嗚咽し始めた。俺は理解した。『王様』は嘘を吐いた。嘘を吐いて、人間を傷つけた。  『王様』が去った後も人間は身体を丸め泣き続けた。俺は檻の中からそれを見ているしかなかった。俺がかけるべき言葉が見つからなかった。  わけのわからない場所で、ひたすら苦痛しか与えられてこなかったこの人間は、それでもずっと耐え続けていたのに。俺のせいで弱くなった。俺が声をかけたせいで。  俺のせいで。 「お前は、俺を飼うべきじゃなかったな」

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