196 / 230

188.信彦おじさん

 先輩が友達と同居してるのは知ってた。  けど、それ以上詳しいことは聞いてない。  だから出てきた『同居人』が、あんな怖い顔の、あんなデカいヒトだとは知らなかった。  めっちゃ睨まれてビビり、慌てて逃げた佐藤譲は、帰り着いた自宅のドアを開いて、ため息混じりに「ただいま~」と声を出す。なんか今日はものすごく疲れた。  藤枝さんはビールをジョッキで2杯、レモンハイ2杯半だけで、あの泥酔状態になった。  いつもは人一倍騒いで誤魔化してたみたいだけど、サシでじっくり呑んだのは初めて。そんで分かったのは、信じられないくらい酒が弱いってことと、酔ったらすぐ寝るってコトと、話くどいってコト。  ずっと同じコト繰り返してて、トイレとかでちょっと目を離すと寝るし、面倒くさかった。強引に店出てタクシー乗っても寝ちゃうし、部屋まで送ったらおっかない人いるし、マジで疲れた。もう早く風呂入って寝たい。  二階から降りてくるバタバタとした足音に、靴を脱ぎながら目も上げず「うるさいな」と呟くと、「うるっせえよ」すぐに憎ったらしい声が返った。弟だ。 「てかおじさん来てるンだぜ兄貴。来いよ」 「は?」 「信彦おじさんだよ。俺の部屋に来てる」 「ああ、……旭川の」 「そーだよ、さっき出来たの見せてるんだ。兄貴も意見くれよ」 「はいはい」  ため息混じりに返事をして階段を上がる。弟の部屋に入ると、そこら中によく分からん機材やなんかとか、何台もモニターがあったりして、まるでスタジオだ。ベッドもそんなモンに埋もれてて、良くここで寝られるよなあと、いつも思う。 「いらっしゃい」  声をかけると、ひとつのモニターを覗き込んでいた背中が振り返った。 「譲か」  信彦おじさんは親父の弟で、四十代だけど独身だ。バツイチとかじゃなく独身。  なんの仕事してるのかハッキリ分からないけど、お金持ってるぽいしモテないこと無いと思うから、独身主義なんだろう。なんていうか、父と違って自由な人って感じで、かなり話せるこのおじさんが、譲は好きだった。  弟の(まもる)もこのおじさんが好きで、動画を撮りにちょくちょく北海道まで行ってるから(ゆずる)より接点は多い。  そう、衛はユーチューバーなのだ。  なにげに稼いでるらしいが、今は大学三年。本来なんだかの研究をしたくて入った工学部だが、目指してた所に行くか、このままやってくか、色々考えてるらしい。  などと言いながら製作活動も継続している。待ってるユーザーがいるとかなんとか……そして完成するとSNSで予告しつつ、譲や家族などに見せて意見を求め、それで修正を入れてから上げる、というルーティンを崩さない。独りよがりでは見落としがあるとかなんとか、色々言ってるが要するに自慢したいだけだろう。  なので、せいぜい辛口の意見を言ってやるべく、普段からさまざま見聞きしておくようにしているのだが、衛としては信彦おじさんの意見がかなり役に立つらしく、ネット経由で意見聞いたりしてる。  譲も去年、友人達と北海道旅行をして、旭川に寄ったとき顔を合わせた。友人三名も含めて車であちこち回ってもらって、メシや酒も驕ってもらい、貧乏旅行の中で唯一贅沢したって感じでみんな盛り上がって、譲の株も上がったし、感謝してる。 「お久しぶりです」  だからちゃんと頭を下げて挨拶した。 「就職したんだって? 凄いところに入ったって兄貴が自慢してたよ」  またか。ちょっとうんざりしながら、譲は笑顔で「いや、まだ入っただけで」とか誤魔化す。父のそういう自慢が、譲は苦手だった。 「……どうした譲。なにかあったのかい」  おじさんは、なんというか、鋭い。  それにくち固いし、離れてるし、色々溜まってる愚痴垂れ流しても大丈夫に思えた。 「うん、まあ……。おじさん、俺の部屋に来る?」 「おい、その前にこれ見てくれよ兄貴。おじさんも意見くれって」  衛は抗議したが、おじさんは「それは後でな」といなし、譲に微笑を向けた。 「いいとも。ゆっくり話を聞こうか」  藤枝拓海は今日、丹生田と二人で都内山奥へ車を走らせていた。  作夜(ゆうべ)床でキスしまくって、一緒に風呂入ってそこで1回、流れでベッドでもエッチして、終わってから……ベッドん中、優しく抱きしめられてて、髪とか撫でられて。 「なんでも言えば良い。聞くだけなら俺にも出来る」  なんて低くて優しい声で言われて、ポロッと涙出ちまったら止まんなくなって──────  エッチの後だからか、酔ってたからか、いつも張ってた虚勢ってか意地ってか、そんなんが無くなってたんかな。  全部ゲロった。  やらかしちまったコト、全部。  損害出させちまった、あの工房が無くなったらどうしよう、なんてグズグズ泣きながら言っっちまった。 