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64.新たな始まり
四月1日。
世間一般ではエイプリルフールとか言われる日だが、彼にとっては、さらに重要な日だった。
新たな生活の始まり。
その第一歩を踏み出すため、リュックを背負って、彼は黙々と歩く。
大学の門を通り、さまざまな建物の間を通る曲がりくねった道を進み、四角い建物を目指した。
正面ガラス扉の脇に金属の板が貼ってあり、文字が浮き出ている。
『賢風寮』
(ここでこれから生活するんだ)
彼は自分に確認するようにそう思い、意を決してドアを開いた。
「来たか! 名前は!」
いきなり鼓膜が破れそうにドスのきいた大声が響き、「あああああの」目の前の厳つい大男に目一杯ビビる。
「たっ、たかいゆうき、ですっ」
「なんだその声は! 腹から声を出さんか!」
「すっ、すっ」
「ああ、いいよタカイくん。あのねコタニ、脅かさなくていいからね?」
貧相な茶髪がニコニコと声をかけ、いかつい大男をちょっと睨むと、大男はムッとしつつも黙ったので、彼はあからさまにホッとした。
「Welcome to our domitory! Hey,タカイ this way」
メガネをかけた妙にキレイというかヘンな迫力あるイケメンが爽やかな笑顔で話しかけてきて、彼は思いっきりビビりつつ混乱した。
(なんで英語だ? ココって英語が公用語? いやでもさっき日本語だったし! え? どういう?)
「あ~あ~、ゴメンなあ、コイツ気にしないでいいから、こっち来いよ」
またイケメンが出てきた。外人みたいな顔してるけど、ちゃんと日本語だ。彼は少しホッとしつつ「はい」と答える。
「Hey, you stupid? Why do you disturb my splendid instruction?」
めちゃめちゃ流暢な英語が背中から聞こえたが、ここまで流れるようだとナニ言ってるか分からなくて、むしろ聞き流せる。ちょっと背後を気にしながら日本語のイケメンについて行くと、畳の上にたくさんの段ボールが積まれた部屋があった。先輩が何人かいて、「タカイユウキくんだって」とイケメンが言うと「ちっ、外れたぜ」ガタイの良い人が言った。
「ハタヤマにかけてたのに」
「俺も外れた」
やっぱりデカ目のもう一人がヘラッと言ってる。
「じゃあドローだな」
はははと笑ってるが、なにか悪かったかなとキョドッてると、爽やかな感じのヒトが「だからなんでもギャンブルにするな」と二人に怒って彼に笑いかけた。
「タカイくん、きみの荷物探すよ」
「208だよ~」
後ろから聞こえた声に振り向くと、さっきのメガネイケメンだった。日本語しゃべれるのか。
「また無駄な記憶力発揮したのかよ」
外人ぽい先輩がキツく睨んで言ったが、メガネは「無駄じゃないじゃん」まったく気にする様子は無い。
「そんなん二度と使うことねーじゃんよ、バーカ」
「バカにバカって言われると、なんでこんなに屈辱的なのかなあ」
「バカって言う奴がバカなんだよっ!」
ケンカ腰の会話が始まったが、みんな気にしてない。
「あ~、あったあった」
「こっちおいで」
「この2つと布団。きみので間違いない?」
「あ、はい」
彼は自分で名前を書いた段ボールを持ち、布団袋を持ってくれた優しそうな先輩について階段を上った。
「208……ここだ」
部屋に入ると左右にロッカーのような押し入れ的なものと本棚がある。そこを進むと正方形に近い部屋になっていて、窓際と左右の壁にベッドが一つずつあり、中心部にデスクが三つと小さなテーブルがあった。
「基本、早い者勝ちだから好きなとこに陣取って。同室が来てから話し合って決めても良いし」
先輩は布団袋を下ろしながらそう言い、「ま、とにかく」彼に右手を差し出した。
「賢風寮へようこそ。楽しくやってこうな」
*
「あ~、疲れたぁ~」
自分のベッドにドサッと寝転ぶ。
総括はリネン類の貸し出しとかあるから、新寮生には説明しなくちゃで、なにげに動き回ってた。
「お疲れ」
丹生田の低い声に癒やされながら、
「つうか姉崎の奴、英語とかベラベラやって新寮生ビビらせるからさあ」
とかなんとか、ひとしきりぐちを吐き散らす。
結局、俺は総括のナンバー2、副部長に収まっちまった。
執行部では無いし、あんま表には出ないけど、一応役員の端っこになったわけだが、新部長の大熊先輩は帰省中、前部長の唐沢先輩は「俺は引退だもんね」とかカラッと無責任になってるし、誰もやってくれないので俺がやるしか無く、けっこう忙しかった。
総括の最初の仕事として、掃除の班決めなきゃなんで、なにげに食堂でも風呂でも新寮生を見る必要があったのだ。
俺たちは一年のとき反発していたんだけど、掃除を1年にやらせるのにはちゃんと意味があった。
七星には全国各地からいろんな奴が集まる。うまくやれる奴もいるがそうじゃない奴もいて、そこら辺の分かれ目は入学して一ヶ月くらいの間に知り合いを作れるか否かにかかっている。
そこでせっかく賢風寮に来たわけだから、寮内で人間関係作らせちゃおう、というのが、一年生に掃除させる制度の狙いなのである。
