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37.学食にて

「なあ……」  ざわめく昼の学食、カツ丼に伸ばした箸を止め呟くと、並んで座る丹生田がチラッと目を上げた。  目が合ったので、無自覚にニヘッとしてしまいつつ、 「橋田さあ、大丈夫かな」  眉尻は下がったまま続けると、丹生田も少し眉を寄せて小さくため息を漏らし、大盛りカレーを口に運んだ。  それで丹生田も気になってるんだと分かって、簡単にちょい癒やされて、くちもとに小さく笑みを乗せてカツ丼をくちに押し込む。  今朝の橋田は、やっぱりなんかおかしかった。  話しかけても聞いてるんだか聞いてないんだか分からない感じで、なんとなく以前トランス状態になってて怖かった橋田を思い出してしまって、気まずいような、触れちゃいけないような、そんな感じでなにも言えないまま部屋を出てしまったのだが。  いつもは三人並んで受ける講義を丹生田とふたりで受けるのは、それはそれで浮かれる出来事ではあったのだが、ふっと我に返ると気になってはいた。あの状態の橋田を放置して出てきたことに罪悪感というか、強引にでも引っ張ってくるべきだったんじゃ無いかとか、そういうことを考えてしまっていたのだ。  黙々とカレーを食べる丹生田の隣で、ため息を漏らしつつカツ丼を運んでいたら、毎度おなじみ余計な姉崎が 「なになに、なんかあった?」  楽しそうにくちを挟んできた。たぬきそばと親子丼をニヤケ顔でがつがつ食いながらという、おざなりな言いように、くちもとがおのずとへの字になる。 「あったってかさあ、なんかヘンつうか」 「ヘンって?」  姉崎がいかにも適当なくちぶりで言うと、丹生田がカレーを注視したままぽつりと言った。 「確かに、必死に見えたな」 「だろ? なんかヘンだろ?」  勢い込んで言うと、丹生田は目を上げ小さく頷く。  興味深げに「へえ? 必死、ねえ?」とかニヤニヤしてる姉崎なのだが、なぜか今日はあんまりイラッとしない。きっと橋田が気になって、こんな奴どうでも良いからだ。  とはいえ他のメンバーはまったく無関心て感じで、窓際にあるテーブルを二つくっつけてギュウギュウに座り、それぞれかなりのボリュームをくちに運ぶのに集中してる。  いつも集まりがちなメンバーは長谷と峰と山家(やまや)、広瀬に森本に武田に小松、レアだけど今日は(しめぎ)もいる。のだが。 「つうか!」  俺はイラッと声を上げた。 「いつもにまして反応薄いし! 講義出ないとか初めてだし! それに!」  賢風寮の一年生、良く集まってしまうこのメンバーが、二限が終わってなんとなく学食に来たのだが、藤枝が話題に上げた通り、橋田がいないのは珍しい。いつも同室の二人と行動を共にしているイメージがあるのだ。  その代わり、今日は(しめぎ)がいた。たいてい講義室の片隅とか廊下のベンチとか、天気が良ければ屋外のベンチとかで本を読みながらチョコバーをボリボリ囓っているのだが、今日はここに来る途中で標を発見した藤枝が、いつものごとく余計なお世話を発揮して 「おまえ野菜食えよ!」  などと強引に引っ張ってきたのだ。 「おかん……」  とか言いながら特に抵抗することなくついてきて、野菜食え野菜! と騒ぐ藤枝に逆らうこと無くグリーンサラダを購入した。プラスいつも持ってるチョコバーに、姉崎のおごりのコーヒーという不思議なラインナップで食ってるが、標のやることが不思議なのはいつものことなので、このメンバーは誰も気にしてない。  というか、会話は殆ど無い。みんな、量がそれなりに多い昼食を胃に収めることの方に意識が向いているのだ。ゆっくりランチを楽しもう、なんてタイプはここにいない。  そんな中、藤枝ひとりが、カツ丼をくちに運ぶ箸の動きを止め、アピールするように声を高めた。 「聞けよおまえら! それに橋田、寝てねえみてーだったんだよ! なんか悩みとかあんのかな!? なあどう思うッ!?」 「なーんだ、そんなこと?」  軽い口調の姉崎に「じゃ、ねえし!」なんて藤枝が言い返すのは既に反射、というか見慣れすぎてて誰も声を挟まない。藤枝の声がデフォルトでデカいのも慣れてるが、アウェイである学食ではなにげに注目を浴びている。  敵意露わに姉崎を睨んでいる藤枝に、そんな自覚は無いようだが、それも今さらなので、誰も指摘しない。 「だって気になんだろっ! おまえら平気なのかよっ!」  矛先を向けられ、同じテーブルのメンバーは、くちを動かしながら目線を交わしあう。 「ん~~」 「別になあ」 「気になるか、つったら」 「気にならん」 「そうそう」 「あいついっつもそんなんじゃね?」  ぜんぜん乗ってこない連中をキッと睨みつける藤枝へ、速攻で親子丼を攻略し終えた姉崎が、たぬきそばをずずずとすすりながらヘラッと言った。 「ホント、藤枝って平和だよねえ」 「平和ってなんだよっ! バカにしやがって!」  腰を浮かし箸を振り上げて、またも大声を上げた。  その声はざわつく学食の中でもひときわ大きく、ハッキリ言ってかなり目立っている。  