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69.食堂にて
思わず頷いたのに、姉崎はクスクス肩揺らし、愉快でたまらないと言いたげな顔で
「ひ、み、つ~」
にんまり言い、堪えきれないと言いたげにまた笑いやがった!
「なんっだソレッ!?」
カァッとアタマに血が上り、怒鳴りつけつつ手に持ってた箸を投げつけたが、姉崎は笑い続けながら軽く片手でかわし、箸はテーブル上に落ちた。
「ごめんね~?」
少し首を傾げてニッと笑うのは、いつもの姉崎でしかない。またからかおうとしてんだな、と思ったからむすっと黙る。乗せられてたまるか。それよりカッとして箸を投げてしまったことに(行儀悪くてゴメンナサイ)とか思いながら、バラバラに飛んでる箸に手を伸ばす。
「でも約束は守る主義なの。だから教えてあげられないんだよ~」
箸をつかんだ手が止まる。
「約束、って?」
それって丹生田と? 丹生田と約束、かなんかしてる、……つうこと?
「……なんでだよ」
箸を握りしめた手がブルブル震える。半ば食った定食を放棄し、噛みしめた唇からフウッと息を漏らした。
「なんでおまえが」
「ん?」
「……約束なんて、してんだよ」
姉崎はカレーをゴックンしてハハッと笑い、いつもの調子で言った。
「それはもちろん、あつっくるしい友情~がぁ、僕らの間に存在してるからじゃな~い」
アツい友情?
スプーン片手に肘をつき、ヘラヘラ笑うメガネを見ながら、腹の奥がぐつぐつ煮えるみたいな、ヤな感じがこみ上がってくる。
秘密を共有するような、二人だけの約束するような、そんな友情があるって? 丹生田と、姉崎、に?
「夜通し。朝まで。二人っきりで」
いやでもソレって友情か? 朝まで、二人だけで、ソレが────そうなのか? 友情、なのか?
「秘密にしなくて良いことなら、わざわざこんなことしないよねえ?」
じゃなくてもっと違うこと、なんじゃ──────
『そんなものはない』
────丹生田の
低い声が、聞こえた気がした。
聞こえるわけ無い。丹生田はここにいない。
首を振り、ギュッと目を閉じて深呼吸。
(冷静になれっての。いつだって丹生田は一言で姉崎を叩き潰すじゃん?)
淡々として揺るぎない顔が、閉じた視界に浮かぶ。
(そうだよ。いつだって丹生田は、姉崎に対してそっけないんじゃん)
自分に言い聞かせ、落ち着こうとしたのに、ふつふつと湧き上がってくるモンがあった。
そゆこと言ったら動揺するとか思ってンだろ。そんでバカにしたみたいにまた笑うつもりなんだろ。そうだよ、原島いるのに丹生田がコイツなんかとヘンなことするわけねえじゃん。丹生田はそんな奴じゃねえ、そうだ、そうだ。
「……テキトー言ってんじゃねえぞ」
呟くような低い声と共に睨みつけると、姉崎は嬉しそうにニッと笑った。
「へえ? なんでそう思うの?」
そうだ、姉崎の言うことなんて、いつだって信用出来ない。いつもいつもテキトーばっか言う奴じゃん。そんで人がイラッとするの楽しそうに笑ってんじゃん。
「いつもいつもいつも、い~~っつも!」
音量は徐々に上がり「いっつも!!」気づいたら怒鳴りながら椅子を蹴って立ってた。
ひとバカにして、テキトー言って翻弄して、あたふたするの見るのが
「そんな楽しいかよっ!」
激高して怒鳴りつけたが、肘付いたまま見上げる姉崎はいつも通りなめた笑顔だ。
「なにいきなり。ていうか、なんだって楽しむのが僕の主義ではあるけど。楽しんだモン勝ちでしょ」
スプーン持った手をヒラヒラさせながら機嫌良さそうに笑う姉崎を、テーブルに両手付いて歯噛みしそうになりながら睨みつける。
平和な学食の中でかなり目立ってしまっている自覚は無い。
「……そうかよ」
低く言った、次の瞬間。平手で思いっきり姉崎の手を払い、スプーンがその手から飛んだ。
「ふっざけんな!」
こぶしでテーブルをドンと叩き、怒鳴りつける。
「いいかげんにしろっ! ひとおもちゃにしてんじゃねえぞ!」
また振り上げたこぶしは、今度は自動的に、歯を見せて笑う姉崎の顔に向かった。眼鏡の奥の目がきらりと光ったように思ったら、こぶしは僅かな手の動きでそらされ、空を切った。
驚きが落ちる前に、少し目を細めた笑みが間近に迫っていた。殴る為に伸ばした腕は姉崎につかまれたまま軌道をそらされ、首を強い力で引かれて、ガランと大きな音が響いた。
テーブルに肩が激突してカレーの皿にぶち当たった、のだと気づいたのは、ほんの一瞬後。頬がテーブルに押し付けられてからだ。
もしかしてやられてる? なんて思いかけたら腕を激痛が襲う。
「……っ! 痛 ぇーッ!」
思わず叫んだ。
背中を片膝で押さえ込んで、腕は後ろに捻られグイグイ決めてくるからめちゃ痛い。
「落ち着け!!」
低く揺るぎない大音声が耳を打った。
一瞬、食堂が静まりかえって、飛んだ皿がカランカランと回ってる音だけが響く中、肩を引く強い力に振り返ったメガネ顔からは笑みが消え、人形のように整った無表情の、瞳だけが怒りのあまり剣呑な光が閃いていた。……のだが、そんなのは知らんかっった
「いてーーっ!」
てかそれどこじゃねえ、決められたまんま腕グイグイやられて、超、超、超……っ!
