72 / 230
70.水無月
走って、走って、ひたすら走って、
姉崎に抑えられたことなんて頭から吹き飛んでた。
頭の中に湧いてくる言葉は、ずっと同じ。
(なんで、なんで、なんで丹生田がいんだよ?)
誰かが声をかけたような気がした。
けど、アタマに入ってこない。
見上げる原島に頷く丹生田、そんなのが打ち消しても打ち消しても浮かんでくるのを、振り払うみたいに全力で走り続け、たけど、とうとう息上がって立ち止まったら、正門近くまで来ていた。
ゼイゼイ言いながら背を丸め、立ったまま膝つかんで呼吸を整える。
(なんであそこに丹生田いるかな)
ひたすら走ってる間、アタマ働かなかった。けど……ようやく少し頭が冷えて、少し冷静になって考える。
(いるか。昼の学食だ。あそこスポーツ棟の近くだし、そりゃ丹生田もいるさ。だから今まで、剣道部とか理学部とか賢風寮の連中から離れたトコで食うようにしてたんじゃん。遠くの学食まで行ったり外で食ったりしてたんじゃん。けど今日は、香坂につかまっちまってそういうのすっ飛んで姉崎についてっちまって────そんで騒いじまったから────)
「藤枝くん」
声が聞こえて、顔だけそっちに向ける。
「大丈夫? 怪我とかしてるんじゃないの?」
水無月だ。マーケティング研……は、やめたよな。
「……いや。……怪我は別に……」
「でも汗びっしょりだよ?」
水無月はそろそろ近づいてきて、慌てたみたいに鞄ゴソゴソしてハンカチ差し出す。走り続けて汗が噴き出してて、目とか痛かったりしたから、奪うみたいに取って額とかの汗を拭きつつ目を向けたら、めちゃ嬉しそうにしてて、なのに目が合ってすぐ逸らした水無月の顔をぼんやり見る。
確か国文……そう、国文なのになんでマーケティング研? とか思ったよな、最初。うん。
そうだ。
コイツも前、告ってきたんだっけ、とか。いきなり思い出した。
すぐ『ゴメン』つったんだけど、『どうして』って聞かれて、誤魔化さなきゃって一瞬思ったけど、なんか必死つか、適当なこと言えねえ感じ満々で。
『どうしてもダメかな。ご飯とか映画とか、一緒に行くとか、それだけでも』
そんな感じで食い下がってきたんだけど、イヤな感じはゼンゼン無くて。
てか学部ちげーけどマーケティング研で一緒だったから、だからどんな奴か知ってるし、よく知らねえ女子に告られるのとはちょい違う。これからも付き合いあるんだし、ヘンな感じになりたくねえし、とか色々考えて、そんで、こいつって良い奴っぽいんだよな、とか。
控えめで、でもひとのことよく見てるっつか。
誰かが散らかしたのさりげに片付けたり、くしゃみする奴にティッシュやったり、俺はすぐ押しつけがましくなっちまうし、こういうさりげないの、なんかいいな、なんて思ってはいた。
それにきゃいきゃい騒いでる感じも無くて、余計なこと言うような奴じゃねーとか、見てりゃ分かるし。
そんとき、一瞬思ったんだ。
水無月のこと好きになれば良いのかな、付き合っちまったらそのうち好きになるンかな、なんて。
その頃はまだ開き直る前で、色々かなりキツいときでさ。あきらか逃避、だったんだけど
丹生田は毎日、原島のこと惚気てたりしてたしさ、ほんとかなりキツくて、正直けっこうヤバイ状態だった。
で、うつむき加減の水無月をじーっと見て、ンでもやっぱ丹生田が浮かんで、コレじゃダメだって、こんなんで、やっぱ好きとか、なれそうじゃねーのに付き合うとかダメだろなんて思って、だから
────言っちまったんだ。
『好きな奴がいるんだ』
ぽろっと出た、それは激マジの本音。
橋田にはバレてるけど、あいつは人に喋るようなコトしねーし、だから絶対誰にも言わないでおこうと思って、ずっと心の奥に押し込めてた言葉。