だが騒いでいるその姿を見ても、藤枝を知らない周囲の学生たちは 「ガイジンて声デカいしオーバーアクションだし」  的な納得をするのだ。  高い鼻梁といい、くっきり二重の目元といい、高めの頬骨といい、藤枝は日本人離れした顔をしているのだが、寮のメンバーは、このイケメンがただ騒がしいだけで中身はこってこての日本人でダサダサなのだと知っているので、まったく気にしなくなっていた。  この学食はかなり広いが、昼時は殆どのテーブルが埋まり、端まで見通せないほどの賑わいとなる。といっても隣のテーブルではニヤケ顔で女子としゃべりながら食ってる野郎がいるし、女子ばっかりできゃいきゃい騒いでる楽しそうな世界もある中、窓際にあって日当たりだけは良いこのテーブルはむさくるしかった。色気無いにもほどがあるだろーが、と声を上げたいところである。 「猪突猛進」  そんな中、ぼそっと標の声がした。  すぐつまらなそうにコーヒーをすするのに目を向けつつ 「な~~」 「いちいちうるせーよな」  とか、同意の声を漏らしつつ、みんなが淡々と食い続ける。お約束のように藤枝がヒートアップした。 「なんだよおまえらっ! 友達甲斐なさ過ぎ!」 「ちょっと待って?」  妙にキラッとした雰囲気の、このテーブルでは違和感アリアリの姉崎が、いち早く食い終えくちを開いた。 「ねえ標、それって橋田が、てこと?」  面白そうに見開いた目で問いかけた姉崎に、チラッと目をやった標は、何も言わずにくちもとだけで笑う。 「え、藤枝じゃなくて橋田?」  長谷が片眉上げて聞いた。 「なんだそれ」 「ないない」 「つうか橋田って冷めてるだろ」  長谷と同様、みなくちぐちに言ったが、標は曖昧な笑みを浮かべたまま意味ありげに視線を巡らせている。ハテナを飛ばす面々の中、ひとり藤枝が食いついた。 「なんだよ、なんか知ってんのかよ」 「そうだよ教えろよ」  山家も口を出してきた。同じ国文だから、橋田とは接点があるし気になるんだろう。それに促されたか、標はくちを開いた。 「知らないよ、なにも。ただあれは」  珍しくもクスッと笑って一拍置いた標の声は、ぼそっと呟くようなのに、みんな引きこまれるように聞き入った。 「見えてないんだ。だから猪突猛進」  だが続いた言葉に、やっぱり長谷が声を上げる。 「橋田があ?」 「猪突猛進たら突っ走るってコトだろ?」 「そんなタイプじゃねえよ」  広瀬と武田の声に峰が頷く。 「むしろ冷めてるつうか、なあ」 「つか反応薄いよ? いっつも本読んでて、でも話は聞いてるっぽいけど」  困惑気味に藤枝が言うと、「そうかなあ」とニコニコしたのは姉崎だ。 「本読んでるフリしてるけど、けっこうチラチラ見てるでしょ」 「チラチラなにを?」  小松が問うたが、いつも通りヘラッと笑った声で「知らな~い」とかほざいてる。 「けどきっと耳に神経集中してるんだろうなあって、僕は思ってたけど?」  学食の味気ないテーブルで、プラスチックカップなのに、窓からの陽光受けて、コーヒー飲む仕草が妙に優雅である。さらに俺は知ってるぞ的な偉そうな笑顔。コレは藤枝でなくてもムカつくわ、なんてみんな思ったが、くちに出しはしない。藤枝とは別の意味で、姉崎もじゅうぶん面倒くさいからだ。  藤枝も放置していたカツ丼に集中している。どうやら無視することにしたようだ。 「もしかして標もそう?」  ニコヤカに姉崎に問われた標も微笑み、「まあね」とか言いつつ、藤枝の方をじっと見た。視線を感じたのか、ふと顔を上げた藤枝が、拗ねたような顔で「なんだよ」と言い返す。 「あれは猪突猛進タイプだよ。聞きたいこと以外聞かない、見たいもの以外見ない……見えない。意識的にか無意識かは分からないけど、集中しちゃうんだろうね」 「はあ?」 「んなわけねえって」 「突飛すぎだろ」 「つか橋田って冷めてるし」 「そそ、いっつも冷静つか」 「なにげに大物な感じだよな」  姉崎以外、標に同意する者はいなかった。  箸の止まった藤枝を気にするように、丹生田がチラチラ見ている。  姉崎は面白そうな笑顔で二人を見て、くちもとだけに薄く笑みを載せた標は、どこも見ていないような、全部見渡してるような、不思議な目をしつつ 「まあ、僕の主観」  そう結論づけて、チョコバーを囓る。  標の言葉を聞いて、俺は作夜から今朝の様子を思い出し、思わず呟いてた。 「……そっか」  今、標の言った集中というキーワードで連想したのだ。  丹生田が集中すると声が聞こえないようだ、ということには気づいてた。肩叩いたりしたときビクッとして、コッチ向ける顔がビックリしたような感じになってて、コレがなかなか可愛い表情で、いちいちドキバクするのだが、それはともかく。  今朝の橋田がそれと同じだったとすると──── 「んじゃ…俺の声とか聞こえて無かった……?」  思わず呟いたら、じっと見たままだった標が笑みを深めた。いかにも『良くできました』と言ってるようで、なんか偉そう、と思いつつカツ丼に集中することにした。

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