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十三部 二人暮らし 176.引越
『普通に同居する気が無いって言うなら、家賃折半にしたらイイトコ住めるとかさ、分かりやすい利益があるんだって教えてあげれば良いんじゃない? ホラ、敷金は健朗が持つとかさ、そういうメリット提示するんだよ』
非常に上機嫌に、姉崎は言っていた。
『どっちにしろ自活するんなら割安になった方がお得だよね~、とか。気心知れた奴と一緒なら楽じゃない? って説得しちゃえば? 僕も陰ながら応援してあげる。なんかあったら、いつでも相談に乗るよ。頑張ってね、健朗』
面白がっていることが明らかな姉崎に苛立ちは覚えたものの、他に名案があったわけでも無く、腹をくくって藤枝に話してみた。
うまく言えたとは言い難いが、それでも藤枝は頷いてくれた。
条件付きで。
『エッチ込み、つうことで』
『週一回、とか、決めてさ』
衝撃を受けた。藤枝にはお見通しだったのだ。
健朗の下世話な欲望────毎日でも抱きしめてキスをして、セックスだってしたい。そう思っていることも、独占したいと望んでいることも。つまり釘を刺されたのだと理解した。
さすがは藤枝だ、と思いつつ、健朗は胸を撫で下ろしていた。なんとか藤枝の同意は得られたのだ。
翌日から、早速活動を開始した。
不動産屋を周り、めぼしい部屋を何点か見つけ出し、藤枝を誘って内見に出かけ、父に保証人を頼んで、二月半ばには部屋を決めることができた。駅からほど近く、自分の職場へまっすぐ行ける沿線。道場へも足繁く通える立地の2LDKである。藤枝の職場は一度乗り換えを必要とするが、車通勤するから大丈夫と言って貰った。
結果的に家賃の高い部屋になってしまったが仕方が無い。
なにしろ説得するとき『住環境のレベルを落としたくない』と言ってしまったのだ。正直、健朗としてはボロい部屋でも問題無いのだが、ココで言を翻すことは出来なかった。
それに藤枝は言っていたのだ。
『そのうち自分で部屋借りたら、インテリアは好きなので揃えてえ』
健朗はインテリアなど一切拘りが無い。というか藤枝と過ごすうちにそういう概念があると知ったくらいで、正直興味が無い。ゆえに藤枝の好きな部屋にしてやりたい。
が、問題は資金面だった。自分も藤枝も貯金など無く、資金は不足していたのだ。
新たに家具家電を買い揃えるとすると、どうしてもカネが必要だ。
どうする。父に借金をするべきか。そうだ、それしかない。そう考えを進めていた。
しかし二人で新しい部屋へ、掃除と部屋の各部のサイズを測りに行ったとき、藤枝が言ったのだ。
「とりあえず最低限揃えねえとな~。家具はたぶん、うちからいくつか持って来れるよ。古くてしまい込んでる奴も確かあるはずだし、うまくいったら傷ついてんのとか、ちょい壊れたのとか貰えるかも。家電は中古とか見に行くか?」
「しかし、好きなインテリアは」
「ばっか、いきなりそんなん無理に決まってるだろ。そういうのは余裕が出来てから、少しずつ集めるからイイんだよ」
ニカッと笑った藤枝に、また救われた想いになりつつ、それならばと健朗は一転、安価な家具、家電を探し始めた。
呼び出され会社へバイトに行った際も、休憩時間に携帯サイトで激安家電を見ていたら、女性の先輩に「ああ、一人暮らしするんだ」と言われた。
「今までは寮にいたんだもんね。どこら辺に住むの?」
引っ越し先の住所を言うと、「マジで? あそこらへん、高いんじゃない?」などと声を上げたので、他の先輩たちも、ナンダナンダと寄ってきてしまった。
「寮生活から一人暮らしだと、全部揃えねえとだな」
「あ、そういえばうち、冷蔵庫買い換えるんだよ。古いので良けりゃ使う?」
「うちも嫁が洗濯機買い換えるって。三月四月が安いつってな」
などと言ってくれて、古い冷蔵庫と洗濯機を譲ってもらえることになった。寮に戻って藤枝にそれを言うと
「さすがだな! やるな丹生田!」
などと褒められ、非常に安堵した。
藤枝の実家から家具などを運ぶため、施設部の軽トラを運転手の広瀬ごと借りた。藤枝も免許を取りに行っていたが、運び込む日程には間に合わなかったのだ。その話を聞いたらしい寮の連中が手伝いに来たので、ついでに会社の先輩の所へ行って冷蔵庫と洗濯機を引き取ってきた。
ベッドなど足りないものを購入し、だいたいの家財が揃った部屋を見て、
『う~んコレ、バラバラじゃね?』
と藤枝が言い、家具に統一感を持たせる作業をすることになった。二人で寮から通って、家具にヤスリをかけ色を塗ったり、家電にもシートを貼ったり。藤枝のおじいさんが使っていたという古ぼけたソファも、ヤスリをかけて色を塗り、藤枝が座面を張り替えて、新品同様になった。素晴らしい手腕だった。
2LDKのうちリビングや水回りは共有で、それぞれ個室をもつことになるのだが、六畳の洋室と四畳半の和室のうち、どちらがどの部屋を使うかで少々揉めた。
藤枝の方が家具など持ち物も多いし、忙しいに違いない。藤枝と自分とでは、初任給からして違うし、収入には大きな差が出るだろう。
当然、藤枝の方がより快適に過ごすべき。ゆえに広い部屋を使うのが当然だと思っていた。しかし藤枝は身体の大きい健朗が広い部屋を使うのが当然と言ったのだ。
ゆえに健朗は主張した。実家がすでに処分済みのため私物が殆ど無く、広さを持て余すだろう。それにベッドではなく布団を敷いて眠りたい、などと理由を述べ、ようやく藤枝は納得してくれた。
このように、藤枝が頷きやすい言い方を、健朗も学んでいるのだ。これから共に暮らすのだから、こういう部分をしっかりやっていかねばなるまい。
ともかく、藤枝が広い部屋を使うことになって、健朗も落ち着いた。
三月半ば、藤枝のお母さんと妹がクッションなどを持って来て、カーテンもつけてくれた。妹はさすが藤枝の妹というか、美少女だった。保美の方が美人だが、などと思って見ていると、なぜか強い視線を向けられた。視線に敵意が混じっているような気がしたが、仲良くせねばと思い、精一杯の笑顔を返しておいた。
そうして統一感のある、居心地の良い空間ができあがったのである。
あれこれ配置を変えたりするのも、調理道具や生活に必要な消耗品を揃えるのも、すべて非常に楽しかったし、藤枝もずっと楽しそうに笑っていた。
部屋が整い、寮から引っ越した翌日、あの家具屋へ行った。
高い家具を色々眺めて憧れを語る藤枝と共に店内を歩いて、いくつか小物を購入し、部屋に戻って飾る。
新たな部屋での生活が始まった。
ちょっとした工夫をするだけで、部屋が居心地良くなっていく。
失敗したことも、うまく行ったことも、どれも楽しい。
これは実質的な新婚生活の始まりである。
健朗はこれまでになく気持ちが浮き立っていた。つまり、分かりにくいが、非常に浮かれていた。
それゆえに、同居にこぎ着ける前にあった様々を、一時的に忘れてしまっていたのだった。
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