『だから、水無月と付き合えない』
でもくちに出して、ほんのちょいだけど楽になった気もして。
『マジでごめん』
したら水無月は『そうなんだ』とか呟いて、顔上げて、ちょい強ばった感じで笑って。
『ちゃんと答えてくれてありがとう』
泣きそうになってんの必死で我慢してるような笑顔で。
好きな奴に、自分じゃない好きな奴がいるのって、どんなキツいか知ってるから。だからコッチまで泣きそうになった。
そんなん思い出して、水無月の顔見てた。
目を伏せてコッチ見てねえのに、すんげえ心配そうだって分かる。
そんなん見てたら、良く丹生田が言う『ありがたい』って言葉が浮かんで、思わずニカッと笑ってた。
「ありがとな」
なんだかわっちゃになってたアタマん中、少しだけ助かった感じあったし。
水無月はチラッとコッチ見て「飲み物、買ってこようか」と言った。
そういや、めちゃのど渇いてる。メシも途中だったし。
でもそれより戻ってまた丹生田と原島見かけちまったら、なんて思ったら、今日はもう無理! としか思えなくて、首を振った。
「あの、じゃあどっかでお茶するとか……どうかな」
水無月が、チラッとコッチ見て言って。
なんとか息が落ち着いてきてたし、だから「そだな」とか呟くみてーな声出てた。
「めっちゃ喉渇いてるかも。てかメシ途中だったし」
「私も、ご飯まだだから」
水無月は目を伏せたまま、笑みを浮かべてる。
「んじゃ、行こっか」
正門出ようとしたら「あのっ」水無月はティッシュを差し出した。
「ちょっとカレー、付いてるから」
少し怒ったような口調で言ってすぐ目を伏せた水無月を見て、中学ン時ちょっと付き合った女子を思い出した。
転校生で、おとなしくて、なかなかクラスに馴染めなかったやつ。みんな仲良く作戦でクラスに馴染んだな、とか思ったあたりで告られて、クラス中にワイワイ言われて、照れくさかったけど付き合うことになった。初めてのキスと、初めてのエッチの相手。
けど高校が別になって、あんま会わなくなって。そのうち他の奴と付き合い始めたってツレに聞いて、なんだかなあ、とか思って……そいつも最初、こんな風にまっすぐこっちを見ようとしなかったな、なんて。
「ココも? え、こっちにもかよ」
髪とか頬とか、ウェットティッシュまでもらって、水無月に指示されつつ拭いてるときに思ったのは、そんなことだけだった。
近くのファミレス行って、水無月は日替わりランチ、こっちはカツカレーのランチセット食った。
最初ハンバーグランチにしようと思ったんだけど、拭いただけじゃまだカレー臭いような気がして、いっそカレー食っちまえばいいか! とか悩んでたら、水無月がクスクス笑いながら
「カレーの方が良いと思う」
とかって「そっか!」つって高らかにカツカレー頼んだら、セットにしないかと勧められ、ペプシがないのにショック受けたり、その間、水無月はずっとクスクス笑ってた。
「てかそもそも、なんでマーケティング研来たの?」
「全然知らない世界だったから、面白そうって思って」
「へぇ~。面白そうって、それであんだけ出来るってすげえな」
最初はマーケティング研の話。共通の話題ったらそれくらいだったし、水無月は2年に上がるときやめたから、なんでやめたの? って聞いた。かなり真面目にやってたし、俺より理解早かったくらいで、デキる奴だな~なんて思ってたのに、なんで? って。
したら水無月は、民俗学とか史学とか、そっち系やりたくなったんだって教えてくれた。
「そういや国文だもんな。ゼンゼン違うとこ行ってんだな。でも水無月ならドコ行ってもデキるんだろな」
