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20.健朗の事情
「なあ、聞いて良いかな」
部屋に戻って、風呂の用意をしはじめた丹生田を見つつ、遠慮がちに聞いた。丹生田はこっちを見て、いつも通りうっそりと頷く。
まだ丹生田の顔は少しやつれて見えて、胸がツキンと小さくうずく。
「なんで……バイトすんの? カネいるの?」
入寮してすぐ、丹生田はバイトを決めてきた。夜働けて時給が良いところ、とか言ってた。そんなのいちいち覚えてて、しかもこんな気になるのはなぜなのか。
それが分かった。自覚したばかりの胸は、ヘンに甘くて苦いもので満たされてたけど、そうと分かったからには全力で丹生田を応援する。できることなんてたいして無いだろうけど、それでもなにか困ってることがあるなら、力になれることがあるなら、なんでもやりたい。
「ああ、生活費が」
けど答えはそれだけで、丹生田は風呂用意を持ち「行かないのか」と言った。
「行く! 行くよ! けど」
「丹生田君。秘密主義も良いけど」
しっかり風呂用意を手にした橋田が淡々とした声を挟む。
「藤枝君がジタバタうるさいから教えてあげなよ」
「じたばた?」
不思議そうに聞いた丹生田に答えようと、橋田がくちを開いたので、焦って「わ~わ~わ~」と声を上げながら橋田の眼前を身体でさえぎり両手をぶんぶん振る。
橋田はむっつりとくちを閉じ、不満げに見上げてきた。くそ、ちっせーくせに妙に迫力あるんだ橋田って。けど負けねえ、とか思いつつ(余計なこと言うな!)と目で訴えてたら、背中から「秘密主義ではない」と低い声が聞こえ、瞬速で振り返る。
「うまく言えないだけだ」
少し眉を寄せて目を伏せている丹生田は、やっぱり可愛い。
「うまく言えなくていいよ。ただ、言ってもいいようなら俺、聞きたい」
そう言うと、ちらりと目だけ上げてこっちを見る。少しためらうような間があって、丹生田の低い呟くような声が聞こえてきた。
「……うちは妹に金がかかる」
「丹生田、妹いるんだ」
なんかぱあっとテンション上がる。
「うちも妹ひとりいるよ。服とか靴とかゲームとか、やたら欲しがるんだよな。どこのケーキがうまいから食べに行きたいとか、ピアノ習うとかバレエやるとかガキのころから色々ワガママ言うんだよ。やっぱ丹生田んトコも一緒?」
丹生田と共通点! とかって簡単に盛り上がって言ったのに、丹生田は眉を寄せて黙っちゃった。
「……違う」
「あ、そうなんだ」
ちょっとうろたえる。なんか変なこと言ったかな。でもまあテンション上げてる場合じゃないよな。
「うちの妹は幼いころから賢い」
そう言って、丹生田は眉間に縦皺を刻み「俺とは違う」と呟いた。
え、と耳を疑った。丹生田は、自分が賢くないと思ってるってコト? けど同じ顔のまま、丹生田は低く続ける。
「今はアメリカの大学にいて、たいそうなことをやっている。とても金がかかる」
「……え、妹には金かけてやってるってコト?」
丹生田は眉間に縦皺を作った。
「……まあ、そうだ」
「おねだりってコト? 親に?」
丹生田は僅かに首を振る。
「妹には全てやってやらねばならない。父はそう言う。俺もそう思う。だが、なにかとカネがかかるので家計は逼迫している」
「そんなお金かかることって、妹さん、なにやってるの」
橋田が聞くと「難しい」と丹生田は低く言った。
「色々言っていたが……難しい」
説明が難しいのか、妹がやっていること自体が難しいのか分からなかった、けど
「俺などには分からんことだ」
そう続けた丹生田が目を伏せていて、ああそうか、と納得が落ちる。
ぜんぜんそんな感じじゃないのに、いつも丹生田が自分を『愚鈍』という理由。
(賢い妹と比べて、てコトなんだ)
親に好きなだけカネ出させるくらい認められてる妹って、きっと賢いだけじゃなく、くちもうまいんだろな、なんて思う。丹生田はしゃべるのあんまうまくはないから、そこ気にしてんのかな。
そこまで考えてハッとした。ていうかカネ出ないって学費も? それで丹生田が大学やめなくちゃとかだったら超困るし!
「じゃじゃ学費は? 出してもらえんの?」
思わず漏らした声に、丹生田はうっそりと頷いて「父が」つったんでホッとする。
「国立大学へ行くよう言われたが七星に来たかった」
「丹生田君は数学なんだよね。うちの数学課ってそんなに有名だった?」
橋田が聞くと、丹生田が首を振る。
「剣道だ」
「ああ」
橋田が頷く。俺も納得した。
七星の剣道部は国体上位の常連なのだ。個人戦、団体戦、共に何度か優勝してる。じいさんが剣道部出身だったから知ってる。
「高校総体で、次は大学で会おうと約束した、奴がいる。西日本の代表だ」
「そいつに勝ちたいってこと?」
「そうだ」
そう言った丹生田の目は、ちょいギラッとしてめちゃかっけーかった。
「え、でもそんじゃお父さんがカネ出してくれんだろ?」
なんでバイトとか? と問い返すと、丹生田は目を伏せる。
「出してもらうのは学費だけだ。俺などが我が儘を通すんだ、当たり前のことだ」
ていうか賢い妹のために丹生田が我慢してるってこと?
