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六部 変わっていく関係 73.六月あたりの出来事
夏とはまだ言えない、けどまあジメジメし始めた六月末のある日。
丹生田が勝利する前に、話は戻る。
「藤枝、来い」
「は?」
山家が部屋まで呼びに来た。
「なんだそれ」
「イイから来いって」
かなり強引に。しかもちょい不機嫌そう。
「イイからって」
「なんでも良いから」
ノリ良くて姉崎と連んでること多い、けどこんな言い方する奴じゃねえのになあ、なんて思いながらついてくと、山家は姉崎の役員室のドアを開け
「はあ? なにやってんのおまえら」
ちょいビックリする。
ざっと二十人近くがたむろしてて、一斉にコッチ見たほぼ全員がニヤニヤしてる。
「え、なんだよ」
はてな? な気分で聞いたが、みんなニヤニヤするだけでくちを開かない。そんで気づいた。
こんだけ人いるのに、やけにヒンヤリスッキリしてる。
なんで部屋ン中見回して、壁上部に取り付けられた物体を見つけて一瞬呆け
「はぁ?」
無自覚にこぶし握って叫んでた。
「まさか! エアコン!?」
どっと笑い声が湧き、「そうだよ~」ニッと笑いながら言ったのは、いけすかないメガネ野郎だ。
「テストケースでね。いいでしょ」
ヘラッとしてる姉崎に、怒りがバアっと噴き上がる勢いのまま睨み付け、怒鳴ってた。
「なんっで、だよっ! なんでおまえだけっ!!」
「だから言ったじゃない。テストケースだってば」
「なんっだソレ!?」
「俺らみんなで取り付け作業したんだぜ~」
「換気口利用に必要なノウハウ蓄積~!」
「やっぱ実際やってみねーと分からんことってあるんだな~」
「ま、こんだけの施設部が手順覚えたからな、次はスムーズな作業出来るだろ」
大田原さん、つまり施設部部長が言い、他の施設部員たちも「いえ~」なんてハイタッチしてる。
「僕はこの部屋空けることまず無いし、ランニングコストも検証出来るからね」
つまり本当にこの部屋がテストケース対象になってるってコトかよ。
「ひとりだけ得してる、とか言う奴いそうだから」
チラッとコッチ見て「費用は僕持ちにしたしね」とか言って笑みを深めた姉崎。
(くっそ~、めちゃ偉そう! けどツッコめねえ~!)
握ったこぶしがブルブルしてる俺を放置で、静かだった部屋は一気に賑やかになった。
「本格的にはじまったら、壁に穴開けもアリかな?」
「え、でも居室が百三十三あるわけだから────」
「つうかその数の室外機って!」
「外壁にズラっと?」
「ちょいシュールだな」
「ラック設置して、いくつかまとめて」
「隣接してっと放熱効果が落ちンじゃねーの?」
「一台で複数の部屋冷やすようにするとか」
「配管設置してか?」
「いっそ業務用のデカい奴とか」
「アホか費用かかりすぎんだろ」
つうかみんな、超真剣だ。
寮の配管図とか見ながら、めちゃめちゃマジに検討進めてる。
そこに「来たぞ~」なんて声上げつつ数人がどやどや入ってきた。
その手に捧げ持っているのは大量の寿司桶だ。
「というわけで、お疲れ~! 作業ありがとう~、僕からのお礼だよ!」
姉崎が声を上げると、おお~! というどよめきと共に皆いっせいに寿司桶へ群がり、
「みんな食って食って!」
姉崎が上機嫌に言ってる。
寿司パーティー? え? どゆこと? なんで俺呼ばれたの?
なんて思いつつ群がる背中見てたら、荒屋が肩を叩きながら「ほら、無くなるぞ」声かけてきた。
「え、俺も?」
「おまえにも食わせるって姉崎が言ったんだよ」
広瀬が寿司を頬張りながら言うと、「だから呼びに行ったんじゃん」山家が不満げに付け足した。
「仲良いからな、おまえら。仕事してねーくせに」
ジトッとした視線を向けられ、「うまそ~!」とか慌てて声上げ寿司桶に手を伸ばした。とりあえず握り寿司だ! やっぱそこに寿司あるだけでテンション上がる。
「うんめ~!」
「やっぱ寿司サイコーだな!」
姉崎は「ご苦労様~」なんて飲み物とか配りながら、ひとりひとりにねぎらいの声をかけている。結構広い役員室だけど、二十名以上は居るから狭く感じる。みんな立ったまま食ったり飲んだりだ。
つうか握り寿司の効果は抜群で、めっちゃ盛り上がってる。
「てかさあ、普通まず共用部につけるんじゃねえの? 食堂とか娯楽室とかさあ」
モグモグしながら文句言ってたら、「なに言ってんだよ」広瀬が頭を小突いてきた。
「夜間閉まるだろ。ランニングコスト算出できねーじゃん」
「無人の空間を冷やし続けるなんて、エコに反するし、そもそも部屋の大きさ違う」
「だったら! 会長とかの部屋の方が先なんじゃね!?」
「4年生は忙しいし、就活あるからずっと部屋にいるわけじゃ無えの。使用状況も見たいし、ここならずっと役員いるだろ。一夏 の費用とかバッチリ分かるってわけ」
「廊下とか玄関とか、寮全体ってのは難しいかもだけど、居住部分だけでも設置したいって言うのはずいぶん前から言ってたんだってさ」
「夏が暑すぎるってんでうちの寮、人気ないんだろ?」
「今までは寮則の絡みもあってなあ」
「風聯会が動かなかったって話だし」
「けど風聯会が物わかり良くなったんだろ? ならこれからガンガン前進ってことだ!」
