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114.丹生田の思い出

「そろそろ行こう」  低く言った丹生田が立った。 「そんじゃ!」  と手を上げると、はるひがニッコリした。 「縁があったらまたね」 「お元気で」  野上さんも、にこやかに笑って手を振った。  軽く礼をしてラウンジ出てから、飲み物買ってこうつって自販機のトコ行く。アイスの自販機見つけて思わず声が出る。 「コレかー。あいつバニラ買って来やがったけど、いろいろあんじゃんな~」  なんつって飲み物じゃなく抹茶アイスを買ってたらガコンと音がして、そっち見ると丹生田がビールの五百ミリ缶買ってた。 「え、飲むの」  ちょいビックリ。 「ああ」  なんて言いつつ、丹生田は三本、四本と買ってく。 「さっき飲んだじゃん。ンなビール好きだっけ?」 「いや」  腕から缶が転がり落ちたんで、屈んで拾ってやる。 「なんだよ、星空の下で飲みてーとかか」  ニカッと見上げる。 「……最近、剣道部や保守で飲むことも多い」 「飲み慣れてきたってコトか?」  丹生田は眉を寄せて目を逸らし、「そうだ」低く言って立ち上がり、ずんずん歩いてく。なに照れてんだよ、なんて思いながら、にやけて背中を追った。  キャンプ場に到着したときにはアイス食い切ってて、入り口にあるゴミ箱に棒とか紙とか捨てる。  ズンズン進んでく丹生田を追うでもなく、キャンプ場内を見回したりしながら、ゆっくり足を動かした。  それぞれのテント周りに灯されたランタンや、コンロに立てた炎などの他、ポツンポツンと街灯的なモンもあり、それなりに明るい。つっても街とかに比べれば、自分たちの周りを照らすだけのささやかな光だ。見上げた夜空に降るような星の瞬きは損なわれてない。  湖畔を選んで歩くと、虫の声とか湖のささやかな波音なんかに包まれ、自然の中にいるんだなぁ、とか実感する。  視線を巡らせると、よく見るようなテントの間に、ひときわ目立つデカくて立派なテントがあった。布でつくった屋根がテントから続くみたいになってて、夫婦っぽい二人がゆったりした椅子でくつろいでるテーブルがあって、横のコンロ周りに中高生くらいの野郎二人と女子一人が飲んだり食ったり騒いだりしてる。  椅子とかテーブルとかランタンとか、なんか装備がいちいち立派で、アウトドアってのとはちょい違ってたけど、なにより家族みんながそれぞれ楽しんでる感じ満々で、こういうトコでの楽しみ方ってもいろいろあんだな、とか思ったりしつつ、自分たちのテント前につくと、丹生田がビール飲んでた。ちょいビックリ。  突っ立ったまま缶から直接グイグイ飲んでる。  俺が持ってるランタンに照らされて、太い喉の中あたりで尖った喉仏が動いてて、やっぱキレイでカッコイイ…………ハッとして目を逸らし首を振る。……ヤバいヤバい、ぼーっと見ちまってた。  そっか、そんなのど渇いてたんかぁ、なんて考えて気を逸らす。  アホかダメだって俺、こんなトコでヘンな空気にすんな。  ランタンをテントのポールに引っかけてコンロ横に置きっぱだった椅子に座った。丹生田が「ふう」と息を吐く。缶からくちを離して目を伏せてる。  こんなゆったりしたトコで、なんだか焦ってるみてーにも見えて、ちょい心配になる。 「俺もちょい飲むかな」  笑い混じりに言うと、驚いたような顔で見下ろして、すぐ折り畳みカップにビール注いでくれて、丹生田の缶ビールと音の立たない乾杯をした。  周囲で騒いでる連中の声、物音。はしゃいだような子供の笑い声や歌う声も。森から虫の音が聞こえて、でも湖から水音と共に吹き寄せる風はどっかシンとしてて、目を上げると空には遠近法を無視して迫るような星空があって。  ああ、ここってマジでいつもと違う場所なんだな、なんて。  しみじみ思いつつ、もう一口飲んだビールは、やっぱ苦くて旨いとは思えない。  けどなにげに飲み慣れては来てるんだ。なんだかんだ、寮でも何人か集まるとビールが出てくるし、つきあいでちょい飲むくらいフツーにしてるし。  一本目を飲み干した丹生田が、すぐ二本目のビールを開け、またもグビグビ音立てて飲んで、ふうっと息を吐く。 「ああいうのは」  低い声が聞こえ、目を上げる。  一瞬目が合ったけど、すぐ目を逸らした丹生田はまた喉鳴らしてビール飲む。 「そのうち、免許を取って車を持ったら、テントも寝る装備も揃えれば」 「え」  丹生田がいっぱいしゃべってる。ああ、そっか、飲むとしゃべるんだっけ丹生田。つかなに言ってんの? 「そのうち、俺が揃える。だからできる。ああいうのも」 「……丹生田?」 「借り物のボロいテントではなく、手入れをした良いテントで、くつろげる椅子も、食器も揃える。そうすればもっとキャンプを楽しめる。……そのうち俺が揃える。だから心配するな」  なんか熱弁して、丹生田はまたビールをグビッと飲んだ。 「えーと、つかなんのこと?」 