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145.じいさんのこと

 339に飛び込んで、まっすぐ自分のベッドに倒れ込む。 「う~~~~あ~~~~」  ギュッと目を閉じてアタマをガリガリかきむしり、頭皮を痛めつけ……はぁ、と息が漏れると同時、手がぱたりとベッドに落ち、全身の力が抜けた。 (もう、もうもう色々限界。どうしよ。どうしよ俺)  閉じた視界に浮かぶ、じいさんの姿。  まっ白な髪。大きな背中。細められた優しい目。  見上げるほどデカいのに、いつも膝を折って、幼なかった俺に目線を合わせてくれた。  大きな手が頭に乗って、ガシガシと乱暴に撫でて 「偉いぞ拓海」  低い声で 「いい子だな」  優しい声で。  嬉しくなって抱きついたら首が太くて、両腕でしがみついた。そのまま軽々と立ち上がったじいさんは、抱きついてる俺なんていないみたいに動くから、しがみついたまま笑っちまう。  背中や腰を支えてくれる逞しい腕に、めっちゃ安心してさらによじ登る。背中も肩も広くて、厚い胸も太い首も、俺がいくら暴れても動じなかった。  風聯会のおっちゃん達と話してるとき、じいさんは穏やかで優しい太い声で、いつも楽しそうで。それをじいさんの膝の上に乗って聞いてるのが好きだった。そこにいると喉や胸から響くみたいで、もっと優しい、包み込んでくれるみたいな声になったから。  時々タイおっちとかが怒ったりしても、「まあまあ」なんてなだめたりして、ちょい困った顔するくらいで、じいさんはたいてい優しい顔ばかりで。小学校にあがってから、何回か乗馬に連れてってくれたな。馬、楽しかった。けど落馬したんだ。したら親父がすっげえ怒って。  じいさんは悪くない、けど俺も悪くなかったから、「馬が悪いんだ!」って泣きながら言ったのに親父聞いてくんなくて、めっちゃじいさんのこと怒鳴って、そんで乗馬に行くのは禁止になった。  あんときからなんとなく、親父がイヤだなって思ったんだ。  その分、もっとじいさんベッタリになった。  親父がじいさんのこと叱ったりするたんびに、どんどん親父がイヤになって、どんどんじいさんが好きになった。  ツレと遊びに行ったときも、女の子とはじめてエッチしたときだって、親にはなんも言わなかったけど、じいさんの部屋行って全部しゃべったな。こんなコト出来るんだぞとか、モテるんだぞとか、ちょい自慢な感じでさ。おっちゃんたちも「なかなかやるな!」とか「大きくなったなったんだなあ、たっくん」なんつって構ってくれたし。  考えたらじいさんが死んでから七星(ここ)に入るまで、勉強ばっかしてた。ツレには「人が変わった」とか言われたけど、「ぜってー七星入る」とか言ったらほっといてくれた。  うつぶせに枕を抱いて目を閉じたまま、知らずくちもとに笑みを刻んでいた。  ――――うん。  大好きだった。  じいさんが、大好きだった。風聯会のおっちゃん達も、そんで賢風寮も。  四月一日、寮に入って宇和島さんが大声出して、じいさんの後輩だって感動して。乃村先輩とか大田原さんとかに案内してもらって、階段とか廊下とか、目に入るモン全部、じいさん達が言ってた『寮』なんだって、そう思って……んでも部屋に姉崎がいて、ああ違うんだって思った。  じいさんやおっちゃん達はいないんだ。  そりゃ当然だよな、なんて力抜けて。  ――――そんで丹生田が。  丹生田がいたんだ。  デカいな。  まず、そう思った。ゴツいな。あ、ちょい笑ったな。 『よろしく。丹生田健朗です』  低い、優しい、声。  そんでなんか、いきなり丹生田から目が離せなくなって  ――――これって、いきなり好きになったってコトか? ホントに? 丹生田のことを?  じいさんじゃなくて?  んでも俺って丹生田に触りたくなってて、そんで必死に抑えてたよな? そんなんじいさんに思うわけねえし、違うよな? じいさんと混同してるとかじゃねえよな?  じいさんとエッチしたいなんて思わねえ、ぜってー思わねえ。んでも―――― 「うううあああ」  またアタマかきむしりつつベッドの上でのたうつ。  このところ一人になるとこんな内容のループがエンドレスで続く状況にはまり込んでいた。なんとかしたいと思ってはいるが、どうしたらいいのかがまったく分からない。  なのでその日も、午後の仕事が始まるぞとやってきた仙波がスパンと頭を叩くまで、エンドレスでループする思考に囚われ続けてんのだった。  午後の激辛うどんバトルを終え、後片付けをしていると、肩をポンと叩かれた。 