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11.モテたいの?

 いつも淡々としている橋田がスッと立ちあがって、姉崎の前に立っていた。 「君さ」  その背中から、淡々とした声が聞こえてくる。 「わざとやってるんだろうけど、面倒だからやめてもらえるかな」  興味深げな視線を向け、姉崎はニッコリ笑って首を傾げた。 「へえ? やめろってなにを?」  だが橋田はニコリともせず、淡々と言う。 「まず、ぼくのベッドに勝手に座るのをやめて」 「おっと失礼」  ツラッと立ちあがった姉崎を見ると、橋田も表情を動かすことなく自分のデスクに戻って座り、そのまま姉崎に目を向けた。 「藤枝君が単純で面白いの分かるけど、あとで面倒だから、あんまり刺激しないでよ」 「なっ…!」  無自覚に顔を真っ赤にしつつ「は、しだぁっ!」なんとか言い返したが、冷静じゃないってか。 「なに言い出すんだよっ!」 「藤枝君もいちいちわかりやすい反応しない。ちょっと考えてから言動を決めなよ」 「はあ?」  カッとして橋田に迫ろうとしたのを遮るように、「すまない」と躊躇いがちに口を挟んできたのは、それまで黙って見ていた丹生田だ。 「話を整理していいか」  空気の流れが途切れ、みんな丹生田に注目した。 「……どうぞ」  橋田が言うと、小さく頷いて丹生田は姉崎を見る。そしてこっち見て、ほんのちょっと笑った。 「つまり、姉崎と藤枝は女子に声をかけられる。モテているわけだから俺はうらやましいと思うが、おまえたちは嬉しくない。それは個人の感じ方だから問題ないと思う。うらやましいが」 「そ……そうか。つか女ばっかじゃねえし」 「ああ、すまない」  低く静かな声で、少し目を伏せてて、こっち見ないし色々考えながらしゃべってるって感じ。  つうか丹生田ってばモテたいとか思ってんだ。そっか。ふ~ん。 「姉崎はつれなくして断り、話はそこで終わる。藤枝は誠心誠意断ることで、相手に気を持たせる結果になっている。はっきり断ればいいと姉崎は言い、藤枝はそうしない。……それはそれで良いと思うんだが、違うだろうか。対応がそれぞれの資質により違うのは当然だ。何が正しいということではないのではないか」  三人は声をなくしたまま丹生田を見る。それぞれ驚いているわけだが、表現が違った。  姉崎は面白そうに目を見開いて「ヒュー」と口笛を吹いたし、橋田は中指で少しメガネを押し上げて淡々とした顔のまま丹生田に注目してる。  そんで俺は、いつも最小限の言葉しか口にしない丹生田が、少し眉を寄せながら話す表情に見入ってしまっていた。訥々と語るこんな感じも、なんかカッコイイじゃん。 「橋田が姉崎の存在を面倒だと思うのも自由だし、姉崎が213を面白いと言うのも自由だ。迷惑をかけられるのは嫌だと考えるのも当然だから、橋田が姉崎に抗議するのは正しい。しかし」  言葉を切って、丹生田は口を閉じ、目を伏せたままなにか考えて、納得したように僅かに頷いた。 「そこで藤枝に話を振るのは論点が違うように思う」  淡々とした口調に責める調子はなかったし、丹生田は目を伏せたままだったが、橋田はきまり悪そうにくちをへの字にする。 「そうだね、冷静さを欠いていたよ」  ぼそりと言って椅子を回しデスクに向かった。  けどそれって謝ってないよね? と思ったが、丹生田がようやく目を上げて姉崎を見つめ、次にゆっくりと視線を動かしてコッチ見たんで、くちは自然に閉じた。  まっすぐな視線に、おもわず色々忘れて見返してしまったのだ。 「聞きたいんだが」 「な、なに」 「女子は藤枝と交際したいと思って声をかけるのか? それとも単純にサークルの人員を増やしたいからか?」 「そりゃあ、当然前者だよねえ」  答える前に姉崎がいつもの調子を取り戻して、楽しそうに言った。つうか相手がなに考えてるかなんて分かんねえし。  けど丹生田は頷いてまっすぐコッチに目を向けてくる。 「藤枝は誠実に対応したいと言う。つまり藤枝は彼女が欲しいのか?」 「ねえよ!」  なんか丹生田にそう聞かれるのやばい感じで、あせって否定する。 「だいたい彼女ほしさにサークル決めるって、そんなの間違ってるだろ!」 「ならば、その希望を持たせないような断り方を、まず考えるべきなのではないかと、……思うんだが。違うだろうか。済まない、俺は女子に告白されたら、おそらく喜んでしまうから、藤枝の気持ちが理解できていないのかも知れないが」 「いや……、いや」  答えながら、なぜか意気消沈していた。 「いいよ、分かった」  なにげにテンションがだだ下がり。 「ていうか丹生田ってシラフでも長く喋れるのかよ! 初めて聞いたっつの!」  けどなんとか気を張って声を高め、丹生田の肩をこぶしでどついてから、にぃっと笑ってやった。 