「……大きいテントを羨ましそうに見ていた」 「は?」  さっき見てたやつ? そんなん見てたのかよ?  なんて思い、そんな顔してたかな、なんて焦ったりして、じっと見てたら、また丹生田がコッチ見た。  カッコ可愛くて、まっすぐな目を見てたいけど見たら変な空気になりそうで、誤魔化そうとコップのビールを飲み干した。開いたカップにビール注ぎつつ、丹生田の視線を感じる。まだじっと見てる。マズイ。  とりあえずカラッと笑い「バーカ」とか言ってまたビール飲んだ。酒って誤魔化すのに便利だ。 「あんなの、いろいろあんだなって思っただけだし、釣りとか山歩いたりとか、食える草とか野いちごとか、全部楽しいっつの」 「……そうなのか」 「そうだよ」  てか、てか丹生田、もしかしてコレ言うためにビールめちゃ飲みしたとか? 「俺、めっちゃ楽しいよ?」  なんて言いながらニヤニヤしちまう。だって、めっちゃカワイイじゃん! 「しかし」 「なにヘンなこと気にしてんだよ」 「……そうか」  丹生田は、ほう、と息を吐いて、またグビッとビールを飲み、三本目を開けた。 「つかめっちゃ飲むんだな」 「……いや」  なんて言いつつまた飲む。 「なんかしゃべりたいんじゃねえの?」 「………………」  丹生田はくちを開き、なにも言わずに閉じて、またビールを飲む。  ニヤニヤしちまいながらカップにくち付けて、そんであんま強くねーのにラウンジとココで飲んだビールがじわじわ効いてきてる感じで、ふわふわしてきた。 「つかさあ」  ニヤニヤしちまいながら、くちが勝手に動く。 「なんか、キャンプってこんなゆったりできるモンなんだな。俺さあ、もっと騒いではしゃぐイメージあったよ」  丹生田は黙ってる。こっち見てるなって、目の端で思い、我慢出来ずにチラッと見ると、丹生田は眉寄せてビールを呷った。  なんかヘンな空気だけど、ヤな感じじゃねえ。ホッとした拍子にククッと笑っちまいながら、やっぱ勝手にくちは動く。 「俺、親父と妹とテントん中で寝たことあるだけでさ、バーベキューとかも専用のバーベキュー場所にある石かコンクリのコンロみてーので、売店で買った肉とか野菜焼いたとか、そんだけで……まあガキの頃だけど、車でいろんな道具持って来てたみんな見て、いいなあとか思ってたんだよな。ああ、前にも言ったかコレ」 「……ああ、聞いた」 「んでも車なくたって、しょぼいテントだって、こうやっていろいろ楽しめるモンなんだなあって」 「……祖父と山を歩くときは、テントなど持たなかった」 「へえ~」 「寝袋と、着火剤とライター、なたとナイフ、リュックから下げた鍋、塩とこしょうと醤油、ベーコンやハムなど加工肉。祖父が持ってるのはそれだけだ。俺は水を背負い、ビニール袋を持って、祖父の指示に従って歩いた。休むときは木の根に座り、祖父はそこらの枯れ草や木の枝を集めて火をたき、クマザサを摘んで炙り、茶を入れた。平らな石をまな板代わりにして、ナイフで切り、取ったキノコや山菜を調理して食った。雨が降れば、木の(うろ)や崖の下へ潜り込み、フキの葉などで雨よけした。そんなとき、祖父はコロポックルの話をよくした」  ポツポツとした口調で、丹生田は目を伏せて語ってる。 「コロポックルって?」  低い声は耳に心地よく、ちょい酔ってボーッとしたアタマに染みいってくる。 「フキの葉の下にいる小人だ。中学に入るくらいまで、俺は実在すると思っていた」 「へえ、可愛いな」  自然に笑みを浮かべながら、小人を信じて山を歩く丹生田を想像してみた。ちっちゃい丹生田ってのが想像難しくて、ちっちゃい身体にゴツイ顔を乗せたらおかしなことになっちまって、フフッと笑っちまう。 「……祖父はデカくて、高い木の枝にあるアケビも難なく採った。俺は木登りを練習し、祖父が取るよりもっと高い位置の実も採れるようになった。それを渡すと、祖父は頭を撫でてくれた」  そう言って丹生田のくちもとが緩む。 「俺にとって山歩きとはそういうものだ。ああいう、装備を揃えたやり方は、あまりよく知らない」 「つうか、おじいさんとめちゃ仲良いんだな」 「…………そうだな」  丹生田はまたビールを飲み干し、最後の缶を開けながら目を細めてる。 「父も母も俺も、妹が可愛くてたまらなかった。保美は幼い頃から可愛く優秀で、俺は保美が負けたところを見たことが無い。だが祖父は、保美より俺を可愛がってくれた。めったに笑うことも無かったが、俺は祖父と山を歩くのが好きだった」  そう言ってまた缶にくちをつけた丹生田を、ふわふわした気分で眺める。訥々と思い出を語ってる低い声がめちゃ心地よくて、徐々にまぶたは重くなる。  語る声を聞きながら、なんだかあったかい心持ちになり……いつのまにか丹生田の肩に頭を預け、くちもとに笑みを湛えたまま、眠ってしまっていた。

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