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19.健朗の独白

 寮食を希望すれば、月額一万五千円で利用できる。  けっこうボリュームがあって食い応えのあるメニューばかりだ。  朝食はみな同一だが、夕食は二種類ある。A定食かB定食で、Aは魚メイン、Bは肉メインだ。  メニュー表が前月十五日に配布され、AかBか日ごとにチェックつけて二十日までに提出しておかなければ、強制的にA定にされてしまうのは、B定の方が人気があるからだろう。  飯は大盛りできるがおかわり不可。おかず大盛りは不可。味噌汁と漬け物は食い放題で、納豆や卵も自由に食える。そばとかうどんはプラス百五十円で食えるし、二百五十円プラスすればラーメンがつけられる。  自炊など、寮食申し込んでない奴が定食を食いたければ一食三百五十円で食える。無くなったら終わりだが、麺類は誰でも食える。  朝は七時から九時半まで。夜は六時から九時まで。麺類とかコーヒーとか、そういうのは七時から二十二時半までいつでも食えるし、二十一時まではパンも売ってる。  食堂にはテレビや新聞や雑誌もあり、軽いミーティングのようなことしているのを見たこともあった。  213の三人は、みな寮食を取っていて、時間が合えばだいたい一緒に食いに来る。  そして丹生田健朗は、ひそかに落ち込みつつ、黙々と、そしてもりもりとB定食大盛り、うどん付きを食べていた。飯の上には卵入り納豆がかけてある。  テーブルの向かいでニコニコとB定を食べているのは同室の藤枝。藤枝はいつもニコニコしていて、この笑顔が良い。  その隣の橋田は淡々とA定を、健朗の隣では姉崎が、B定大盛りラーメン付きを納豆二つ使って早くも食べ終えようとしている。今日は流れで一緒に来たが、そうでなくとも213のいるテーブルで一緒に食いたがる。  こいつは無闇に食うのが早い。姉崎もいつも笑っているのだが、この笑顔には特になにも感じない。 「メニューが全部五十円単位なのって、十円玉でおつり払うの面倒っておばちゃんが思ったから、だよねやっぱり」  やけに楽しげに隣が言うので、健朗はもっくりと頷きつつ食べ進める。 「つうかおまえ、おばちゃんに取り入るんじゃなかったのかよ。おかず大盛りになってないじゃん」  藤枝が顔をしかめて言うと、隣が「そういうのは時間かかるんだって」と朗らかに言っている。 「ねえ、健朗もそう思うでしょ?」  そう続けられ、どちらの話題について答えれば良いか分からずに、食べ続けながら健朗は眉を寄せた。すると藤枝がすぐに口を出す。 「ばーか、質問の意図が分かりにくいだろ。主語を言え主語を」 「だから五十円単位になってる理由だよ」 「知るか! どうでもいいわっ!」  こういう、打って響くような会話は自分にはできない。  本当に自分は愚鈍で至らない。  畑田が自分に対して冷たかった、というのは被害妄想ではないだろう。  奥から出てこなかったのも、自分と顔を合わせたくなくて、なのではないか。  最初は話しかけていたのに、うまく会話を続けられなかったから無愛想だと思い、呆れてしまったのではないか。しかし、なにを言えばいいか分からなかった。  だとしても、挽回する方法があったはずなのだ。しかし愚鈍な自分は、そういうことができなかった。  なんと話しかければ良いか、考えれば考えるほど分からなくなって、まして休憩や仮眠についてどう言えば良いか分からなかった。店をちゃんと回さなければと精一杯だったのだが、あくまで愚鈍な自分らしいと、我ながら呆れるしかない。  自分から話しかけるべきだった、という考えに至ったのは、店を出てからなのだから。  おそらく自分は畑田に対して失礼なことをしたのだろう。だがなにが悪かったのか分からない。この時点で愚鈍さが露呈されている。店を出てから213に着くまで、繰り返し考えたがまったく分からなかった。  寮に戻って藤枝が声をかけてきてくれて、少し回復したのだが、朝練の最中にまた浮かんできた自己嫌悪に、夢中になって竹刀を振った。そうしている間は無心になれる。  講義が始まっても集中できず、暇を見つけて竹刀を振りに行った。先輩が飯食わないのかと言ってくれたのも頭一つ下げて無視した形になった。あげく倒れて寝てしまうという最悪の結果で、しかも目覚めたのは姉崎が無遠慮に「飯食いに行くよ~」と起こしに来たからだったのだ。 「起こすなよっ!」  と藤枝は騒いでいたが、藤枝も橋田も食事をしていなかったから気を遣わせていたようだった。だから姉崎には感謝している。  起こしてもらわなければ、二人はメシを食いはぐれたかも知れない。自分が空腹を抱えるのは自業自得だが、そうなってしまえば彼らに申し訳ないから、自分は弁当かなにかを買ってお返ししただろう。バイトのために出費するなど本末転倒だ。そうなったなら自己嫌悪するに違いなかったが、それは未然に防がれた。