「ああ……済まない」  丹生田はいつも通り、律儀にきっちり頭を下げる。  そういうコトじゃない。丹生田は悪くない。だから笑顔キープする。 「もっとしゃべれば良いじゃん、いつもさ」 「努力しよう」  橋田はデスクに向かったまま、黙ってなにやら書き物をしている。毒気を抜かれた顔をしていた姉崎が、いきなり口笛を吹いて 「Excellent(エクセレント)!」  と陽気な声を上げ、大げさに両手を打って拍手する。丹生田は目を伏せて眉を寄せ、鼻の横をポリポリと指先でかいた。  結局、俺は二階の執行部の部屋に行ってみることにした。オリエンテーションの時、会長が『困ったときとか相談してみて』と言ってたのを思い出したのだ。  部屋にいた風橋(かざはし)さんは眼鏡をかけた優しそうな人で、事情を話すと「うん、君なら苦労があるだろうね」と、こともなげに笑いながら言ったので恥ずかしくなった。  丹生田があのとき言ったみたいに、女にモテる自慢にとられかねない話だからだ。  だが風橋さんにそんな様子は見られなかったし、話しやすい雰囲気もあって、なんか安心できた。  それより、と言葉を切った風橋さんは、そもそもサークルに入りたいのか入りたくないのかと聞いた。そこは誰も聞かなかったことなので驚いていると、笑って言われた。 「別に必須じゃないからね。高校とは違うよ」  少し考えてから、せっかくだから単位以外の実践的なことを学びたいし経験もしたい、と言うと、どんな内容なら興味を持てそうなのか問われ、考えていたことを話す。 「ふうん、そこまでハッキリしてるんだ。ならいくつかお勧めできるな」  サークルをいくつか紹介してもらって礼を言うと、「ぜんぜん」と風橋は笑い「なにも無くても遊びに来なよ」と言ってくれた。  翌日から一つづつ顔を出してみると、風橋さんの推薦だけあって、どこも浮ついたところがあまり無いように感じられる、しっかりしたサークルばっかりだった。んで考えた結果、マーケティング研究会ってのに入ることにした。まあ入ってからドSなサークルだって分かったんだけどね。  ともかく、それ以降はマーケティング研究会で忙しいんで、と言うと「ああ~、あそこってドSなんだもんね」とみんな引き下がってくれたから有名らしい。掛け持ちでもいいよと食い下がるのもいたが、実質的に無理なので、その現状見てるうちに収まった。  それでもまだしつこかったのが『ビジュアルアート研究会』だ。なにをやってんのかよく分かんねード派手な女がつきまとってきてたけど、あくまでつれなくしてたら、五月の半ばくらい 「世界の損失だよ! 藤枝君は自分の価値を自覚するべき!」  なんてわけわかんない理屈叫ばれて逆ギレした。 「ほっとけよっ! なめんな、女だからっていつまでも黙ってると思うなよ! 寮じゃキレやすいって有名なんだぞ!!」  無駄に声がデカい。よくそう言われる。  180センチの長身から、怒りも露わな外人めいた彫りの深い顔立ちから、至近で怒鳴りつけられ、彼女らが予想以上にビビったので逆に焦り、 「すんません、無自覚に生きていきますんでほっといて!」  とか言いながら走って逃げてから、ようやく来なくなってホッとした。  風橋さんのとこに行った日、部屋で話したら「担当について相談できるだろうか」と丹生田が呟いたので、俺も橋田も、ああ、と思う。  オリエンテーションの日以降、担当だという二年生は一切顔を出さず、名前も部屋も分からないままなのだ。姉崎とか他の部屋の奴に「え、知らなかったの?」なんて言われながら教えてもらって、なんとかやってるありさまなのだ。  丹生田は結局、保守の会合に顔を出しているが、保守の先輩達はどうしても強面が多く、相談すると事が荒立ちそうなのでなにも言えないでいる、というのも納得できたので風橋さんに声をかけてみた。 「うん、毎年あることではあるけど……なるほどね」  213の三人を見て、風橋さんはさもあらんと頷いた。 「大学生ったって、結局オスのあつまりだから、自分を誇示したくなる奴もいるってこと。……なんだけど、君らだと勝てないと思ったんだろうな」  そう言って「声をかけておくよ」と請け合ってくれた。  数日後、担当の二年生は213にやってきて、偉そうに自分たちの部屋番号を伝えた。デブメガネがシイナ、やせがサカグチ、もうひとりがハバグチとそれぞれ名乗り、すぐ立ち去ったけど、その頃は五月も終わり近くになっていて、基本的なことは周囲に聞いて理解していたので、それ以降聞きに行くこともないように思われた。  なにか聞きたいときには風橋さんに聞くけど、と思いつつ、それでもなんとなく気になっていたことが解消し、ようやくひとつ安心した。  《一部 完》

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