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151.副会長は忙しい2

 橋田雅史はあくびが出そうなのをなんとか(こら)えていた。  執行部室に次々やってくる寮生達に、笑顔で同じ事を言い続けているからだ。  つまり入れ替わり立ち替わり、やりきった感満々な顔でやってきて報告や改善点など言い募る寮生達に、「そうですか」「よかったですね」「はいはい」などと適当に言いつつ、情報施設部が立ち上げた掲示板に詳細を書き込むよう言って追い払うという作業を続けているのである。  非常に面倒くさいし、いい加減飽きてきてるのだが、実は密かに機嫌が良い。それに今はニッコリ笑うくらいの芸当も出来る。  やってくる、どの顔も満足げで、イイ顔をしていた。  今日やったことから改善に繋げようという意欲も旺盛。明日はもっとやってやるという意気に満ちている。雅史はそういう顔を見るのが嫌いでは無いし、著者サイン会をやらされたときを思えば、ずっとマシだ。いや読者は大切だけど、コッチの方があくびを噛み殺すパワーが強い。  そもそも利益なんて上がらなくても、参加した者が楽しんでいれば良いじゃないかと思っている。  とはいえ傍目から見たその表情は、良く言って『ぼんやり笑っている』程度なのだが、橋田が笑ってる、というだけで少し感動されるほど、この副会長のキャラは寮内に浸透していた。  今日までの収支はすでに会計が計算済み。数字は試算を下回っていたが、それぞれが今日のノウハウを持ってよりよい明日の行動を模索しているいる現状を考えれば、数字の伸びも望めるだろう。明日と明後日で赤字は回避できそうである。 (上出来だね)  これだけ予算も使って大がかりなことをやって、赤字にならないだけでたいしたモンだと思う。ド素人の大学生が欲をかいてはいけない。  しかしそう考えていない奴が、約一名。 (勝手な奴だな。……知ってるけど)  笑顔で激励の言葉など振りまきそうな、いやもっともそうするべきであるはずの姉崎が、ここにはいない。  おそらく風聯会でなにか言われてムキになっている、といったところだろうが、楽しい寮祭では不満なようなのだ。  いつも通り笑ってはいたが、とても表情通りの内心だとは思えない。なぜなら外の営業が終わると同時、後片付けもせずに執行部室へ飛んで来ると、PCに向かってテキストを立ち上げ、猛スピードで打ち込みはじめたものを速攻プリントアウトして言ったのだ。 「これから各現場にハッパかけてくるけど」  紙が続く限りの勢いで吐き出し続けるプリンターを放置でニッコリ、だが偉そうに。 「ここに来る奴にコレ渡して、橋田からも言ってね。ちゃんという通りにしろって厳しく言ってよ? いい? 分かった?」  淡々と見返していると確認するように見つめていた姉崎は、雅史が小さく頷くとニッと笑い「よろしくね~」と出て行ったのだが、じつのところ、笑顔のくせにずいぶん焦っているなと思い、面倒になって頷いたに過ぎなかった。  そもそも雅史は同格であり、姉崎の命令を受ける立場では無い。つまり言うことを聞いてやる義理など無い。  などと考えながらプリンターは速攻止めた。既に十数枚はプリントされていたが、その一枚を手にとって見た雅史は (なんだろう、これは)  無自覚にくちを開いてしまった。あまりにも呆れたからだ。 『業務上遵守事項一覧』  二十項目くらいが連ねられているそれは、明日明後日、これらを必ず遵守するようにという命令書のようなものだった。今日一日、見ていて気になったところを指示するのは、姉崎の立場なら自然なことではある。  だが内容は異常だ。  雅史はホテルの裏方を取材したことがあるから分かる。しっかり業務研修を受け、それなりの給料もらってるひとが、ようやく出来るようなレベルの指示ばかり書かれていたのだ。よく調べてるなと感心はしたが。 (将来一流ホテルでも経営するつもりかな? ていうかなにを期待してるんだ? ただの寮祭、みんな大学生だぞ)  たった三日、学祭に便乗してイベントやるだけの話で、誰がこんなの従うって? (せめてファミレスの業務マニュアル程度だったら言いようもあるけど)  などと思いつつ、こんな細々したコト言いたくないので、雅史はただ、ぼんやりと笑って報告や意見を聞いているだけなのだった。みんな楽しそうだしやる気もあるし、問題があるようには思えないし、正直面倒だ。  一応プリントアウトしたものは置いてあるけど、 「なんか積んであるけど、え、なになに?」 「なんだコレ、ウケる~」  手に取った連中も、誰一人本気で受け止めてはいない。 「持っている中で最高級の服を着ること。ただしフォーマルなものに限る、だと」 「ウケる~、てかそんなモンねーし」 「つうかフォーマルな服ってどんな?」 「やっぱスーツとかじゃね?」 「就活スーツってこと? 革ジャンの方が高かったけど」 「いっちばん高い服着ろってコトか~?」 「ん~じゃ~俺、姉貴の毛皮借りてくっかな」 「ぎゃははっ! 女王様モードかよっ!」  