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119.キス
母親の趣味に付き合わされてるから、俺もインテリアに詳しいし、ぶっちゃけ好きだ。
そんで高価なブランド家具とかより、こういう手仕事の見えるノーブランドの方が好みなのだ。
「こういうの、めっちゃいいなあ!」
特に洗面所や浴室で目にした、一つ一つ彫金で作ったと思われるカランや鏡などに、すっかり目を奪われていた。
「中坊の頃にさ、こういうの造れるようになりたくて、工房とか行ったことあんだけど才能無いみたいで、ゼンッゼンうまくやれなくてさ、諦めたんだよ」
振り返ると、僅かに眉根を寄せた丹生田の姿が目に入って、ちょい慌てる。
「あ、つうか風呂! 入るだろ? ゆうべ入ったきりだから、身体洗いたいよな」
さっきから丹生田は黙ってる。けどいっつも俺がアホなことを垂れ流してても、丹生田はあまりくちを開かないので、いつものことだ。
「つうかコレ、西向きだから、もうちょいしたら夕日が入るよ。風呂からの景色もめっちゃ良いんじゃね?」
「……ああ」
「んじゃ、先に入れよ。なんか疲れた顔してんぞ」
ニカッと言うと、丹生田はため息をついて、くるりと背を向けた。
「……いや」
「え」
そのまま浴室から出て行ってしまう背中を追い、「どした?」声をかける。
丹生田はどさりとソファに座り、「……のどが…」と呟いた。
「ああ、のど渇いたな、そういや」
腰軽く冷蔵庫へ向かって扉を開き「おお~!」思わず喜びの声を上げた。
「ペプシがある!」
自販機にもなかったのに、ココにあるとは憎いね! なんて感じで簡単にテンションは上がった。
「丹生田もペプシ飲むか? 二本あるし」
「……いや。水か茶は無いか」
「ミネラルウォーターとウーロン茶があるよ。つか緑茶とか紅茶も入れれるよ、ポットでお湯沸かしてさ」
早速取り出したペプシの蓋を開きつつ、冷蔵庫の隣にある棚を見て言った。電気ポットや食器と共にコーヒーや色んなティーバッグも揃ってる。ハーブティーとかもあるし、砂糖やミルクもイイ奴揃ってて、やっぱスイートはちょい違うな、こういうのもすっげえんだな、なんてワクワクがどんどん上がる。
けど横からにゅっと伸びた腕がビールの缶をつかんだんで、ちょいビックリ。
振り向くといつの間にかそこに立ってる丹生田が、プルを上げて早速ごくごくビール飲んでた。目を丸くして、でも尖った喉仏の動きなんぞをポーッと見ていると、ふう、と息を吐きながら、こっちを見ずに丹生田はソファへと向かう。
「俺はあとで良い」
押し殺したような低い声が聞こえ、「あ~、そっか?」間抜けな返事しながら、ペプシをごくごく飲んだ。喉を通る久しぶりのペプシが、なんか安心感くれる感じ。やっぱペプシ最高だぜ。
「ああ。先に入れ。夕日がきれいなんだろう」
ちょい酒が入って、丹生田のくちが回るようになったみたいだ。
なんとなく気になったが、まあいっか! と切り替える。
「んじゃ俺、先に入るな!」
ペプシを冷蔵庫にしまいつつ言うと、丹生田はチラッとこっちを見て、うっそりと頷いた。
*
足も手も伸ばして肩まで浸かる。めっちゃ気持ちイイ。
「うは~」
にまにましつつバシャッと顔を洗い、顎や頬をこする。丁寧に剃ったからつるりんと指が滑る。
つか、なんなんだろーねコレ。
ちょい熱めの風呂に入ったときについ出ちまう声つか、こう、息が漏れたのに音ついちゃった的な。
しかも、ちょい目を上げると大きな窓から見渡せる空が、青から白、薄桃色に変わってく感じで、濃い緑の山頂が黄金色に縁取られてる。たなびく雲の下側も薄桃色だ。
すっげキレイ。
「もうさあ、サイコーじゃね?」
なんて言いつつニヤケ顔を作り、意識して鼻歌なんぞ歌いながら、手を伸ばして窓を開けた。昼間はまだ夏だぞと主張してた太陽が、山の脇に降りて茜色に染まり、雲や空を彩っている。
めっちゃ気に入った内装に囲まれてる。夕日に照らされたカランなんかが銅色に輝きを増してる。
風も緑の香りを連れてくるみたいで気持ちイイし、お湯も適温で、肌が触れる浴槽は柔らかい木の感触を残してかなり心地良くて、景色もこの風呂場も、みんなキレイだ、イイ感じだ。サイコーだ。
うん、サイコーなんだ。なのに─────
カラ元気を出すの諦め、出ちまったため息を隠すみたいに湯をすくって顔を洗う。そんで両手は、顔を覆ったまま動きを止めた。
なんかヤな感じ。なぜって丹生田がヘンつか。うん、なんとなく、だけど。
「う~~~……やめやめ」
ため息と共に手を下ろす。
そろそろ動いて浴槽の手前側に両腕を置き、そこに顎を乗っける。
装飾の施されたカランと鏡を眺めて、(アールヌーボーの影響受けたロココ調って感じだよな)なんて思う。そういや家具にも植物のモチーフが彫り込まれてたし、ファブリック類も植物がモチーフだった。インテリアの意図が統一されてるから、ごちゃっとしがちなロココ調なのに落ち着いて見えるんじゃねえかな。
つってもそこまで詳しくねーんだけど、こういうのって初めて見た気がする。新しいんじゃねーの。きっとなんか意図とか狙いとかあるよな。知りてえな。どこの工房で作ってんかな。インテリアもちゃんと考えた人いるんだろな。