「損害はどれくらいだ」  したら丹生田、言ったんだ。 「少しで良ければ、俺が出す。父に借りても良い。それで藤枝が楽になるなら」 「は? なに言って……おまえ関係ないじゃん」  なんつってるの、涙声だったりするんで、カッコつかないんだけど。 「関係はある。藤枝の事だろう」  なんて言われて、「ばっか」とか言ったけど声は震えて、なっさけなくて、ンでもなんか、なんかなんか、変に幸せな気分になってた。  起きてから二人でATM走った。とりあえず集めれるカネ全部引き出して、丹生田からも借りて……てか丹生田って意外と溜め込んでたつうか……ケチだと思ってたけど貯金してたんだ、すげえな、なんて思いつつ、ぜってー返すからって借りて、ここ、六田工房に来た。  ミラー見ながらネクタイ直して髪も撫でつけて、フウッと息吐いて「行ってくる」つって、丹生田にニカッと笑いかけたら、ギッと怖い顔になった丹生田が 「俺も行こう」  つったから慌てた。 「いいって、俺一人で行くって。ひたすら謝るだけだし、丹生田関係ねえし」 「俺のカネだ、関係はある」 「いやコレは借りたんで……」 「……行く」  車降りちまうし、こうなったら丹生田は頑固で聞いてくんないっての分かってるし、しょうが無いから大きくため息をついて自分も車を降りる。 「んでもおまえは謝らなくて良いんだからな。俺がちゃんとやるから、黙って立ってろよ」  ロックかけながら言うと、丹生田は黙って頷いた。  二人並んで作業音が響く工房へ足を進める。思った通り、土曜なのに今日も作業してるんだ。無理言ったせいで他の仕事も押してるんだろう。申し訳ない思いで歯を食いしばりながら入っていくと、作業場にいたのは職人さん達だけ。 「……あんたか」  一番年配の職人さん、梨田さんが目だけ向けて言うと、若い半沢が「良く顔出せるよなあ」と大声を出す。 「手を動かせ」  梨田さんが言うと、半沢は「はい」つって作業に戻った。他の職人さん達も作業してるけど、チラッとこっち見て頭下げてくれたりするから「先日は申し訳ありませんでした!」バッと九十度の礼をして一人一人の名前を呼んで謝りまくる。 「もういい。……なんの用だ」  梨田さんが聞いたので、バッと頭を上げた。 「失礼しました! 社長はいらっしゃいますか」 「奥だ。客が来てる」 「……あ、そうですか」  先客がいるなんて想定外だったけど、もしかしたら仕事の注文かも知れない。それは良いことだ、と気を取り直し「では外で待たせてもらいます!」と礼をしたまま言って工房を出る。 「なんだかなあ、勢い削がれた感じ」 「……藤枝の仕事は大変だな」  丹生田がぼそっと言うから「はあ?」半分笑いながら返した。 「おまえだって大変そうじゃん。企業秘密の塊、だったっけ? 俺、毎日パソコン睨んでシステム作るとかぜってー無理だし、難しいこと分かんねえしさ」 「さまざまな人との繋がりが必要な仕事なんだろう。さすがは藤枝だ、さっきの人たちも藤枝を悪く思ってはいないように見えた」 「……そんなことねえよ。工房潰すようなことしたんだぞ? みんな怒ってるに決まってる」 「藤枝は頭を下げていたから分からなかったんだな。みなさん、少し笑っていたぞ」 「……え、そうなの?」  なんて話してたら、なんと、佐藤譲が出てきた。 「え、おまえなにしてんの」  思わず声出したら、佐藤譲は「ちょっと、俺にも分からないんですけど」とか言ってる。  少し遅れて社長も出てきた。もうひとり、ナイスミドルって感じのひとと一緒に。 「あなたが藤枝さんですか」  ナイスミドルは微笑んで歩み寄ってきて、片手を出した。「はい」と答えながら握手を返すと、笑みが深まる。 「佐藤信彦と申します。これの叔父でしてね。譲がいつもお世話になっております」 「あ! そうなんですね、失礼しました! こちらこそ、譲君はとても優秀で……」  なんかヘンな汗が出てる自覚と共に言うと、佐藤のおじさんが「企画書、見させてもらいましたよ」と続けたんで、思わず「は?」とか言ってて、マズイと言い直す。 「企画書と申しますと……?」 「ここの社長に出されたでしょう。なかなか面白かった」 「ああ……恐れ入ります」  社長に何度もコンペに出したらどうだと言ってたけど、全然聞く耳ない感じだったから企画書にしたんだった。ここのPCに落とし込んであるから、きっとそれを見たんだろう。 「それでは社長、後ほどまた」 「はい、わざわざどうも」  会釈を社長に返して、佐藤譲に目を向け車へ行かせたおじさんは、またコッチ見てフッと笑んで、慌ててお辞儀したら車に乗り込んで走り去っていく。  ボーッと見送って、同じく車見送ってた社長にハッとして走り寄り、 「この度は申し訳ありませんでした!」  俺はバッと頭を下げた。

ともだちにシェアしよう!