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57.丹生田と夏休み

 ぱぁぁぁん  道場に響く音。  面を(したた)か打たれ、飛ぶように一歩引いて 「らぁぁぁ!」  竹刀を振りながら半ば裏返った声を上げた。 「自分から入ってこい!」  対峙する者の叱声。そして脇からも鋭い声が上がる。 「打ち負けるな!」 「踏み込み弱い!」  呼応して左足を大きく前に出し 「さぁぁっ!」  声と共に鋭く振り抜いた竹刀は相手の小手先で受けられたが、声を上げつつさらに踏み込み、振り上げた竹刀でたたみ込むように打ち込んでいく。 「打たれた後! 打ち返せ!」 「らあぁぁぁっ!」  中央で打ち合うのは丹生田と先輩。  ここは体育棟の二階、剣道場。周囲から怒号が飛んでる。 「よく見て! 気ぃ抜くな!」 「そこそこ!」 「受けっぱなしになってるぞ!」  激しく打ち込んだ丹生田の竹刀が、相手の小手に当たったように見える。そのまま相手に身を寄せて小手で相手を押す感じ。 「そうだ、もっと押していけ!」  面つけてるし胴着とかほとんど同じだけど、丹生田の方がデカいから区別付く。そんで分かる。  なんとなく、負けてるって感じ。  合宿から戻った丹生田は、けっこう満身創痍になってた。  体中あちこちテーピングしてて、風呂入る前に剥がして、部屋戻ってまた巻いてたりして。じっと見てたんだけど「手伝う?」とかって右腕巻くの手伝ったりした。  なのに翌日、当たり前みたいに稽古に行くって言うから 「大丈夫かよ。怪我してんじゃねえの」  とか聞いたんだけど、 「これは怪我じゃない」  なんて言うし。  でもやっぱ気になるつか心配つか、丹生田って剣道だと無茶する感じあるし、やっぱ気になるわけで。  寮のクソ暑い部屋で練習の間待ってるのもなあ、つうのもあるし。いや勉強とか、やることはあるんだけどさ、でもなあ、とか思うわけで。  なんで聞いた。 「俺も見に行っていいかな」 「つまらんだろう」  やっぱ言われたけど「てか暇だし、見てみてえし」とかって付いてきて、丹生田が見学者です、とかって先輩に話通してくれたわけなのだが。  なんつうかジリジリする。  丹生田めっちゃ頑張ってンの分かるだけに、押されてる感あって、なんつうか丹生田やられてる感じがどうもこう、なんつうか……やっぱジリジリしちまうわけで。 「あれ、藤枝くん?」  かかった女子の声に、なんとか丹生田から意識剥がして顔上げる。経済学部で一緒の原島だった。白い剣道着に胴つけて竹刀持ってる。 「おお、おまえ剣道部だったの」 「知らなかった? これでも強い方なんだけど」  原島はなぜか余裕の笑みだ。けどやっぱ竹刀の音とか声とか気になるわけで、目は丹生田の方に行っちゃうわけで。 「……ああ、丹生田君か。学食とか良く一緒にいるもんね。見学?」 「うん」 「藤枝くんも剣道部入るの?」 「いや……」  丹生田は怒号上げながら打ったり、ステップみたいに下がったり、よく分かんないけど色々やってて、けっこう先輩に怒鳴られてる。面つけてっから顔分かんねーけど、大丈夫なのかよ。  ああ、また打たれた。竹刀っても打たれたら痛いんじゃねーの? 「丹生田君、ちょっと伸び悩んでるっぽいのよね」 「え、そうなの?」  パアン、と打たれた丹生田はステップ踏んで下がる。 「ほら今の、分かる?」  丹生田から目を離せないまま、「なに。分かんね」呟くと、「ほら、また」原島が続けた。 「彼、筋力あるから打突は強いのよね。でもそれだけで勝てるのって中学くらいまでだから」 「どゆこと?」 「気合い負けするっていうか、引いちゃうみたい。無意識なんだろうけど、打たれた後、追い込みが足りない。惜しいよね~、絶対強くなれそうなんだけど」  ちらっと原島に目をやると、稽古の様子をじっと見てる。俺もまた丹生田に注目だ。 「力だけじゃ無く試合運び冷静だしフェイントうまい、けど逆に考えすぎなのよ。瞬間的な動きって頭で考えるものじゃないんだけど。……それくらい分かってるとは思うけどね。合宿でも抜き胴とか出小手とか集中してやってたし、渡辺先輩もかなり厳しく稽古つけてるし。絶対勝つって気迫が足りないんじゃないかな、なんて偉そうか」  あんまり褒めてねーな、てコトは分かる。  けどディスってる感じじゃねー。もっと頑張れよって思ってるのも分かった。 「渡辺先輩って、今の相手のヒト?」 「そう。部長で関東学生選手権で優勝してる、すごいヒト。全日本に丹生田くん連れて行きたいんだろうな」 「全日本。丹生田って、それ行くの?」  思わず聞いたら、原島はコッチ見て微妙に笑いながら「さあね」首を傾げた。 「うち、選手層厚いし、丹生田君は飛び抜けてうまいわけじゃないしね」 「てか原島は行くのかよ、それ」 「行くよ」  そう言って原島は勝ち気そうに笑った。 