ありがたい。 「丹生田、箸とまってんぞ」  遠慮がちな藤枝の声に目を上げると、心配そうな表情が目に入る。橋田も無表情にこっちを見ていた。 「ああ……すまない」 「謝んなくていいけど」  ニコッと笑って、藤枝は食事に戻った。  良い奴だな、とやはり健朗は思う。橋田はよく分からないが、藤枝と同室になったのは幸運だったのだろう。自分は愚鈍だが、周りに恵まれるのだ。今までもそうだった。 「ねえねえ健朗、コーヒー飲む? それとも帰ってまた寝る?」  いち早く食べ終えた姉崎が聞いてきた。  姉崎はいつも食後にコーヒーを飲むのだが、そのとき同じテーブルのみんなにも奢る。この間はサーバーのコーヒーが落としたてになるタイミングをはかっているのだと自慢げに言っていた。コーヒーは一杯五十円なのだが、それくらいの出費は気にならないらしい。 「今コーヒー飲んだら寝れなくなるんじゃね? 大丈夫か?」  藤枝が聞いたが、健朗は少し笑んで小さく首を振る。「Year(ヤー)!」と声を上げ、姉崎は腰軽くサーバーへと向かったのだが、新たにコーヒーを落とせと、おばちゃんに要求した。サーバーには少しコーヒーが残っていたようで、おばちゃんはそれをカップに注いで持って行けと言うのだが、両手を大きく振る大げさなアクションと共に 「だって四人いるんだよ?」  離れていてもハッキリ聞こえる陽気な声が食堂内に響く。 「ひとりだけ煮出したコーヒーなんてOh my God(オーマイガッ)! そんなのイジメじゃない? そういうコトをしろって僕に言うの? 無理! 僕には耐えられないよ~、仲良く落としたて飲ませてよ~」  おばちゃん相手に一歩も引かず交渉、というかおねだりを続け、結果おばちゃんはコーヒーを落とし始めた。姉崎はそのままニコニコと、おばちゃんと立ち話しながらコーヒーが落ちるのを待っている。  ああいう、丹生田の持ち得ないものを持っている人間はたくさんいる。愚鈍な自分がああ成る可能性はゼロだと分かっているが、あんな風に行動できたなら、と思うことはある。そのたびに無理だと思い落ち込む。  しかし藤枝は言ったのだ。 『丹生田には丹生田だから出来ることがあんだよ。あんな奴にはぜってーできねえこととかさ!』  なぜか最初から姉崎と敵対してる感じの藤枝だが、その言葉はなんとなく健朗を楽にした。  自分にできること。それを掴むことができるなら、もしかして少し自由になれるような気がしたのだ。  それ以来、藤枝が笑ってこっちを見てるだけで、あの言葉が頭によみがえる。その顔が、このままの自分でも良いのだと言っているように思えて、そのたびごとに健朗は救われた気分になるのだった。  学費は出すが、寮費も含め生活費は家から一銭も出ない。それで良いと健朗が言ったから、父はこの大学を受ける許可を下した。  七星剣道部は国体に毎年出るような強豪で、うまくいけば自分も遠征へ行けるかも知れない。いや、行かねばならない。その為の努力はするつもりだ。祖父は『剣道に関してはおれが支援する』と父に言っていたから遠征費は出してくれるのだろうが、遠征先の食事などは自己負担になるだろう。  高校時代は剣道ばかりだったから貯金なんて無い。自分で稼がねばならないのだ。とはいえバイトでここに来た目的である剣道をおろそかにしては本末転倒。むろん学業も手を抜けない。そうなれば稼げる金額も知れているが、なにかあったときの備えもしたい。ゆえにできるだけ倹約して生活する必要があった。  賢風寮より生活費が安く上がるところなんて無い。同室にも恵まれたし、寮には剣道部の先輩もいて、良くしてもらっている。  入寮できて本当に良かった。  健朗はしみじみ思いながら三杯目の味噌汁を飲み干し、箸を置いた。 「お、食い終わった? おまえちゃんと食って練習しろよ~。ムロヤって先輩が怒ってたぞ」  藤枝が言ったので「すまん」と頭を下げる。 「自分の体力を過信していた。今後は迷惑をかけないよう気をつける」 「いや、良いけど、つか良くねえよ! ちゃんと気をつけて、寝てねえときは寝る! 食ってねえときは食う! 分かったか?」  ニコニコしていた藤枝が、急に怒った顔になったので、本当に迷惑をかけたのだ、と思いつつ健朗は無言でまた、きっちりと頭を下げた。 「あ、そだ。風橋さんが顔出せって言ってた。執行部の部屋、行けよな」  頭を上げると、藤枝はなぜかニヤニヤ笑っていた。怒っていないようだと安心しつつ、健朗は低く返す。 「分かった」 「ああ、落としたてコーヒーが来るよ」  橋田が言うと、藤枝は「ヒューヒュー」と声を上げ、アタマの上で両手を叩いた。目をやるとトレーに乗った落としたてのコーヒーを4つ運んでくる姉崎が満面の笑みを浮かべていて、健朗は口角を少しだけ上げた。  自分は恵まれている。そう思えたからだ。

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