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124.愛しい※

 なにを考えたわけでもない。ただ身体が動いていた。ずっと耐えていたのだ。中に、自分の欲望を埋め、あの信じられないほどの快感をまた得たい。その衝動のまま動いていた。 「あぇ」  先端が熱く柔い締め付けに埋め込まれ、それだけで射精してしまいそうになる。  グッと奥歯を噛みしめ、動きをセーブした。早く突っ込んでしまいたいという衝動を、呼吸を整えることで制御するよう努力したが、血管がぶち切れそうだった。 「あ、うぁ、にゅ……っ」  藤枝のふっくらした唇が動いている。だが健朗は、見開かれた茶の瞳、それだけしか見えなくなっていた。  それでも強引に進むことはしないと、それだけを肝に銘じ、自分を抑えるので精一杯だった。 「にゅ、ちょ、……く、あ……」  藤枝が慌てたようになにか言っている。 「んまっ」  瞳に滲む涙と声にハッと歯を食いしばり、動きを止めた。待て、と言っているのだと察したからだが、止めるためにかなりの精神力を必要とした。 「痛い、か」  そして極力抑えた声で聞く。そうしないと『黙れ』などと叫んでしまいそうだった。  しかし藤枝は少しだけ首を振った。髪は乱れ、汗ばんで赤らんでいたが、涙に潤む瞳はいつも通り、強い光を宿していた。 「……へい、きだ、つの」  そして笑った。  いつもと変わらぬ、眩しいほどの笑顔。 「俺も、やりてえ、つったろ」  藤枝の手が首に触れ、そこが酷くぞわぞわする。それは首から背、頭へと伝播していき、衝動が、それを押さえ込んでいた忍耐が、一瞬消え、健朗は空白になった。 「気にすんな。来いよ、ばかやろ」  ───────どんな場合でも  自分本位に主張しない。ただ目的を達成することを第一に。  健朗は常にそうしてきた。  それはどうにもうまく言葉を発することができない自分を自覚しているからであり、頑強な身体に恵まれているゆえに、たいていのことに耐えきれるという自信からでもあり、なにより自分が男であるからである。 『男は女より強い』  重い口を時たま開いて、祖父は健朗にそう教えた。幼少から言われ続けたそれは、健朗の根元(こんげん)に染み付いてしまっている。  だが『女は弱いから、おとなしく守られるべき』と続いた部分には疑問を感じていた。なぜなら妹が非常に強靱な精神を持っていたからだ。あれも女なのだから、女が弱いなどと思えない。とはいえ身体的に自分より強靱な女には会ったことが無いので、身体的には確かに強い。なにより忍耐力は確実に自分の方が勝っていた。その限りでは守ってやれる。それなら自分にもできる。  そんな考え方が染み付いている健朗は、女性に対して自分の欲望を全てぶつけることができなかった。自分より弱い肉体を、蹂躙してしまうのではないかという怖れが産まれてしまうのだ。  だが藤枝は。  健朗にとって対等、いやそれ以上の存在。守るなどと考えるのすらおこがましい、自分などより遙かに強く有能な、尊敬すべき男である。  つまり (耐える必要は無い)  そう思ってしまった健朗の中で、歯止めとなっていたなにかがぶち切れた。  そしてまた見せてくれた笑顔は、いったん消えていた衝動を呼び起こした。気がつくとなにも考えずに動いていた。 「うぁっ」  驚いたような声が耳を打ち、ハッとして歯を食いしばる。 「す……まん……」  全身に力を込めたが動きを止めることは叶わない。せめて急ぐまいと、苦痛を与えてはいけないと、少しずつ動く。それくらいしかできなかった。  なぜなら突き込むほどに包み込む柔熱が、信じがたいほど強烈な快感を呼ぶからだ。  ひたすら藤枝の目を見つめた。明るい茶の瞳が、少し潤んで見返してくる。ふっくらとした唇は少し開いて、絶え間なく声を漏らしていた。 「……だ、……す、き……にゅ…好き、……にゅ、うだ」  必死に押さえ込んでいたものが、ブチッと音を立てて飛んだ。  本能に支配された獣のように、健朗は全てを埋め込む。  この世のものとも思えぬ快感を求める衝動のまま腰を動かし、欲していたまま唇を吸い上げた。