「いてっててててっ!」
「何をしている!!」
丹生田の怒鳴り声。
責める手から力が抜け、腕の痛いのは治まったけどジンジンしてるし、まだ背中に膝乗っててほっぺテーブルにベッタリなまま。
けど!? 無理矢理目を向ける。
「……藤枝に、何をしている」
さっきの大音声が嘘のような、低く響く声。
いつも通りの淡々とした表情の丹生田。
え? え? なんでいるの?
「……あ~あ」
フッと表情を緩め薄く笑った姉崎の膝が背中からどいた。とりあえすガバッと身を起こし、テーブルから飛び退いた。本能的な危険回避だ。
姉崎はテーブル上の惨状をチラッと見て、片手で髪をかき上げながらクククッと笑う。
「つい本気になっちゃった。失敗」
またすぐに食堂はざわめきを取り戻したが、周囲の目はこのテーブルに集まってる。
なのに気にする様子もなく、姉崎はいつものように外人みたいな仕草で肩をすくめ、クスクス笑いながら丹生田に言う。
「だってむかつかない? なにも知らないで勝手なことわめき散らしてさ? こっちの苦労も少しぐらい気付けって……」
「黙れ」
「苦労ってなんだよ」
唸るような声になってた。
「知らないでってなんだよ。ナニ苦労してるっつんだよ」
睨む目を向けた先にはなめた笑顔の姉崎、その肩をつかんでる丹生田の無表情、そして……
「まったく、こんなトコでケンカなんてやめなさいよ。バッカみたい」
その横に、あきれ顔の原島がいた。
丹生田の手をパッと払って、姉崎がニッと笑って手をヒラヒラさせる。
「ホントだよね~、ゴメン、忘れて?」
「合気道でしょ、今の。でも道場に来てないよね」
原島が目をキラキラさせて言った。けど姉崎は笑みのまま答えない。
「ねえ君、合気道部に知り合いいるんだ。良かったら紹介……」
続けようとした原島は、肩に手を置かれて丹生田の顔を見上げる。
丹生田が僅かに首を振ると、原島は決まり悪そうにくちを閉じ、上目遣いに丹生田を見上げて少し笑った。
そして丹生田は、小さく頷いた。
『それでいい』
とか、言ってるみたいに。
ズキン、と心臓痛む。思わず胸に手を当てる。丹生田がコッチ見た。
「大丈夫か」
「えっ」
「痛むところはないか」
「あ……うん」
腕はジンジンしてる。肩とか背中とかは……分かんね、けど。
心臓がズキズキ痛え。
そんなん言えるわけねえから、目一杯ニカッと笑う。
「だいじょぶ」
「……そうか」
ホッとしたように、丹生田が笑う。ほんの僅か目を細め口元を緩めただけ。けどこれが丹生田の笑みだってこと、俺は知ってる。
「もう行かないと。先輩たち待ってるよ」
原島が丹生田の腕を少し引いて言い、見下ろして頷いた丹生田がコッチ見た。
「済まない、行かなくては」
ぎゅううう、と。
心臓を絞られてるみたい。息ができなくなった。声出なくて、答えられずに目を逸らす。
痛え、苦しい、息が、苦しい、……苦しい……
「おまえが責任持て」
低い声と
「了解~」
朗らかな声が聞こえ。
とりあえず、その場から逃げた。
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