「そうだよ、こんな豪華な部屋、泊まることなんてもうねえだろうし、せっかくラッキーなんだから」
洗ったばかりの髪をくしゃっと乱しつつ、また、ため息をついた。
「……楽しくやんなきゃ」
だって丹生田は、笑顔がイイって言ってたしな。俺、笑ってなきゃ。
かちゃ、とドアが開いた。
目を上げると、服を着たままの丹生田が入って来る。じっとこっち見ながら、まっすぐ近寄って。
目の前で、膝ついて、背を丸め、
─────キス……された。
触れるだけのキス。柔らかい唇の感触と、頬にかかる息。
思いがけなさすぎて目を丸くしてたら唇が離れ、でも顔はすぐ近くにあるままで。意志の強さを思わせる黒目の大きい一重の目が、まっすぐ見てる。
「藤枝」
揺るぎない低い声が耳を打つ。
なにも言えず、ただ目を見返してた。
丹生田の唇が開き、ちょっと震えて閉じ、また開いて、でも声は出ないまま────またキスされた。大きな手が頬と耳にかかり、そこを軽く抑えてキスが深まる。
開いていた目を閉じた。
丹生田の息遣いと唇や舌と、髪や頬や耳を擽る指先と、そんなものを感じ取る。なにも考えず、ただ感じる。
こないだみたいな、ひたすら攻めてくるようなキスじゃない。むしろ労るような、ちょい遠慮がちに感じるくらい優しい、優しい、キス。
どれくらい時間が経ったか分からない。
唇が離れ、ぼうっと目を開いた。
少し眉を寄せた丹生田が、まっすぐこっちを見てる。またくちが開いて、閉じて、また開いて……ため息をついて────そんで触れるだけのキスをして立ち上がり、クルッと背を向け。
カチャッとドア開いて……閉じて背中が消えるまで、呆然と眺めてた。
一人になった浴室は、さっきより深く差し込む夕日で黄金 色に染まって、なんか違う場所みたい。ていうか─────
なんだコレ。
今のなに。
なに? なんだったの?
よく分かんないまんま、「……え?」なんて声が漏れたのに、そんな自覚も無く、ただ目を見開いていた。
てかキスは優しかった。ぜんぜん嫌じゃ無かった。
けど嬉しいとか以前にムクムク湧いてくるのは……
(なに? 今のなに?)
疑問と言うにも基本的すぎる意味不明さで、浴槽の縁に腕を乗せた体勢のまま、身動きもできず、ただ混乱していた。
そんでも、なんか頭クラッとしてきて、のぼせたか~と湯から上がって、窓からの風に当たりながら、なんとか落ちつきを取り戻そうとしたんだけど無理で
「あ~もう、くっそ!」
なんてキレ気味になりつつ浴室から出た。拭いても拭いてもダラダラ汗が噴き出てきて、ジーンズはいた上半身裸のままリビングに戻る。窓が開いてたので、ちゃんと風に当たれば、なんて思いつつ、ふらふらバルコニーに向かった。したら……
そこに丹生田がいた。
首に掛けたタオルで噴き出す汗を拭いつつ、ボーッと見る。
少し肩を落とした後ろ姿が気になった。けど、なに言ったらイイか不明で、そっち見るのもなんか無理で、黙ったまま木製フェンスの、少し離れた位置に肘を置く。
湖から吹く風が気持ちいい。
こっちは太陽が見えず、薄青になった空に白い月が浮いてた。満月に少し足りない、丸よりちょい欠けてる月。
横から、咳払いが聞こえた。
なんか言うのかな、と身構えた耳に、もう一度咳払いが聞こえ、
「……月が、きれいだ」
押し殺したような低い声が続いた。え、と思いつつ目をやると、丹生田は空を睨んでいた。
「……ん」
空を見る。こういうの、キレイって言うのかな、なんて思いつつ、でも丹生田の声が聞こえたんで、なんとなくホッとして、「だな」声を返す。
確かに、しみじみ見ることってねーけど、こういう空も
「……イイな」
すると横で深く息を吐くのが分かった。
「ああ」
そのまま黙っちまった丹生田にチラッと目を向ける。少し口元が緩んで、さっきまで睨むみたいだった目つきも柔らかくなってる。
けど
(さっきの、なんだったんだ? なあ丹生田、なんであんなことした?)
聞きたい。けど聞くの、なんか怖い。なんでかなんて分かんねーけど、なんか怖くて聞けない。
湖、山、薄青の空。ホテルはちょい高台にあるし、最上階からは二人で歩いたハーブガーデンやロッジの建ち並び、ゴルフ場らしいところも見えるし、キャンプ場も、ふもとに続く道も。遠くにけぶって見えるのは、はるひの車で行った街かな。めっちゃ雄大つか、イイ景色な訳で。なのに。
風の音や鳥の声、蝉の音や微かな声とか、そんな色々が耳に届く。
けど、バルコニーには沈黙が落ちていた。
(どうしよどうしよ。なんか言った方がイイのかな。けどなに言えば?)
分かんない。てかなにが分かんないのかも分かんない。
意味不明の、けどなんか怖い感じが、怖れが、胸の内に湧き上がってくる。
もどかしいようなイラッとするような、なんかヘンな感じで、なにも言えねえ。
いつも口の重い丹生田はともかく、俺ってばこういう状態に慣れてねーんだ。
言いたいとか思う前にくち開く。声出してる。いつもそうだ。
けど……
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