なんて感じで結構ウケてたから、おそらく行った先々で同様の反応を受けているだろう。それで姉崎がさらにイラつくだろうことも予測できたので、なにげに雅史は機嫌が良いのであった。  だからこそ、らしくもなくニコニコしていたのだが、それでも不特定多数の人間と対するのは疲れる。そういえば昼食を食べ忘れていたので空腹でもあった。  一年のうちは藤枝に連れられ、なし崩しに食事を摂っていた雅史だが、二年になって以降、集中してしまうと食事も睡眠も忘れてしまうということを自覚した。そのため一時は昏睡に陥って(というか爆睡後、爆食いしたのだが)同室など周囲に迷惑をかけてしまった。そのとき執行部と総括から『きちんと寝て食事を摂るように』などという厳重な指導を受けたのは、情けない思い出である。  それ以来、栄養バランス良く、決まった時間に食べることが出来るという理由で、寮にいるときは寮食を摂るようになっている。  もともと生きるために必要なので食う、というのが食事に対する基本スタンスであり、寮食はとても便利だ。仕事がバレて協力者もいる状況なので、寮内での執筆を阻害する奴はいない。外食する必然性は無いのだ。寮は朝食と夕食のみであるため、たまに昼食を抜く羽目に陥るが、それはあまり気にしていない。  今日も執行部室には差し入れという名の残飯整理で屋台の残りが持ち込まれていたのだが、雅史は寮生の対応をしていて手をつけることなく、執行部メンバーや部屋を訪れた連中によって処理されたようだった。  二十一時を過ぎてしばらく経つと、尾形さんと執行部メンバーが「今日は終わり」として執行部室に鍵をかけたので、雅史は一人で食堂へ向かった。  そこでも「あ! 副会長じゃん!」「聞いて聞いて」「俺さあ」などと声はかかったが 「今日は営業終了です」  いつもの淡々とした顔と声で言うと、「あ~はいはい」とみな引き下がるので、通常通り食事を終えることができた。  微妙に疲れたな、などと思いつつ階段を上り自室を目指す。三階の副会長室だ。  だが階段を上りきる少し前から「う~~」だの「あ~~」といった唸り声と、バシャバシャという音が聞こえていた。なにかモメているのだとしたら面倒だな、と目をやると、水場で一心不乱に顔を洗っている一人の後ろ姿が見えた。 (ああ……忘れるところだった。後で声をかけようと考えていたんだったな)  そう思い出したら、あのとき覚えた興味も思い出した。それで少し疲れが抜けた気がしつつ、背中に近づき、声をかける。 「藤枝くん」  背中がピクッと動き、水音とうなり声が止まった。  一拍置いてバッと振り返ると、周りに水滴が散らばった。前髪も胸のあたりもびしょ濡れになっていて、顔は必死と言いたくなるような切羽詰まった表情だ。  こういう顔になっているとき、藤枝がかなり深いところまで心情を吐くことを、雅史は知っている。それにより恋愛の心理について、多少なり理解を進めることができたという事実は、雅史にとって大きかった。  なにしろ今では作品に『ほんのりとした可愛い』恋愛が出てくるようになっているのだ。まあ、それ以上深く書くことはできず、主人公を朴念仁とすることで進展が無いようにしているのだが。  なぜ深くを書けないか。  それは雅史が恋愛体験無いままであるにもかかわらず、殆どのひとが恋愛を体験しているからだ。  実体験のある相手に朧気(おぼろげ)な想像で書いても説得力に欠けるに違いないと考えれば、手を出せなかった。  むろん不明なまま放置していたわけでは無い。そういう要素も入れていきたいと思って、さまざまな人から話を聞いた。しかし、世の中の殆どが恋愛に関して、こんなにも体験を重ねているという事実に愕然としただけだった。実体験を重ねている相手に想像だけで書いたものが説得力を持つはずが無いではないか。  ならば自分で恋愛をすれば書けるようになるのでは。  思考はそう進み、何人かそういう希望を向けてくる女子に相対してみた。  しかしなぜか気持ちはまったく動かないまま。それどころか、いったい僕はなぜこんなところで、どうしてこんなことをしてるんだ、と苛立ちを覚える始末で、無駄な時間を費やすのが不毛だとしか思えなくてやめた。  同じ女性でも水無月奈々なら、彼女のように話が通じる相手なら、発想を広げる会話ができる。会話を楽しむことができれば無駄などとは思わない。だがそれもできない女子相手に、なにを話せば良いか不明なまま、ただ無駄に時間を費やしている感覚に苛立ってしまったのだ。  故に雅史は思った。  藤枝の話を聞くことで、更なる理解を進めることができるかもしれない。  なので淡々とした顔のまま、くちを開く。 「部屋で話す?」  雅史の声にうんうんと頷く動きで、また水滴が散らばった。  ああこれ、当番の一年生が嫌がるだろうな、と思いつつ、「じゃあ、来なよ」くるりと背を向け部屋へ向かった。  ついてくる力ない足音と、らしくない深いため息を聞きながら。

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