なんて大げさに感心しつつ、そういえば橋田が言語学だか民俗学だか、そんなこと言ってたな、とかって橋田の話もして、そっから寮の連中の話して。
ずっとテレビ見続けてる標とか、なんでもギャンブルのネタにする奴がいてとか、毎朝アタマ爆発してる奴がガッコ行くときはビシッとしてるとか、そいつは湿気や雨を恐怖してるとか、そんなどうでもいい、しょーもない話ばっか、ダラダラ垂れ流すみたいに。
ランチ食い終えてアイスティー、その次はアイスコーヒー頼みつつ水無月は時々笑い、時々緊張気味に頷いたりしながら聞いてたけど、目が合わない。
ランチのドリンクから四杯目に頼んだハーブティーを水無月が飲み終え、そろそろ行くかとファミレスを出たのは十六時過ぎだ。午後の講義すっかりフケたわけで、水無月に「付き合わせちまって悪いな」つった。てかいつのまにか落ち着いたからマジ助かったし。
けど水無月は、目を伏せて気にしてないと笑うだけだった。
そのまま並んで歩き、下らない話を垂れ流しつつ横見ると、水無月は慌てて目をそらした。
ファミレスいたときから、ずっとこうだ。
俺は話すとき、人の目を見る癖がある。けど水無月は目を合わせようとしない。つうか見るまではこっち見てるっぽいんだけどな。
まあ、分かりやすく好かれてるっぽいなあとは、思った。
「藤枝くんって、友達が大切なんだね」
「そっかな?」
テヘッと笑いながら言うと、まっすぐ前を見たまま、水無月は「うん」と頷いた。
「みんなのこと大好きなんだなって、伝わる」
「……そっかな」
「…………そうだよ」
水無月はそう言って、目を伏せたまま、ふわっと笑った。
「まあ、みんな面白れー奴ばっかだしな! あの寮入って、すんげえラッキーとは思ってっけど」
じいさんたちの話に憧れて来たけど、そうじゃなきゃ丹生田には会えなかった。
瀬戸や橋田や小松や標や、先輩たちだって、憎ったらしいけど姉崎だって、会えてラッキーだったなって、歩きながらそんなこと思ってると、水無月がスタスタと歩調を速め、神社の階段を上り始めた。並んで昇りつつ、どうでもいい話を続けた。なんかしゃべってねーとマズイ感じで、ひたすらくちを動かしてた。
「……私も、この大学に来てラッキー、かなって」
そう言って水無月が立ち止まったのは、神社の境内だった。
街中なのに森があって、ここらヘンじゃ有名なデートスポット。でも人気 は無かった。すぐ隣に立って「そっかあ、良かったな」と言うと、水無月が見上げてきた。
「私も、藤枝くんに会えたから」
やっと目が合ったと思ったのに、水無月はそのまま目を閉じる。
誘われるみたいにキスした。じっとしてる水無月の細い身体を、そのまま抱きしめてた。
その流れのまま、ホテルに行った。
水無月は処女じゃなくて、ちょい安心しつつ、久しぶりの暖かい感触にむしゃぶりついてた。
なんでか分かんない感じで、ホント夢中になって触って動いて、吐き出したら一気に空しくなった自分にちょっと慌てた。ゴムの始末とかしつつ、そこは礼儀でしょうと自分を励まして、笑いかけてみたり髪撫でたりしたら、
「ありがとう」
と、水無月は言った。
「……?」
ちゃんと目を見て、少し微笑んで、水無月は言った。
「好きな人がいるのに、ありがとう」
ちょっと固まってしまった。
そんな感じで返って来るとは思ってなかった。
なんつって、どう来るとか考えてたわけじゃないけど、とりあえず予想外すぎて動けなくなった。
けど水無月は、すぐ恥ずかしそうに目を逸らしたので、なんとか自分を取り戻し
「いや、つうか」
声出したけど、何とか言えたのはそれだけで、誤魔化すみたいにキスして抱きしめた。
それしか出来なかった。
ともだちにシェアしよう!