まあ、衛生上の理由ってのはあるけど、正直そこまできれい好きじゃ無いのが大半を占めるこの寮で、毎日共用部の掃除をする必然性はあまり無い。扉一つ開けば、そこはゴミためな部屋がごまんとあるのだ。つまり毎日じゃなくてもイイわけで。
なんだけど、部屋割りや学部に囚われない、寮生活だからこそ出来る人間関係を早く作らせちゃおうぜ、つうことで毎日強制的に掃除で顔合わせるようにしちまう、つうのが狙いなんで、班は作業ごとに違う。風呂掃除の班分け、トイレ掃除の班分け、水場の班分け、1階の廊下、二階、三階、四階と、それぞれ班を作って当番表にする。そこでなるべく同じ顔合わせにならないようにするので、けっこうな大仕事なのだ。
そんで、あきらか合わない奴を同じ班にしない方が良いから、総括は新寮生の様子を見てる。入寮した途端ケンカになりかけた奴なんかは、とりあえず距離を置く方が良いから同じ班にはしないとか、色々考えること満載なのだ。
総括はそういう仕事をやっている。トイレットペーパーを補充してるだけじゃ無かったんだよ。
そんなこと知ったのは夏過ぎだ。そう言われれば確かに有効だったわけで、俺たちの学年は、必要以上に横の繋がりができあがっちまったんだし。まあそれなりに意味がある制度だってコトで、今年も継続することに、元一年も反対しなかったのだ。
ギシッと音がして、目を開けると丹生田が椅子から立ってこっちに向かってきてた。
「な、…んだよ」
ベッド脇でめっちゃマジな顔して見下ろしてる。ちょいドキッとかして、ヤバ! とかキョドる。
「うつぶせになれ」
「は?」
「いいから」
なんか分かんねーけど、まっすぐ見下ろす眼差し見返してたらヤバいことになりそうだったので、素直にうつぶせになった。するとベッドに丹生田が乗り上がってきた。
(え? え? え?)
激しく戸惑ってると、背中に温もりを感じた。
手だ。
丹生田の手が背中に乗って、さするような撫でるような動きをする。
なんだ? なにしてんの?
焦って体中にチカラ込めまくった状態になってたら、指先に力がこもり、背筋にそって押し始めた。
「……う……?」
思わず唸った。なんだコレ、めっちゃ気持ちイイ。
「え、マッサージってこと?」
「……ああ」
低い声が降る。
背を押していく指は、すごくていねいに動いてる感じがした。ツボ探ってんのかな、とかちょい思ったけど、そんなんどうでも良くなる。
めっちゃ癒やされる。そんで気持ちイイし。
「んぁぁ……」
「…………」
指が止まった。どしたんかな。あ、ヘンな声出したからかな? 引いた?
とか焦ってたら、また指は動き始めた。
今度はヘンな声出さないように気ィつけないと。ンでもつい出ちまうんだもんよ。いやいやいや、イカンって、キモいとか思われたら最悪じゃん? んでもせっかく丹生田がやってくれてんのに断るとかあり得ないくらい惜しいし。
だからくちにエアチャック!
「……力を抜け」
したら速攻ツッコまれた。
「あ~、いや! ヘンな声出ちまったら、その、キモいだろ?」
指が止まり、ため息ついたのが分かった。
「そんなことはない」
ハッキリと否定する語調に、ちょい安心。
「俺が2週間いない間に、荷物を移動してくれていた。そうでなくとも藤枝は忙しかっただろうに」
「いや、つうか、ついでだし。どうせ同じ部屋になんだし」
「……ああ」
低い声が降り、指が再びツボを押し始める。
「藤枝はそう言うと分かっている。だが、ありがたいと俺は思った」
一定のリズムで、絶妙の力加減で、丹生田はマッサージを続ける。
「だからおとなしくマッサージくらいさせろ」
「………………うん」
指は肩や首筋もほぐしていく。
めっちゃ気持ちよくて、いつの間にかそのまんま寝てた。
*
3Fの執行部室、ひとり部屋のドアを、丹生田健朗はノックもせずに開いた。
「健朗!」
部屋の主はメガネ越しにキレイな目をきらめかせている。
「で、どうだった?」
「…………」
健朗は黙ってソファに座り、落とした視線で自分の手をじっと見た。
「なんか言いなよ。触ってみたんでしょ? どんな感じだった?」
「………………」
少し眉を寄せて、自分の手を見たまま、動こうとしない健朗に、焦れた姉崎は席を立ってソファの隣に腰を落とし、肩を抱くように腕を回して顔を覗き込んだ。
「マッサージだったらイケるって教えたでしょ。それともうまく触れなかった?」
「いや」
「触ったの? マッサージで?」
小さく頷いた健朗を、楽しげな光に満ちた目で見つめつつ、姉崎は低く聞いた。
「どんな気分になった?」
「…………」
「原島と同じ感じ?」
「いや…………違う」
「原島のが良かった?」
「…………比較にならない」
「どういう意味で?」
「…………うまく説明出来る気がしない」
「ふうん?」
低い声を漏らし、姉崎は嬉しそうに目を細めた。
「で、どうするのさ、原島のこと。3回エッチしたんでしょ?」
健朗は目を上げた。まっすぐ姉崎を見る視線は睨むようだ。
「怖い顔しないでよ~。僕はフリーセックス派だよ? 下らない道徳を語ろうなんて思ってない。ただ知りたいだけ」
戸惑うように揺れた視線を受け、姉崎はニッと笑った。
「だから教えてよ。ね?」
《4部 藤枝 完》
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