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106.ホテルの朝

 ─────撫でられてる。  アタマ撫でて、髪を梳くような指。  妙に遠慮がちな動き。  ああ、匂い。  これ─────  ……丹生田の、匂い……  目を開いた。  丹生田がいた。  太陽に顔半分照らされて、眩しそうに目を細めてこっち見てる。  優しい顔。大好きなカッコイイ顔。  そっか、夢か。  うん、夢だな、夢だよな。  なんだよ焦った~。そっか夢なら、なんでもやっちまえば良いか。  無自覚に微笑みながら手を伸ばす。頬に指先が触れると、ちょいざらっとしてた。  あれヒゲ? 顔洗ってねーの?  やっぱ夢だ。丹生田が顔も洗わないでいるなんてあり得ねえし、なんて笑っちまったら。  ─────目を逸らされた。  すっげ慌てた様子で、身を起こして、髪に触れてた指の感触が無くなって……あ?  えっと…、もしかして?  これ夢じゃない? マジで丹生田が撫でてた?  え? つか、え?  身動(みじろ)ぎと同時、革がきしむような音して、ベッドじゃねえ? つかここドコ!? とかパニクる……いやいやいや、落ち着け、落ち着けって  だって、だってゆうべ、……え? てか 「なんで……ッ!?」  途中から考えてることが声になる。 「雨が、上がっている」  丹生田が細めた目で、見下ろして。 「キャンプだ、藤枝」  低く揺るぎない声で、そう言った。 「……キャンプ?」  まばたきぱちくりする。 「そうだ」  生真面目な顔が小さく頷いた。  え? てかどゆこと?  また混乱し始めた。よく分かんない。  目を落としてマッサージ椅子の上にいる、と思い出す。それ以外も思い出す。最悪なこと、丹生田がコッチ見なくなったらもう無理だとか、そんなん思ってたことも思い出す。  なのに見てる。丹生田がまっすぐ見てる。 「その為に来たんだろう」 「……そうだけど」  ぼんやり答えつつ、ゆうべの感情が復活する。  じんわり湧いて胸を塞ぐ、苦しいような痛いような、そんな感じ。いくら前向きに考えようとしても、どうしても消えない怖れに眉が寄る。背中が丸まってく。 「気が進まないか」  声に目だけ上げる。  丹生田は身を起こしてて、窓からの光を浴びて見下ろす顔は眉を少し寄せてて、ああヒゲ剃ってねえ。珍しい。手に袋やタオル。風呂?  あれ、なんでだ? いつもだいたい分かるのに、丹生田がなに考えてんのか、ゼンゼン分かんない。  もしかして心配してる? いや、困ってる? ……分かんね。 「……藤枝は、どうしたい」 「え」  けど、まっすぐ見下ろしてくる目には、確かに真摯な光が宿ってる。  いつも通り揺るぎない眼と声。やっぱり丹生田らしくて、やっぱり好きだなあ、とか思っちまって、ぼうっと見上げる。 「帰りたいなら、止めない」 「え……と……」  つか、なんで?  でもだってゆうべ……だって、だって丹生田が帰りたいんじゃねえの? だってだってだって気まずいんじゃねえの? 「……えーっと……」  なのに丹生田の眼差しは、あくまでまっすぐで、気まずそうな感じなんてカケラも無い。 (だって、そりゃ俺、……俺は……)  混乱する思考の中、紛れない本心が 「行きたい」  色々突き抜けて、唇から零れた。 「俺、俺ずっとマジで楽しみにしてたんだ」  いったん決壊したら、あふれ出す言葉が止まんない。 「めっちゃ忙しくて、色々あって、そんで俺、ちょい落ちたりして、でもやんなきゃって、色々考えて……でも、でもさ、この旅行の相談したじゃん? メッセージで、そんでめちゃ癒やされてたんだ。そんで頑張ろうって思えて俺、アレあったから乗り切れたんだ」  言葉は止まず唇から零れる。