両腕で一切の遠慮無く抱きしめる。  後ろ髪をつかむ指を感じる。けして弱々しくは無い指の力。  健朗を無意識下で縛っていた、庇護者となるべきという意識。なのに小心で力及ばぬ自分や、細かいことが気になってしまい大胆に動けない自分への嫌悪。優れた妹への盲目的な愛情とやるせない嫉妬心。  それらは幼少から、堅牢に健朗を覆っていたのだが、賢風寮に来てから少しずつ溶けているという自覚があった。  それまでも友人はいた。剣道や勉強を共に励む仲間がいた。だがそれまでは欠片も溶けなかったそれが、なぜここに来て変わったか。 『丹生田は丹生田だから出来ることがあんだよ』  初日に言われた、それは健朗の心になにかを打ち込んだ。  寮のメンバーは健朗を暖かく迎え入れてくれた。ありがたい、と思いつつ、当初は姉崎、橋田、そして藤枝という、同じ年なのに自分より遙かに優れた男達が身近にいて、深く静かに落ち込んでいた。  それを態度で、笑顔で、言葉で、溶かしてくれたのは藤枝だ。 『その人のことばっか考える。その人になんでもしたくなる。そんで時々、めっちゃ辛くなったりして、でもやめられない。それが好きになるってコトじゃん』  ─────ああ、そうだ。 『好きな人とするセックスは、これ以上無いくらい気持ちいいんだって。それになんか、すんげー幸せな気分になる』  ─────その通りだ。  身体の芯で、頭の中だけでは無く心胆の根源で納得出来た気がした。  目も眩むような快感と、抑えきれぬ感情を持て余すように、本能のまま動いていた健朗は  この上ない幸福感に包まれたまま、愛しい身体の中に、放熱した。  精を吐き出した瞬間、理性もなにも飛んでいた。  本能と欲望の命じるまま全力で抱きしめ、唇が触れた首筋を舐め上げて髪や肌の匂いを吸い込み、耳たぶに思いきり齧り付いていた。 「……っ、ぅ……」  苦しげな呻きに、顎と腕を慌てて緩め、身を起こす。  強制的な屈曲を強いられていた藤枝は、締め付けから解放され身体を伸ばした瞬間、ケホッとむせるような咳を数度して、それが落ち着くと深い呼吸を繰り返した。  健朗はその全てに魅せられたように、じっと見つめていた。  半開きのふっくらとした唇から漏れる藤枝の呼吸は不安定で、胸が大きく上下している。髪は乱れ、汗ばんでいて消耗が見える。けれど茶色の瞳はいつも通り、強い光を宿したまま、じっとこちらを見つめている。  喉がゴクリと動いた。  それを自覚し、健朗はハッとして腕で汗を拭いつつ目を逸らす。  声にも表情にも出てはいなかったが、健朗はやめろと自分を叱咤し続けていた。だがいつも比較的冷静であるはずの脳は熱を持ったままで、またすぐ血液の集まる予兆を示す股間も意志の力で制御など出来ず、健朗は試合中、熱くなるなと自分に言い聞かせるときのように、ふうう、と息を吐き出し呼吸を整える。  だが頭は加熱したままで、冷えてくれそうに無かった。あれだけの、とてつもない歓びを覚えたばかりだというのに、吐き出したそばからすぐに滾るものを抑えきれないのだ。ふうう、ふうう、と呼吸を重ねても無駄だった。  みっともない。  だが仕方が無い。そんな風に健朗は自己弁護を重ねていた。  姉崎に見せられたAVの映像と藤枝を重ねてしまうことが、ここまで多々あり、日常の何でも無い姿勢や仕草に湧き出す妄想を抑えていなかった。叶わないと思っていたのだ。妄想くらい許されるだろうと思っていた。  風呂で藤枝の胸の突起を盗み見ながら弄ってみたいと、唇を吸い上げてみたいと、首筋に触れ、舐め上げたいと、この腕の中に抱きしめたいと、ずっとそんなことを、叶わないと自覚しつつも考える事をやめられなかった。  挙げ句の果てに、悟られないなら良いだろうと、脳内で何度も藤枝を犯してしまった。そしてその後、我に返って、ひたすら自分を責めていた。  しかし、この旅行で、その藤枝に好意を伝えられ、自分もなんとか伝えることができたのだ。

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