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 彼はひたすらキーボードをカタカタ、かちかちと連打している。一定のリズムで。整ったテンポで。呼吸のように乱れることのない正確さで。  ソファに座って本を読む僕から見える、まっすぐで大きなその背中はとても凛々しくて、いつまで眺めていてもたぶん飽きることはない。  昨夜も、この人の腕に抱かれていた。キーボードをたたく指先は、僕に触れる時はもっと優しく、やわらかい。 「待って。あともう少しで終わる。そしたら、そっちに行くから」  ソファに座る僕を振り返るように、少しだけ顔を横に動かして、彼が言う。  さっきまで読んでいた本の中に、主人公が哀しい別れをするくだりがあって、穏やかな春先の気候のせいなのか、そんなシーズンだからなのか、読みながら頭の中にその場面を思い描いているうちに妙にセンチメンタルな気分になってしまった。  本を閉じて、画面に向かってカタカタやっている彼の背中にもたれかかる。でも、もたれかかるだけじゃ足りなくて、背中からぎゅっと抱きついて彼の右の頬に唇をつけ、肩に顎を乗せた。 「仕事中に、ごめん」  ほんの一瞬、キーボードのカタカタがダウンテンポに変わり、彼がこつんと僕のおでこに額をぶつける。「どうしたの?」と微笑んだ次の瞬間にはもう画面に向き直り、さっきまでと同じように指先はリズミカルに跳ねる。  もともとそれぐらいのことで怒る人ではないけれど、仕事を中断させるような邪魔をするのは、ちょっとしたルール違反な気はする。けど、その禁を犯したことで彼が見せてくれた柔らかな表情に僕の心は回復の兆しを見せ、幾分落ち着いた気持ちでソファに戻った。そこへ、さっきの言葉をかけてくれた。  彼を待つ間、愛おしいその背中を眺めている。毎晩のように僕を抱きしめながら眠るがっしりとした腕は、服の上からではそれほどたくましくは見えない。着やせするタイプなのかな。きっともうすぐ、「うぉーっし」だか「ふわぁーっ」だか言いながら、肩のコリをほぐすように両腕を高く伸ばして肩を動かし、椅子から立ちがると、まっすぐに僕を目指してこちらにやってきてくれる。 「何か、イヤなことでもあった?」  彼はきっと、僕の肩に手を置き、自分のほうへ抱き寄せながらそう聞くはず。さっきからの彼の仕草や表情にセンチメンタルな気分なんてとっくにどこかへ吹き飛んでしまった僕は、 「全然。ただ、キスしたかっただけだよ」  耳元でそうささやく。彼が隣に居て、僕を抱きしめてそっとくちびるをあわせてくれる。それだけでもう、お腹の底のほうから温かい気持ちが広がってくる。たぶん、幸せなんだ。 「……キスだけでいいの?」  ほわりと緩んだ僕の頬に触れる彼の指先は、やっぱり優しい。その指先を僕の手で包み、唇をつけた。 「いいよ。今はそれだけで。明日、卒業式が終わったら、僕とその先をして」

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