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30.店長の思惑

 ドアを開くと、この間やめた新人バイトがいた。細めに開いた隙間を無駄にデカい体が覆っている。 「朝早く済みません」  まったくだ。まだ朝の七時前じゃないか。こんな時間に訪問なんて非常識きわまる。  キッチリと下がった頭を見下ろし、チェーンをかけていなかったことを若干後悔しながら「なに、こんな時間に」苛立たしさを隠さない声を出した。  そもそも、なぜこの部屋を知っている?  ここは会社で管理している部屋で、独身の社員はいちいち部屋を借りなくとも、職場近くにあるここに住むことができる。前任者も住んでいたから、畑田はここを知っている。まさかこの子に教えたのか? あんなに嫌っていたのに? 意味が分からない。  ああそうだ、畑田といえば、ここまで来て偉そうに意見してたな。二ヶ月も前だったか。あのときも心底腹が立った。なにも分からないバイトの分際で、あまりに偉そうなことを言うから。  まったく腹立たしい。コッチは考えることたくさんあるんだ。  落ちてきた売上をどうにかして戻して、この店が売上優良なのは地域的なアドバンテージがあるからだと証明しなければ。  そうだ。  あいつ、三流大学出のバイト上がりで社員になって、いつの間にか店長になってた。あんなやつ、たまたま良い場所の店長になったと言うだけで本部のマーケティングだなんて、おかしいのだ。  あんなやつに一流大学でマーケティングを学んだ自分が負ける筈が無い、無いのだ。  なのにバイト連中は全然言うことを聞かない。正しいマニュアルに沿って仕事しろと言っているのに勝手なことばかりする。  毎日毎日苛々して胃も荒れてきて、医者に行ったら『ストレスを軽減しないと』と言われた。 『真面目すぎるんでしょう。少しいい加減になった方が。仕事より自分の身体が大事ですよ』  ああそうか、真面目にやるからダメなのか。ああ分かった。分かったぞ、いい加減になれば良いんだな。  いい加減に、適当に、そうすれば楽になる。  しかしあの医者もバカだった。くそ、いい加減になったって、全然楽になんてならないじゃないか。本部から売上が落ちてると言ってくる回数が減るわけじゃ無いんだ。やっぱり苛々し続ける。胃も痛む。  その上朝っぱらからこれだ。苛々しながら見てると、新人が低く聞いてきた。 「俺の給料ですが、いつ受け取れるのでしょう」  本当に朝っぱらから、なにを言い出すのか。イラッとしつつ、面倒ごとがまだあったことを思い出した。  この子と入れ違いで辞めたバイトの子の名義で時給算定してたから、本来の新人の給料より多く支払われてしまうのだ。その差額をどうするか。まさかこの子にそのままの金額は渡せない。差額はもらうとして、元の子とこの子と、月半ばで交代しちゃったから色々面倒だった。  元の子の振り込み口座は変更手続きしたから、支給されたら計算して、元の子の分は振り込んで、この子は口座分からないから手渡ししなければ。……ああ、面倒だ。  ふっと妙案が浮かんだ。  ────そうか、いっそ無いことにしてしまおう。ああ、それがいい。  だから鼻で笑って言う。 「なに言ってるの。店に迷惑かけたんだから、そんなの無しだよ」  新人は口を真一文字に結び、目を伏せて、そのまま黙った。この子はなに考えてるか分からなくて少し不気味だ。最初からそうだった。 「なんなの、君」  イラッとしつつ聞いたら、呟くような、さらに低まった声が返る。 「無し、……ですか」  そうだよ、無しだよ、あきらめて帰りなさいよ。  表情変わらないし反応も遅いし、本当はバカでしょう、七星ての嘘なんじゃない。こういうバカには、まともに付き合っても時間の無駄ってものでしょう。 「そうだよ。出勤は六回きりだし、時給も低いし、うちの損害考えたら足りないくらいだよ。分かったら帰んなさい」 「……損害額はいくらなんでしょう」 「だからチャラにするって言ってるでしょう。もういいでしょう、はい、お疲れさま」  そう言ってドアを閉じようとしたが、バイトの大きな手がドアをガシッとつかみ、それを阻止する。 「損害を与えたのなら、それはきちんとお支払いします」  低い声はどこか必死で、目にも強い光がある。 「その上でバイト料は別に下さい。お願いします」  どいつもこいつも、なんで言う通りにしない。まったくバカばっかりだ。イライラする。 「百万だよ」  学生ふぜいには手がでない金額。そう考えて適当に言った。  図体だけはデカい新人が、くちを真一文字に閉じる。 「百万、今すぐ払えるの? 無理でしょう」  ほら払えないでしょ? はいはいあきらめて、とっとと帰って。 「払わなければ、給料を受け取れないのですか」 「だからそういうコトじゃないって言ってるでしょう? ちゃんと聞いてよ。こっちはチャラで良いって言ってるの。君が損害額の補填なんて無理だと思うから、少ないけど給料の分でいいよってね、あくまで好意で言ってるのよ? だからもう黙って帰んなさい。分かった?」 「百万円をお渡しすれば、給料は頂けるのですか。それは分割でも良いんでしょうか」  ああ面倒くさい。この子、責任感強いって奴なのか。いや、やっぱりバカなんだろう。百万払わなくて良いよって言ってるんだから、安心すれば良いのに、なんで必死になってるの。 