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七部 二人の部屋 80.新年度再び
三月に入って、食堂前の掲示板に部屋割りが張り出され、今年は軽い気持ちで見に行った俺は
「は? え?」
パニクった。
「なにっ!? ええっっ!? どゆことっ!?」
声を張り上げた横で、「へえ~」のんきな声を上げたのは、隣で見てた長谷だ。
「こういうコトってあんのか~」
「……珍しいよね」
内藤がぼそっと言う。
『339・・・3年 丹生田健朗 3年 藤枝拓海』
「お? もしかして3年連続同室? すっげ」
宇梶がガハハと笑ったが、そんな声の一切が耳に入らない。
嘘だろと思って頭をブンブン振り、目をゴシゴシやってから見直しても、やっぱりそこにあるのは同じ。信じがたい現実。
拓海は、暗黒の中、339の部屋割りだけが燦然と輝く空間にいた。
去年、これとすごくよく似たものを前に、同じようなところに行った気がする。その時どうしたんだっけ? あれ? 分かんね。
けどとにかく!
だって終わるって覚悟してたんだ。
一年すげえ幸せだったけど、けどそれは終わるんだなって、もうすっかり決心してたんだ。じゃねえとまた丹生田にまとわりついちまいそうだから。
だって丹生田には俺じゃない仲間がちゃんといて、だからそばにひっつきたいとか単なる俺のワガママで。
(けど無理! また同室とか丹生田と距離取れねえよ!)
そうだよ。クリパで気づいたんだよ。
俺って、いつのまにか丹生田を守ってやってる気になってた。しゃべったり笑ったりが下手くそだけど、すっげいい奴なんだぞって、俺が教えてやんなきゃって、勝手に思ってまとわりついて騒いで。
でも丹生田が良い奴だなんてもうみんな知ってた。そりゃそうだ、めっちゃ良い奴だもんな。そんなん、同じ寮で生活してたら誰だって自然に分かる。そんで保守の仕事とかもキッチリやってて、剣道姿もばっちしで、前からカッコ良かったのに、さらにカッコ良くなってる……いやいやいや、そこ今関係ねえだろ!
丹生田は優しいし、今は同室だからこんな状態なわけで。
そうだよ橋田だって部屋離れたら接点無くなってあんま話さなくなったし、だから丹生田とも、部屋が離れたら適正な距離ってやつ、うん、友人として適切な距離感で付き合ってかなきゃって、そう決心してて、だからあえてメシ食った流れでみんなで来たんだ。
だって一人で見てたら動揺とか露わに出しそうだから。みんないれば取り繕うくらい、俺だってできる。そうだよ俺だってちっとは大人になってんだ、今年二十歳になんだからな!
なんて思ってて
なのに、なのに、なのに
「どゆことっ!? だよーーーっ!」
絶叫が、一階の廊下に響いた。
同じ部屋にいたら、やっぱカッコいいなあとかカワイイなあコイツとか思っちまうに決まってる。
しかも二人っきりとか、絶対おかしなこと言ったりやったり、冷静にツッコミ入れる橋田いないんだ、絶対そうなる! なるに決まってる!!
「うぁぁぁあああ」
パニクってたら頭をスパンと叩かれた。
「おいこら」
瞬時、強制的に現実へ帰還し、振り向きざま怒鳴る。
「いってーな! なんっだよっ!」
最近おなじみの顔、呆れ顔の仙波がファイルを持って立ってた。
「いきなりバカ晒すんじゃねえって言っただろ、分かってんのか」
「分かってるっつの!」
「いいや、分かってねえだろ。少しは慎め、部長なんだから」
言いながらまたスパンと頭を叩かれる。
「うっせーな! だから、おまえが部長やりゃ良い、つってんだろ!」
「俺は裏方指向なんだよ」
フン、と鼻を鳴らした次期副部長は、くちを止めない。
「おまえタッパあるし顔だけは良いんだから、余裕の顔で立ってりゃそんだけで迫力出せるんだつってんだろーよ。いいか、1年の前出たら『部長だぞ』って顔しろよ。余裕ある先輩の顔、絶対キープだぞ」
部長を受けるコトになってからこっち、仙波の小言は日常化してる。念仏のように言い続けながら、あたかも木魚のようにスパンスパンと頭を叩き続けるファイルを「うっせ!」手でバッと払う。
「まだ新一年なんていねえんだからイイだろっ!」
「ダメだ、今からやっとけ! いきなり芝居とかできねえだろおまえ!」
「できるっつの、そんくらい! 馬鹿にすんな!」
「ほー、じゃあ今やってみ。にやっとか余裕な感じで笑ってみろ。ほれ、やってみ」
え、とか言いながら素直に口角上げた拓海の頭を、仙波はまたスパンと叩く。
「減点3! ほれ笑顔だ、得意だろ? もっかい!」
「え~、やってんだろ~」
「出来てないから言ってんだ。もっかい、ニヤッと。ほれ」
十センチは身長高い藤枝を、ファイルで容赦なく叩きながら叱咤する仙波。掲示板前で始まった掛け合いは、このところ日常風景になりつつあるため周りも慣れていて、すぐに興味を失い二人は放置された。
拓海は最近思う。
(先輩たちもこういう洗礼受けて、あんな余裕な感じになってたのかな)
だって1年のオリエンテーションのとき、執行部のメンバーはすっげ大人に見えたんだ。
けど考えたら庄山先輩なんて二年から監察のアタマで。いくら老けて見えてもそん時は十九歳とかだったわけで、そこで先輩に言うこと聞かせるメンタルってすげえと思ってたけど、実はこんな感じで余裕の顔練習してたとか……ンじゃ俺も頑張んなきゃ!