「う~~~~~」
つまり姉崎が言った通り、ちゃんと根拠があってココに設置したってことだ。
「あ~~っ! くそっ!」
悔し紛れに喚いたが、寿司に罪は無い。ヒトの倍食うつもりで、しっかり食いまくるのであった。
*
同じく六月末。
「昨日レスなかったね。なんで」
「………………」
「なんでよっ」
「……見ていなかった」
道場の片隅で始まった会話に、剣道部の面々は、また始まった、とばかり視線を逸らす。
「なんで見てないの。あたしのメール、なんで見てないの」
「……すまない」
「もういい! とにかくいま見なさいよ! 今からでもレスちょうだい」
ヒス気味の高い声に、丹生田は眉を僅かに寄せつつ、のっそりと携帯を取りだし「…………」無言で眉を寄せた。
「なんで電源入ってないの!?」
覗き込んだ原島が叫ぶと「……充電を忘れていた」丹生田が低く呟く。
「サイッテー! なんでよっ!」
なぜなのか、剣道部員はみな分かっていた。
丹生田は安藤との対戦に向けて全精力を傾けている。それ以外目に入らないようで、むしろ日常生活が心配なレベルだ。
夏の学生剣道全国大会に向けて緊張感を高めているのだ。しかも独自のトレーニング手法を試すなど、必死な様子も見て取れる。面差しも今までの丹生田とはあきらかに違っていた。頬が削げ、元々鋭い目つきが、さらに剣呑に見える。
おそらく原島も分かってはいるのだろう。が、このところ目に見えて苛立っていて、道場でも構わず丹生田に突っかかるので、周囲は辟易 していた。
つきあってるんだからメールくらい、という気持ちも分からないでは無い。とはいえ
(そんなのはコッソリやってくれ、なんで道場で騒ぐんだ)
というのが、OBも含めた剣道部の面々の正直なところだった。しかし原島に、そんな空気を読む風は一切無い。
当初から安藤昌也を打ち倒したいと言っていた丹生田のモチベーションはこれまでに無く高い。あの安藤を打ち破ったなら、七星剣道部として大金星。一丸となって後押しをしたいところではあるし、実際指導に熱も入っているが、部としては原島も大切だった。
いや、ハッキリ言って、丹生田より原島の方が剣道部としては重要である。
そもそもインターハイ優勝者。指導者がスカウトして入部を乞うた逸材である。期待通り昨年は学生女子でベスト8に入り、早速結果を出している。今年はさらに良い位置を見込めると、期待も大きい。
その原島の剣道が、このところ本来の勢いを失っていることこそ、深刻な憂患であった。
原島は感覚に任せて動く天才タイプである。
勢いに乗ればいつも以上の力を出すが、逆に落ちると動きの切れが悪くなる。以前からメンタルの影響を受けやすいだろうという危惧はあった。ゆえに筋力をつけさせると共に、メンタルを安定させることを主眼に置いて指導していたのだ。
それが全国大会が近々に迫った今、この状態となり、指導者側としても問題を大きく見た。
明らかな不調が見えている以上、さまざまな助言、叱咤、激励などしたが、原島は元々ヒトの言を素直に受け入れるタイプでは無い。
「大会までに調整します!」
などとキレ気味に主張するばかり。指導を受け持つOBや先輩連は、頭を抱えたいような気分になりつつ、丹生田になんとかしろと言ってみた。
少しは原島に構ってやれ、相手をしてやってメンタルケアをしろ、調子を取り戻させるんだ、などと。
だが鬼気迫る勢いで稽古に没入する丹生田に声をかけても「大丈夫です」というだけで、これは話を聞いてないなと思うしかないような有様だ。
なので周囲は婉曲な表現を捨て、どんどんあからさまになっていく。ついには
「稽古休んで良いから、一晩抱いて機嫌を取ってやれ。それだけで良い、ホテル代はカンパする」
などと言ってみたが、丹生田は頑固だった。けして首を縦には振らず
「今は余計なことを考えたくないです、済みません」
と頭を下げるのみ。
あくまで研ぎ澄まされた剣のように、安藤との戦いしか見ていないような鋭い眼差しだった。
もとより口数少なく動じない丹生田は多くを言わず、表情も変えずに黙然と稽古に邁進するのみで、コレは処置無しと周囲は匙を投げた。
原島には丹生田に構うなと言い聞かせ、なんとか調整しようと試みてはいるが、なにをしても効果的とは言えず、原島はとうとう、道場でも丹生田に突っかかるようになっていたのだった。
そして落ち着かない空気のまま、国体と全国学生剣道大会に突入してしまったのである。
当日、丹生田は安藤に勝利したがその後振るわず、ベスト8にも残れなかった。
そして原島は、なんと一回戦で敗退した。
見るからに剣に鋭さが無く、動きも悪かった。つまり剣道部としては最悪の結果となったのである。
原島の不調は大会までに調整できず、そうなると感覚主体であっただけに、元に戻すのは困難だったと言い訳しつつ、指導陣は反省を前提に次善策を練り始めた。
だがしかし、誰より大きい衝撃を受けたのは原島自身だったのだ。
普段は口数の多い彼女なのに、切羽詰まったような表情で唇を噛みしめ、狂ったように竹刀を振る様子には、近寄りがたいものがあった。
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