「だからもう、そういう面倒言わないで帰んなさいって!」  実際、畑田がカバーしたから金銭的な損害は出てないんだから、もういいよそういうのは。  それより気になるのは、発注が遅れたことで本部に変な疑惑を持たれてはいないかということの方だ。  ただでさえ売上が落ちて厳しく言われてばかりなのに、ちょっとした落ち度も立場を悪くする。それとなく調べて、問題になっているようなら挽回しなければならない。考えることもやらなきゃならないことも山ほどあるんだこっちは。バカな学生の自己満足に付き合ってやる暇なんて無いんだよ。  そうだ、やっぱりマニュアル通りに、バイトに厳しく当たらなければ。いい加減にやってても楽にならないのだから、早く以前のような売り上げを作って、前店長が出した数字は立地によるものだと証明して見せなければならない。バイトだのが邪魔するから思うような数字が上がらなかっただけなのだ。  自分が構築したマニュアルに沿えば、バイトやパートの教育にかける予算を削ることができるのだと声を大にして言う立場を手に入れる。そうすれば自分の有用性を証明できる。  やっぱり真面目にやらなければダメだ。あんな三流大学出に実質的な能力なんて無いのだと知らしめる必要がある。 「ほ~らね健朗。だから言ったじゃない」  若い声が聞こえ、ドアがガバッと大きく開いた。  その向こうには、派手な若い男と、大柄なスーツの男、そして畑田がいた。 「ひとが良すぎなんじゃない? 百万とかあり得ない数字言ってるの、分からなかった?」  水商売風の派手な男がニヤニヤと言い、眉を寄せた新人が呟く。 「……そうなのかも知れん、とは思った」 「なんなの君たち」  不穏な予感を感じつつ、だが弱みを見せてなるものかと声を張る。 「帰んなさい。警察呼ぶよ!」 「呼んでみろよ、おっさん」  スーツの男がニヤリと笑った。 「警察来たら困るのそっちだと思うけど」  派手な男がニヤニヤしながら手の中のものを見せる。なんだ? と注視する。……ICレコーダー?  いったいなにが…… 「店長さん、悪いな。今の録音したぜ?」  今の? 今のって……どれだ? 給料出さないと言ったことか? それとも百万の損害? 「だって適当ばっかり言ってたし?」  笑い混じりの声に呆然としていたら「でっ、出るわけないっ!」畑田が叫んだ。 「俺ちゃんとやったし! 本部にも自分で詫び入れて、支障ないようにした! 損害なんて一銭も無いッ!」  黙れバカ! だいたい、なんでおまえがここにいるんだ! 「恐喝とは予想以上だったよ。百万たあデカく出たなあ、おっさん」  スーツがニヤリと言った。  え、恐喝? 今のが? そんな……いや、そうなのか? ゾゾッと背筋が凍り、手が震えた。 「恐喝罪が成立するかは微妙だが」  妙に落ち着いた声が聞こえた。姿は見えないが、廊下にいるようだ。 「社内規定には反するだろうな。実名入りで怪文書を送るという手もある」 「本社に?」 「でもそれじゃあ、会社が隠すかもじゃねーの」 「それじゃダメじゃん。もっとガンッとダメージ来るようなさ」 「んじゃネットに流すとか」 「いいね! 音声に写真つけて動画上げちゃうか」 「おまえ得意じゃん、やれよ」 「オッケー」 「じゃ俺2チャンのスレであおる~」 「ツイッターとか!」 「おお~! 炎上間違いなし!」  次々と違う声が上がり、廊下には他にも何人かいるのだと分かった。手だけじゃ無く、膝までガクガクと震えてきた。  今のを聞いてた? いったい何人が? ダメだ、ネットとか会社に言うなんて絶対やめさせないと! 「やっ、やめてくれ!」  そうだ口止め! 口止めしないと、カネか? いくら払えばいい? そうだ、なんとかもみ消して、そうしなければ、これが本部に知れたら終わりだ────! 「カネだよな? そうだカネだろう! 分かった払うっ! いっ、いくらでも払うっ! なんでもする!」  派手が声を上げて笑った。スーツもニヤニヤして、新人はこっちを睨み、畑田は青い顔でぶるぶる震えてる。 「頼むよ! そ、そうだ、ひっ、ひとりひとりに、みんなに、うんうん、ひとり十万、……十五万?」  派手な男の手元に視線が釘づかせつつ言った。笑い続けながら放り上げ、受け止めしているICレコーダーを、アレをこっちに渡してもらえばいいのだ。金を払って、いくらでも払ってアレを取り返さないと! 「いや足りないならもっと! もっと払うよ! 金額を言ってくれ! だっ、だからっ、だからやめてくれっ!!」 「それではこっちが恐喝になる」  落ち着いた声が言った。 「我々の要求はそんなことではない」  派手な男がICレコーダーを見せびらかしながらククッと笑ってる。 「最初から給料払うって言えば良かったのにねえ」  限界まで見開いた目で、どこか冷たく見える笑顔を見返した。 「な、なに……」 「バカだね、あなた」  派手男は新人バイトの肩に腕を回した。 「せっかくお人好しの健朗が給料さえもらえれば良いって言ったのに、自分でぶちこわすなんて。面白かったけど」 「お、俺も!」  畑田が唇を震わせた。 「要求あります! 俺やめたいんです! だからちゃんと新人育てて下さいっ!」  その声は、先ほどの彼自身と同じくらい、悲痛な叫びだった。

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