「いちおう高校女子チャンピオンなの。大学でだって負けないよ」  そっか~、なんて呟きつつ、パアンと面を打たれた丹生田がまた距離を取ったのを見つめる。 「やめ!」  声に中央でキッチリ礼をする、丹生田の息が上がってるのが分かる。そのまま渡辺先輩になんか言われて、何度も頷いた。  終わるとキッチリ礼をして反対側の端に行き、そこにいる先輩たちにも礼をして、手振りで示された場所に座り、面を外した。汗だくだ。  思わず立って声をかけに行こうとしたけど、丹生田が先輩たちに話しかけるのを見て足を止める。  問いかけてる様子はひどく真剣で、それに応える先輩たちも真剣な様子で、話し込んでる雰囲気ぱねえ。とてもじゃねーけど剣道のケの字も知らないやつが立ち入れる空気じゃ無かった。 「邪魔しないであげてよね。部外者には分からないだろうけど、いますごく頑張ってるんだから」  原島の声が聞こえ。  目を丹生田から離せないまま、そんなこと分かってる、と思う。  頑張ってる。丹生田はめっちゃ頑張ってる。  今だけじゃねえ、丹生田はずっと頑張ってた。  だから応援してやると決めてた。  でも足りないんだ。  そう思ってなにが出来るだろう、と考えたが、すぐ思いつくなんてことは無かった。  ひとりすごすごと部屋に戻って、ずっと考えた。 『丹生田を助ける』  ずっとそう思ってて、めっちゃ応援する、とか単純に思ってたけど、あんな頑張ってる丹生田を見てたら、他にもっとできることねーのかな、とか。  身体中あちこち痛いに決まってンのに、むしろ身体いじめてるみたいに見える。詳しいこと分かんねーけど、原島が言ったことも分かる。  丹生田はなんか藻掻いてるみてーで、そんなん見てるこっちまで辛くて、少しでも助けになることねーかな、とか。考えても考えても明快な回答なんて出なくて、ひとりの部屋でキレて、やけくそみたいにレポート作成してた。  なんかに集中しねーとグダグダに空回りするってか耐えらんねー感じで。  夜七時近くに丹生田が戻ってきたとき、PC打ち込み途中だったけど放り出し、すぐ立ち上がってニッと笑いかけた。 「お疲れ! メシ食いに行く? あ、風呂先に行くか?」 「ああ。腹が減った。だが藤枝は忙しいのではないのか」 「ゼンッゼン平気! 俺も腹減ってたし行こうぜ!」  ニカッと笑って言うと、丹生田は「そうか」と少し笑い、一緒に食堂行った。  同じB定食とうどんを選んで席に着く。さっそく食べ始めた丹生田が、ついでみたいに訥々と話したことに、驚きと喜びで「えっ、マジ!?」思わず声を上げた。 「奨学金おりんの?」 「ああ」  つまり、世帯収入が奨学金で規定されてる上限を超えてたため、丹生田は奨学金を受けられなかったわけなんだけど、スポーツ奨励奨学金てやつを受けられるよう、部の先輩たちが動いてくれたんだって! 「やったじゃん! んじゃこれからは、剣道と勉強だけ頑張れば良いってことだよな!」 「ああ」  ぱああ、と湧き上がる喜びに、思わず箸を振り立て「良かったなあ! マジ良かったなあ丹生田!」と繰り返す。  すると丹生田はいったん箸を置き、コッチじっと見て 「藤枝には世話になった」  言って、きっちりアタマを下げた。 「え、いや、俺なんてゼンゼン」  顔を上げて、丹生田はまっすぐコッチ見る。なんか言うべき? とか思って、でも喉が詰まったみてーに声出なくて、したら丹生田は少し笑った。 「これからはそう心配かけずに済むと思う」  ────え…… 「藤枝が、色々と気を回してくれていたのは分かっている。俺もつい甘えてしまっていた。だがおかげで先行きが見えてきたように思う。なにもかも藤枝のおかげだ」 「……いや」  なにげに力抜ける。 「俺なんてンな特別なこと……してねーし」  なるべく自然な感じ意識しつつ、メシ再開しながら言うと、丹生田は笑みを深めた。 「ああ、藤枝には当たり前のことなんだろう。だが俺は助かっていた。ありがとう」 「いいっつの。つか……ああ、そっか」  やべ。  ヤバくねコレ。だってなんか出来ることねーかって考えてて……ヤバいっしょ、なんか勢い殺されまくってる、つか……いやいやいや、ンなの勝手に思ってただけだし丹生田に気ぃ使わせちゃマズイだろ……?  だから、なんとかニカッと笑った。 「じゃあ……今度なんかおごれよ!」  そう言ってやると、丹生田も笑んだまま頷く。 「もちろんだ。すまんが、奨学金給付まで待ってくれ」 「いつでも良いっつの、そんなん」  笑って言って、メシかっ込むコトに集中したけど  やべーくらいテンション下がってる自覚は、あった。

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