「お疲れ~」  姉崎だった。  しかも目だけ笑ってない、怖い笑顔だ。  駐車場はかなり人がいて屋台も賑わってる。みんな笑顔は保とうとしつつ超走り回ってる。急ごしらえの激辛うどん屋台もなかなかの人気みたいで、仙波や田口も忙しそう。屋外統括の姉崎も、当然忙しいはずで。  なのにわざわざ声かけてきた。 「……なんだよ」  とか言ったけど、顔見れねえ。 「ふうん。自覚はあるんだね。……後で僕の部屋に来て」  それだけ言って、離れてく足が見えた。目を上げたら、すでに超笑顔で接客してる。  あいつもなんか、必死くさいよな。珍しく。  うどん販売で人員裂かれてるから、後片付けは人数少ない。キリキリ働かねーと。  とか思いつつ身体動かして……  手が止まる。ため息も出る。  ダメダメだった、二回目のうどん早食い。姉崎が言いたいのって、たぶんコレだろ。  言い間違いばっかで、噛み噛みだったし、出場者の番号間違えたし。慌てて言い直したけどそれも間違ってて、咄嗟に出てきた宇梶(うかじ)が笑い取ってくれたから、なんとかなったけど。…………一回目ン時はうまく行ったのになあ。まあ実況は気合い入れて勢いでやりきった、つもりではあるけど。  ため息混じりに片付けを終えた。  終わったら屋台村の手伝いすることになってる。だからそっちに行こうとしたら、バコンと後ろからアタマ張られた。 「ボケ。いいからそこら辺で立ってろ」 「仙波」  うわイイ笑顔。トレイ持ってるけど、もしかして今コレで叩いた? 痛かったよなにげに。なんて思いつつニカッと笑顔作る。 「ンでも忙しいんだろ。手伝うよ」 「おまえ来たって邪魔なだけ。顔だけ見せとけ」 「顔だけって」  どゆこと? と続けようとした声は、しかし「おーい丹生田!」と仙波が叫んだので、喉から出るタイミングを失った。  つうかなんで丹生田呼ぶ? やめてくれっつのっ! 「どうした」  すぐやってきた丹生田に向けて、仙波が背中を押す。 「適当にコイツとだべっててくれ」 「えっ、いや」  チラッと見たら、サングラスしてくち真一文字の丹生田。うわめっちゃカッコイイ。ガタイ良いからスーツ超似合うし。いやいやいやマズイっしょダメっしょ今丹生田と二人でなに話すんだよっ! 「分かった」  そう言った丹生田の手が上腕をつかみ、ステージ脇の方へ引きずるみたいに連れてかれた。 「あー、藤枝の顔見える位置でしゃべれよ!」 「…………」  顔だけ仙波に向けて頷いた丹生田が、まためちゃカッコイイ……つかだからそうじゃねえだろバカか俺! 「……どうした。体調が悪いのか」 「え」  立ち止まった丹生田が少し背を丸め、顔を覗き込んでる。 「いや……別に」 「ならいいが」  それだけ低く言って背を伸ばした丹生田は、隣に立って後ろ手に手を組んだ。 「こちら三つですね。どうぞ」  田口がニッコリと渡した激辛うどんを受け取って、最後の客が離れる。宇梶が並んでる人たちに「激辛うどん完売でーす!」大声を出してる。 「え~! 嘘だろー」 「や、販売する予定じゃ無かったんで、あんま量用意してなくてすんません! 明日も午後の部が終わったら販売しますんで! 良かったらまた来て下さーい」  抗議する者もいるが、鋼のメンタル宇梶なら大丈夫、とばかり、周りは任せっきりだ。 「や~、でもこんな人気出るなんて、意外ですねえ」  空になった鍋を撫でながら田口がニコニコした。「だなー」仙波も苦笑してる。 「世の中マゾが多いンかもな。まあ、これでクチコミ広がるだろ。明日の分、急いで仕込まねえと」 「ですね。じゃあ藤枝さんにも……て、あれ? なんであんなとこに突っ立ってんですか」 「あいつさっき、トチってアワアワしてるだけでキャーとか言われてただろ」 「ええ、可愛いーとか言って、なんだか賑わってはいましたね」 「黙って立ってりゃイケメンだからな。顔で客呼べるかもだし、立たせとくだけなら失敗もしねえし」 「うわ~、ひどいなあ。人間性無視ですか」  ニコニコ言いながら鍋を抱え、田口が食堂の通用口へ向かう。 「とか言って、おまえも嬉しそうだな」  備品の入った箱を抱え、並んだ仙波もニヤッと笑ってる。 「いやだなあ、これ地顔ですって」 「つうか田口、仕込みどうする? どれくらい作りゃいいかな」 「今日よりは多くないとマズイですよね。うどんとか材料追加しないと」  賢風寮ドSランキングトップと次点の評価を与えられた二人は、和やかに会話しつつ姿を消したのだった。

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