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14.落ち込む

 なんか脱力しながら廊下を奥へ、人のいない方向へと、とぼとぼ歩く。  廊下の突き当たりは食堂だ。その前には自販機がいくつかあるが、深夜だから誰もいない。とはいえ飲み物買いに来る奴がいるかも知れない。ひたすらひとりになりたくて、ドアノブを捻ったが鍵がかかってた。そういえば食堂は夜二十二時半で閉まるのだ、と思い出す。  はあ、とため息をつきながら、食堂のドアを背にずるずると座り込む。 「……俺なにやってんだろ」  ケツを置いた廊下の冷たさに脱力した。  たまに上階の足音なんかが聞こえるくらいで、蓋を開けたままのペットボトルから気泡のはじける音が聞こえるほど、ここは静かだった。 (春っても、けっこう冷えるな)  ペプシを床に置いたき、革ジャンに袖を通しながら、なんかホッとしてため息が出る。  ようやくひとりになれた気がして、これこれ、こういう環境が欲しかったんだよ、なんて思いつつ、ぼうっとしてたら、さっき呼吸困難を引き起こした声が、唐突によみがえった。 『だって好きなんでしょ?』  慌てて頭を振り、深呼吸して酸素を確保したが、やっぱり軽いパニックは来て (だって、いや、すっ、すっ、好き、とか)  両手で頭を抱えつつ、必死に考えを正す。 (いや、確かに好きだよ、良い奴だし可愛いし。別に普通じゃん? 丹生田のこと好き…)  形になった言葉に、一瞬アタマ真っ白になる。 『恋愛心理経過観察』  追い打ちかけるみたいな、橋田のあっさりとした声。 (れ…れん……なのか? いやそんなんじゃないだろ。良い奴だし可愛いし好きだけど、てかそういう好きとはちが……ち、違うよな? つーか男だしナイだろ普通に。ないない、ないよ、そんなんじゃない) 『まさか自覚無し?』 (なんだよそれ? じっ、じ、じかく、とか、そんなんじゃ……てか橋田は軽蔑とかしないっぽいこと言ったけど、で、でも) 『気づかないとかありえない』 (そうなのかな。じゃ、……じゃ丹生田も同じこと感じてて、そんでキモいとか……)  胃がぎゅうっと絞られるみたいに苦しくなる。 (そんで、き、……嫌われたら、…………俺確実に死ねそう────)  考えれば考えるほど、気分はずぶずぶ沈んでいく。深い深い溜息を、何度も何度も吐きだしているうち、だんだん泣きそうになってきた。 「無理だって!」  響いた声に、ハッとする。 「マジわがまま」 「つか鍵、かかってんじゃねえの」  階段の方から騒々しい声と足音が聞こえてきて、一瞬でウェットな空気が飛んだ。 「平気平気、扉は開かれる為にあり、鍵は破られる為にある、とか言うでしょ」  そして続いた声に、おもいっきり眉を顰めた。今、一番聞きたくない声だったからだ。 「聞いたことねえよ!」 「だよねえ、僕も今初めて言った」 「テキトーか!」  コッチの気持ちを代弁するようなツッコミは、やはり同じ一年の声だ。 「つか無理だろ」 「買いに行く方が」 「コンビニあるし」 「え~、そんなのつまらないよ~」  ひとを小馬鹿にしたみたいな調子の良い声は、当然のことを主張する声を軽く笑い飛ばしやがった。 「そういう問題か?」 「だーいじょーぶだって、確か食堂の鍵ってシリンダー錠だし、ほら、誰かピッキングぐらいできるんじゃないの」 「他力本願かよっ!」  ツッコミを馬鹿にしたみたいにハハッと笑う。 「だ~いじょうぶだって! 君らならできる!」 「なにを根拠に」  無責任で調子よくてひと小馬鹿にしたみたいな、いつも笑ってるみたいなあの声。いやだ、いまあんな奴と絶対話したくない顔も見たくない。  そんな衝動で慌てて、なぜかペプシに蓋をした。 (いやなにやってんだ俺。んな場合じゃねえだろ)  なんて自分にツッコんでる間に足音は階段を降り、娯楽室の前あたりを通ってる感じ。そこから角曲がれば、いくら暗くても丸見えだ。見回しても逃げ道なんて無い。 「自分でやれ、自分で!」 「できるわけないじゃ~ん」  すぐ近くまで来ている声に追い立てられるみたいに隅へ進んでしゃがみ込む。食堂の入り口からは離れたが、声は角を曲がってしまった。 「修行しろよー」 「ええ~、だーって僕そんな面倒なこと……あれ?」  せめて目立たないように、暗いし気づかないでくれないかと体育座りした膝の間にアタマ突っ込んだ。暗闇に紛れて気づかないでくれと必死で祈ってたのに、無遠慮な足音はよどみなくスタスタとすぐ傍まできて止まり、一番聞きたくない声が頭の上から振ってきた。 「その革ジャン、藤枝じゃん。なにしてんの」  笑っているような、いつ聞いてもイラッとさせてくれる声。けど今のはこれまでで最高最悪だ。ほっといてくれ、と祈るような気持ちで、顔も上げずにじっとする。  けどこの声の主がそんな気持ちをくんでくれるわけがなかった。 「ねえ、ピッキングってできる?」 「でっっきるわけねーだろっ!」  怒鳴りながら、おもわず顔を上げてにらみつけてた。  目の前には、絶対見たくなかった妙にきれいなメガネ野郎のニヤケ顔。姉崎だ。 「そっか、できないかあ、ザンネン。みんなで腹減ったなあって言っててさー」 「言い出したのおまえだろーが」 「なんでみんなの意見になってんだよっ!」  次々入るツッコミを、ツラっと笑顔でかわし、 「食堂に侵入すればなんかあると思ってきたんだけど…」  姉崎は顔を覗き込む形で身をかがめ、にらみつけてる顔をじっと見て言葉を切り、ニッと笑って身体を起こした。 「その手があったなー…」  そのまま振り返り、一緒に来た連中に言った。 「ねえ、ほっかほかの牛丼なんてどう?」  朗らかな声に、ビクッと反応した。 「ああ~」 「悪くねえな」 「近くの牛松屋、友達がバイトしてるから激大盛りとかしてくれるかも」 「牛松屋かあ」 「いいな、激大盛り」  いきなり盛り上がった声に、慌てて声を上げる。 「おまえ! 丹生田に迷惑かけるなよっ!!」  思わず噛みついたのに、嬉しそうに笑ったまま見返した姉崎は脳天気な口調で言った。 「藤枝も行く? working(ワーキング)健朗、見に行く?」 (……見たい。────じゃねえだろ!)  食いつくように頭に浮かんだ思考につっこみつつ、ニヤケメガネのきれいな顔を睨みつつ思う。 (姉崎が迷惑かけないように見張るんだ。こいつなにするか分かんねえし)  自分に言い訳しながら、腰を上げた。

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