丹生田は表情を変えずに黙って、まっすぐ見てる。 「だって、だってさ、大田原さんみたいにゼンゼン出来ないんだ。俺なんてぜんぜん部長っぽくなくて、仙波や後輩のがぜんぜんできるんだ。大丈夫だって、橋田とか言うけど、でも俺……なあ、俺」  まっすぐな目が見下ろしてる。くちもとは硬く引き結ばれて、なんの表情も見せてない。 「丹生田、俺……俺キャンプしたい。バーベキューも、山ん中探検も、それから、それからそれから! ……相談してたコト、予定してたコト、全部やりたい!」 「……そうか」  ふうっと息を吐いて、丹生田の口元が緩んだ。 「なら、行こう」  揺るぎない低い声。いつもと同じ、丹生田の声。 「キャンプ道具を借りて、まずテントを立てよう。それから山歩きを。俺が教えてやれる」  なのになんだか、目は真剣で、必死にも聞こえるような、そんな声で。 「行こう、藤枝。……いやでないなら」 「いやじゃない。ゼンゼンやじゃない。つか」  なんだか視界が、丹生田の顔が、なんか見えづらくなって 「俺、おれ、キャンプしたいよ、丹生田」 「そうか」  滲んで見えづらい丹生田の顔が、少し笑ったみたいに、思えた。 「そうか、良かった」 「…………」  丹生田の指が、視界に大写しに、なって。 「……泣くな」  声と共に目元を擦られ、目を閉じた。ぽろっと零れたものが頬を伝う。あれ、いつの間に泣いてた? 「俺も、楽しみにしていた」  揺るぎない低い声が降ってくる。 「うん」 「計画と違っても、いいだろう」  大好きな丹生田の声。 「うん、……うん」 「俺が教える。藤枝。キャンプだ」  もう声も出ねえ感じで頷いて、泣いてたの超ハズいっ! とか思いながら顔ゴシゴシしたら、にゅっとタオル目の前に出てきて、押し付けるみたいに渡された。  なんか言ったらマズイ感じで、丹生田見ることも出来ねーで、タオルでグイグイ顔拭って、そんでようやっと見上げる。  ものっそ真剣な顔で、丹生田はひとつ頷いて、クルッと向きを変え、風呂に向かった。  その背中見て、ぼーっと思う。  やっぱ好きだなあ。  思わず笑っちまう。安すぎだろ俺。  ちょい心配そうなだけで、いつもと同じに見える丹生田。そっか。  これからも友達でいたいって、思ってくれてンだ。そっか。  そんなら、俺も頑張んねえとだ。……うん、決めた。  前と同じに。  そうしよう。目一杯頑張って、おんなじに、なんもなかったみてーに。  だって一番怖れてた『こっち見ない』は無いんだ。  んじゃガンガン攻めて、好きだ好きだ言ってもイイのかな? なんて一瞬考えたけど……たぶん丹生田は、そんなん望んでない。  だから、なんもなかったみてーにしてんじゃねえの?  なら、丹生田がイイなら、もうそれでいいや。  一回エッチ出来て、そんで満足だろ?  だから丹生田が『親友』でいることを望んでンなら、それでいい。  つうか、もうくちきかねえとか、寮出るとか、んなコトにはなんねーってコトなんだろ? ならむしろありがてえじゃん?  これからも丹生田のそばにいられるって、そういうコトなんじゃん。そんならラッキーだよな?  だって丹生田は拓海の望みを叶えてくれた。『一回で良いから』エッチしてくれた。後ろからだけど抱きしめて────だから、今度は丹生田の望みを叶えるんだ。  そう考えて腹が決まった。  『親友』でいるんだ。異常に仲良い、その状態キープだ。  正直、自分的には前とちょい違う。  だって丹生田の体温とか息遣いとか、あんだけ間近に、てかカラダん中で感じたんだ。  その記憶が消えるわけねーし、もう一生大事にとっとくし!  もう十分だろ? ここで満足しとこうぜ。

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