そんで自分は愚鈍だから我慢するのが当然とか、……そう思ってるってコトか。
(ぜんぜん気にしなくて良いのに。丹生田は丹生田らしいだけで、ぜんぜん大丈夫なのに。つうかそんなカッコイイくせに、なに言ってんのかな)
主観入りまくりな自覚も無く、声を荒げた。
「つうかさ! 気にしなくて良くね? 丹生田は丹生田でちゃんとやればさ!」
「……藤枝?」
戸惑ったような低い声が返り、目を上げて丹生田をにらみつける。
「丹生田ちゃんと頑張ってんじゃん! 七星の理数って、ちょっとやそっとの頑張りで入れるもんでも無いだろ? ちゃんと結果出して、剣道も頑張ってんじゃん! そんでしんどいとか思うことあるなら言えよ! 俺……俺ら、ちゃんとフォローするし、なあ、橋田?」
当然「もちろんだよ」と返って来るだろうと思っていた声は「あ……うん。まあ、手伝うくらいなら」とか、逃げ腰なのにカッとして「おまえいつも偉そうなんだからビシッとしろよ!」と怒鳴り返した。
「うん、分かった、やるよ」
ため息混じりの声が返り、ちょい不服な感じは残ったが、そんなの気にしないで丹生田にニカッと笑いかけた。
「つうか俺は! 丹生田のこと応援するよ? つうかしてるよ? だから頑張り過ぎんなよ! 頼りないとか思ってんならなめるなよ? 俺は意外と頼りがいあるんだから」
「自分で意外ととか言うあたり、自覚無いわけじゃないんだね」
「うるっせーよ!」
淡々と茶々入れてくる橋田に怒鳴って、丹生田に顔を向けたころには、なぜかちょいゼイゼイしてたけど! そこら辺頼れっつーには説得力ねーかもだけど!
でも全力で丹生田のこと応援する!
そんな感じでじっと見つめてたら、丹生田はふっと目を細めて少し笑った。
「藤枝は頼りがいあるな」
「だろ?」
ぱああ、と多幸感が湧き上がる。めっちゃ笑顔になってる自覚も無く
「俺に任せとけ!」
なんて言い放ち、意気揚々と風呂へ行くと宣言したのだった。
*
「待ってたよ。入って」
風橋さんの部屋は端にあり、逆の端にはもうひとりの執行部、栃本 さんがいる。執行部役員の部屋は各階二部屋あり、それぞれ一人づつ役員が住んでいるのだ。
「失礼します」
健朗はきっちり頭を下げて入室した。風橋さんに座るよう促され、ベンチのようなソファに腰を落とすと、冷蔵庫からペットボトルのウーロン茶をグラスについで、テーブルに置いてくれた。
「すみません」
また頭を下げると、風橋さんはデスクの椅子を引っ張ってきて、自分のカップを手に向かいに座り、ニッコリ笑った。
「丹生田君。僕らがひとり部屋なのは、こういう時のためなんだよね。差し障りがあるだろうとか、ひとに知られたくないとか、そういうので言い辛いことでも、ココで話すことは漏れないし、僕も誰にも言わないよってことで。特に一年には話しやすい環境が必要だろうっていうことで、この二階と三階、つまり一年がいる階には執行部の部屋があるってわけ」
眼鏡越しの目が健朗を揺るぎなく見ている。
「……なんかあった?」
「……………………」
あった、と言うほどのことはない。結局自分が愚鈍で、バイト先でうまくやれなかったと言うだけのことだ。
だが、どう言えば伝わるのか。考えはしたが、ここですぐに、うまく言える気がしなかった。
すると風橋さんは笑みのまま「うん、そうか」と呟いてカップから一口飲んだ。
「言いにくいのかな。それともうまく説明できない?」
「……後者です」
自分の愚鈍さにうちひしがれながら、うっそりと頷く。
「きみってかなり注目されている自覚はある?」
もちろんそんなことは知らないので、健朗はゆっくりと首を横に振った。
「オリエンテーションで宇和島さんに声かけられただろ? あれってかなり意味があるんだけど」
「……そうなんですか」
「どういう意味かは聞かないんだね」
「……思いつきませんでした」
髪をくしゃくしゃにしながら「うん、そうか~」と呟いて、風橋さんは「きみ、酒は強い?」と聞いた。
「一度しか飲んだことが無いので、よく分かりません」
「一度? じゃあその時どうなった?」
「酔うと良くしゃべると言われました」
「そうか~、けど強そうだよなあ」
ため息混じりに言って、「しょうがないか」と腰を上げた風橋さんは、冷蔵庫から日本酒の瓶を取り出して、テーブルにどんと置いた。
「じゃあ、腰据えて聞こうか、丹生田君」
一升瓶の迫力に、目を白黒させながら黙っていると、風橋さんが笑みを深めた。
「言えねえとか言わせないよ? 執行部なめるな」
あくまでニッコリと言われ、健朗はごくりとつばを飲み込んだ。
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