なんてこぶしを握ってしまう拓海である。
そんなわけで、なしくずしに混乱から脱したのだったが、問題はそのまま残っている。
──────丹生田と同室。しかも二人部屋。
仙波の念仏を聞きながら部屋に戻った拓海は、ちょっとためらった後、ええい! と思いつつ、結局そっとドアを開いた。ロッカーの向こうに、いつも通りトレーニングしてる木原さんと丹生田の足だけ見える。
「終わったら」
「はい」
「ロードワーク行くか」
「はい」
聞こえた声に、いつも通りだ、とちょいホッとしつつ、そっと入ってく。
「そういや」
木原さんはバランスボールにケツ乗せて腹筋ぽいコトしてる。
「おまえら」
「はい」
木原さんのグッズに足引っかけて背筋やりながら、丹生田も答える。
「また同室だ」
「はい」
「やじゃねえのか」
「はい」
「どっちだ」
「嬉しいです」
「そうなのか」
「はい」
「ならいいか」
「はい」
「そうか」
「はい」
二人ともトレーニングしてるときって周り見えない感じで集中してるから、そっと入ってきた拓海には気づいてない。つまりこれって丹生田の本心だ。
「まじで異常に」
「…………」
「仲良いな」
「……はい」
「まあいい」
そっか、そっか、そうかあ、異常に仲良いからアリなのか。
木原さんは、心にもないことなんて、ぜってー言わない。つまりマジで『まあいい』て思ってるってコトだ。だったらゼンゼンOKなんじゃね? とか自然に思えて、めちゃホッとした。
「…………」
「…………」
二人が無言になったんで、拓海はそっと冷蔵庫から水出した。コップに注いでタオルも用意しておく。終わったらすぐに渡すのだ。
そうすっと木原さんは「おう」とか言うだけだけど、同室になったばっかりの頃から考えたらめちゃ柔らかくなったし、いきなり出てくことも今は無い。
そんで丹生田はいっつも「ありがとう」とかって笑う。前よりずっと分かりやすい、誰にでも分かる笑顔で、そんでその顔が、拓海はめっちゃ好きなのだ。
こういう日常も、もう無くなるんだな、なんて、ちょい寂しい感じも、してしまうのだった。
次の日、木原さんは部屋を移った。四年生がすでに出てっていたから、部屋が空いてたんだ。
もちろん俺ら二人は引っ越し先の部屋掃除して、荷物運びも手伝った。
一人部屋に器具だの設置したら、木原さんは初めて見たってくらい上機嫌になってて「奢ってやる」とかって。
連れてかれたのは、なんと寿司! 回ってるやつだけど。
そんで木原さん、あんま米食わねえんだよな。メシ部分残して、魚だけ食ってて、残ったメシは丹生田が食ってる。慣れてるから、今までも奢ってもらったことあるんかな。
そんでお祝いだし飲もうよ! って言うと、俺らだけ一杯だけビール飲んで良いとお許し出た。
なんで木原さん飲まねえのか聞いたら、なんとアルコールのアレルギーなんだって! 知らんかったよ!
それもマジでヤバイくらいダメで、一滴でも飲んだら真っ赤になっちゃう。グラス半分のビールでぶっ倒れるし、注射の消毒でも赤くなるくらいで、マジで酒ダメつうことらしい。
大学入ったばっかのとき、寮の連中に飲み会でめちゃ馬鹿にされて、殴り合いのケンカになったあげく、ムキになってちょい飲んで、ふらふらんなってぶっ倒れたんだって。
その後、共同の冷蔵庫に入れといたミネラルウォーターに酒入れられて、知らずにがぶ飲みして、またぶっ倒れた。激怒した木原さんは、執行部に直訴して、そんで特別に自前の冷蔵庫置いてもイイってコトになったらしい。
だよなぁ~、アレルギーだ、つってんのにそんなイタズラ、笑えねえよなぁ、なんて超納得しつつ
「ヒデえなそいつ! 俺だったらぶん殴ってるよ!」
「心配すんな、ちゃんと叩きのめした」
ヒッヒッとか笑いながら言う、ちょい怖い木原さんは、「でもまあ」つって白身の刺身だけつまむ。
「お前らには世話になった」
「えっ? お世話ってした?」
炙りサーモンにパクつきながら聞くと、丹生田は太巻きくちに入れながら少し驚いてこっち見て、木原さんは「くっ」と笑った。
「なんだおまえ、ナチュラルに奉仕キャラかよ」
「奉仕って、……あ! そっか水とかタオルとか、そういうコト?」
思わず声を上げると、太巻きを呑み込んだ丹生田が頷いた。
「藤枝が細々 と気遣ってくれて、助けられていた。俺は気づかないからな」
「え~、でも」
二人とも、めっちゃ注目してる。しかもちょい笑ってる。なんか照れた。
「だってさ、木原さん、最初めちゃ怖かったじゃん? 俺、木原さんに睨まれないようにとか思って~、つか、つうか、せっかくだから気持ちよく過ごした方が良いし、その方が俺も気持ちイイし!」
木原さんはニヤニヤお茶を飲んで、「まあなんだ」とかすれ声で言った。
「この一年は快適だった」
なんかちょっと感動! だって木原さんって、こういうコト言わないよ?
「色々やるんだってな。まあ頑張れ」
「ありがとうございます。俺たちこそお世話になりました」
丹生田がきっちり頭を下げる。拓海も慌ててぺこっと頭を下げた。
「お世話になりました! んで寿司ご馳走様っす!」
木原さんはめっちゃ上機嫌な感じで、「丹生田にビールもう一杯!」つってみたら
「好きにしろ」
って、ニヤニヤした。
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