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34.橋田はなぜ書くのか

「んぁ~、おはよ~」  脳天気な声は藤枝だ。起きたらしい。 「あれ、丹生田いねー」  同じく同室の丹生田は既に起きて、雅史に声をかけずに、そっと出ていった。おそらく必死であることを悟ったのだろう。 「ん~? てか橋田寝てねーの?」  見れば分かるだろう、と思いつつ、余裕の無い雅史は答えない。  ここから分かること。つまり丹生田には雅史の状況を推測して行動する能力があり、藤枝には無いのだ。  なのにこの藤枝は、無能力なくせに丹生田の考えてることが『分かりやすい』と言った。雅史から見て、丹生田という人物の感情や思考は推測しにくいと思えるのにもかかわらず、である。  そこからひとつ、導き出せる推論があった。  藤枝が丹生田のことを好き(ふたりとも男なのだが)なのが明らかである以上、恋愛感情が能力以上の観察眼を発揮してしまっているのではないか、ということだ。  まったく驚くべきこと、論拠もクソもない不条理である。だがそこに論理を求めるべきではないのかもしれない、ということだけは、まず分かってきたように思っている。とはいえそれが恋愛の心理という奴なのだとしたら、理解したとはぜんぜん言えないレベルでしかない。  だがもう少し観察すれば分かるかも知れないのだ。同じ部屋でカップル(男同士だし片想いのようだが)を四六時中観察できる、こんなチャンスはそう無いと思う。なので雅史はふたりが一緒の時はもちろん、藤枝ひとりの時でもなるべくそばにいるようにして生態観察を続けているのである。 「つかやべっ! 朝早食いなんだよなっ、急がなきゃ!」  藤枝は大慌てで身支度をして出ていった。言わなくてもイイと思えることも藤枝はすぐくちに出す。時々考えてることがダダ漏れになるが、本人は気づいていないようだ。笑止である。  ともあれ部屋は静かになった。雅史は集中する。  しばらくして廊下が騒がしくなり、藤枝が戻ってきたのだと分かる。丹生田の声はしないから、食堂で顔を合わせた誰かとだべっているのだろう。ドアが開き「じゃな~」という声とともに丹生田とふたりで部屋に入ってきた。  チラッと目をやると、いつもながら藤枝はニコニコで、丹生田はむっすりしている。  朝練へ向かった丹生田を「いってら~」と見送ると、藤枝は一気にだらけて「ふあぁ~あ」大あくびをした。 「まだねみ~。でも二度寝したらやべーし。あ、橋田メシ食ってねーだろ」  きっと腹とかボリボリやりながら言っているのだろう、と推測できたが、振り返る余裕は無い。 「早く食いに行けよ~、片付かねーとおばちゃん困るだろ」 「ん」  手を動かしつつ声だけ出したら 「うっし!」  とか無意味に気合い入れつつ出て行った。おそらく洗面しに行ったのだろう。また静かになった。  だいぶ経ってからバタバタと戻ってきて、「やべやべ」と慌てたように準備をはじめた。おそらく娯楽室か食堂で下らないことで盛り上がって時間を浪費したのだろう。藤枝はいつもそうなのだ。だれかれ構わず話しかけ、すぐ親しげになる。驚くべきコミュニケーション能力ではある。 「橋田っ! おまえも急がねーとっ! 講義遅れんぞっ! つかいつもにも増して反応薄いよおまえっ!」  藤枝はあらゆるものにツッコみながら生きている。時々「おまえうるせーよ」など適切なツッコミを受けているが、気にせず笑い飛ばしている。こういう人種は珍しくない。実家に3人もいる。 「つか橋田、メシ食った?」  リュックを持って部屋を出ようとしつつ聞いてきた。 「うん」  適当に答えると「じゃ早くしろよ! 遅れるって!」と続ける。 「今日は出ない」  雅史がそう答えると、「あ~、そっか~」とか言いつつぐずぐずしている。遅れるんじゃないのか? と思いつつ作業を続けていると、しばらくして 「うん、休むって言っとくな!」  バタバタ騒がしい音を立てながら、やっと出ていった。  静かになったので、雅史は集中する。  やがて連載二回目はなんとか形になった。通して読んで2回推敲したところで、香川さんへデータを送る。十時近くなっていた。 『これから寝ます。連絡は午後にして下さい』  とメッセージを添えた送信を終えると、雅史はベッドに潜り込んだ。眠るまでの時間だって思考できる。こういうときに面白い発想が来ることもあって、跳ね起きてメモしてしまうのだが。  この寮に来て、いろんな個性に触れ、自分のキャラに反映することができた。  姉崎の要素は魔法使いにピッタリだと思った。|標《しめぎ》と少し話して僧侶のキャラクターがはっきりした。主人公には丹生田の要素を加えた。寡黙なのは排他的だからでは無く、くちべたなだけで、実は色々考えているのだと、そういうキャラ付けをしてみたら、わりとうまく行った。  執行部の先輩たちや食堂や風呂で馬鹿話する連中や、その他にも脇キャラに良いモデルがいて、エピソードが、新キャラが、どんどん湧いてくる。兄貴たちが言ったように、ここはキャラクターの宝庫だったのだ。  しかしシーフに使えるような奴は見つかっていなかった。  小狡くて計算高くて用心深い。頭は回るが底が見えない女の子。そんなヒロインに合うキャラはまだ見つかってない。 (そもそも女の子がいないし)  講義に行けば女子はいるが、話しかけるとか無理だし、食堂とかで観察しようにも会話が聞こえるような距離には座ってない。サークルなどに入るつもりは無かったのだが、女子の観察という観点から、考え直すべきかもしれないと思い始めていた。 (その代わり、藤枝みたいに賑やかなやつを仲間に入れる、なんてどうだろう)  すばしっこくて顔がイケてて騒がしくて、なのに妙に真面目で単純で憎めない。そうだ、実はナイフの名人なんてどうだろう。顔がイケてるから女にモテて、村々で情報収集するのに使える、とか。 (いや、それじゃあ逃げてるだけだな)  そんなことを考えながら、雅史は眠りに引きこまれていった。  橋田家は父も母も兄貴も騒がしい。  常に誰かがしゃべり、必ず誰かがツッコみを入れて、陽気に笑う。みんなお気楽で陽気で、いつも笑いが絶えない。祖父母が来ても陽気な空気に巻き込んでしまうので、しかめっ面をキープできない祖父の顔は、なんか面白かった。  幼いころはどこの家もそんなもんだと思い込んでいて、毎日がなんだか楽しく、雅史も一緒に笑っていた。だが幼稚園でも学校でも、楽しくなさそうな人はいて、それは不思議だった。 (どうして笑ってないのかな)  幼いなりに観察したが、理由なんて当然分からない。 (へんなの。楽しいことを考えれば良いのに)  そんなことを思いつつ幼い雅史は楽しいことを考えて笑っていた。雅史にとってもっとも楽しいことは物語の中にあり、常に楽しかったからだ。  絵本から始まった読書遍歴は、すぐに文字がたくさん書かれている本へ移行した。物語の世界に入り込んでいるのが、幼い雅史はただ楽しくて、だからみんな同じように楽しいのだと、なんの疑問も無く思っていた。  やがて物語と現実の世界は違うのだと気づきはじめ、家族も含めた周囲を冷静な目で観察するようになった雅史は、話しかけられてもため息ひとつで終わらせるような冷めた子供になっていく。  本ばかり読んであまり笑わなくなった子供を、周囲は心配して友達と遊ぶよう促したが、雅史は本から離れようとしない。一計を案じた兄は、雅史が好きなイルカと友達の少年の話を持ち出して一緒にプールへ行こうとそそのかし、雅史はプールを気に入った。黙々と泳ぎながら仮想のイルカと遊んでいたのだが、その様子を兄から聞いた親は少し安心した。  といっても、雅史は騒がしい家族に付き合う労力を惜しんだだけで、継続して毎日を楽しんでいた。面白すぎる世界へのめり込むのは、やはり最高に楽しかったのだ。本の中には現実世界とは違う日常を生きていくキャラクターのさまざまな生活があり、本を読んでいる間、雅史は彼らとともにそこで生きていた。  指輪物語、コナン、ナルニア、ダレンシャン、ゲド戦記、バスチアン、モモ、ファーシーア、エラゴン、パーシー・ジャクソン、デルトラやローワン、十二国記、精霊の守人────  次々と新たな世界を知り、気に入ったのはすっかり覚えるほど何度も読み返す。本の中で語られる世界に浸る時間は、とても幸せで楽しくて夢中になった。  そんなだからハイファンタジーはがっつり読み込んでいるという自負がある。そこから派生していろんな国の神話や妖精譚、ハードSFも読み込んだ。  それが高じて自分で世界観を構築してみたりし始めたのも、楽しいだろうと思ったからだ。  やってみたら案の定楽しくて、アイディアが出たら授業中でもノートの端に書き込んだりしていた。好きなものを詰め込んだから、中世ヨーロッパと古代中国とギリシア神話なんかが混じり、意地悪な妖精が出没する世界になった。つまりなんでもアリである。  最初はエクセルにまとめていたデータが、そのうち文章となり、生活の描写になった。なんとなく浮かんだいろんな住人の生活を書いてみた。  あくまで遊び、自己満足のための作業だったのだが、それから(こういう風にすると、もっと面白いのになあ)などと本を読んでいて思うようになった。それを2チャンのスレで呟いたりしたのは、軽い気持ちだったのに 『なにえらそー』 『じゃあ自分で書いてみたら』 『できるわけねーwwwwww』  なんて、その小説の信望者らしいネトウヨにさんざん叩かれた。バカくさくて反論もしなかったが、雅史はひそかにむかついていた。  そんなころ、帰省していた五歳上の兄貴が言ったのだ。 「最近、ライトノベルじゃウェブ小説で人気あるやつを持ってきて出版するんだよ。ある程度利益が読めるし、メディアミックスしやすいからな。まあそこら辺は営業部で頑張るトコなんだけど」  漫画とライトノベルがメインの中規模出版社で営業部に所属している兄貴が、そんなことを偉そうに言った。だが就職して二年目。まだ新米、ぺーぺーだ。そんなたいそうな仕事してるわけがないと思いながら聞いていた。兄貴はいつも調子いいことばっかり言うのだ。  だからそのまま鵜呑みにする気にはなれない。  まして小説家になりたいとか考えたわけでも無い。  ただ思ってしまったのだ。 (────ウェブか。そういうのに書いてみるのも楽しいかも)  最初は自分が考えた世界を他の誰かにも見せたくなっただけだった。

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