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第1話
【微笑む君とひだまりで】
周辺の景色も徐々に色づき始めた三月の終わり。
好きな人と一緒に過ごす春休みはとても幸福で特別なものだ。
高志と桜の樹木の下に座って空を見上げていると、俺たちがこんな広い空の下で出逢えた事ってわりと奇跡なんだなと感慨深くなった。
春の陽光に包まれながら、隣に座る恋人は小さな欠伸を一つ。
「なーんか春休みってあっという間に終わっちゃうんだなー」
高志はうーんと腕を伸ばして身体を反らしたついでに俺の頭をポンポンと優しく叩く。
俺はその温もりにちょっとだけ照れくさくなりながら笑って「うん、短かったね」と呟いた。
「えっ、何?何て言った?」
高志は背中を丸めて俺の顔を覗き込んでくる。こうやって聞き返されるのにはもう慣れたけど、俺はムッとなりながら、高志の鼻をギュッと摘んだ。
「ねぇ、高志ってばホント耳遠いよね。なんでこの距離で話してるのに聞こえないの?お爺ちゃんみたい」
「お前の声がちっせぇんだよぉ」
「違うよ絶対。高志のせい」
強がって言ったけど、たぶん高志の言い分の方が正解だと思う。俺は自分の声や発言に自信が無くて、大きい声を出すのが昔から苦手だ。
「ギブ、ギブ」と苦しそうに言われたから仕方なく手を離してやると、高志は鼻を何回かさすった後に柔らく笑んで辺りを見回した。
「誰もいないな」
その言葉に俺も反射的に視線を遠くに移す。
数十メートル先には外観がカスタードクリーム色で塗られた校舎が見える。ここは高志がかつて通っていた小学校だ。
春休みなのだから子供が遊びに来そうなものだけど、たまたまなのか、今この場にいるのは俺たちだけだった。
「キスするつもりでしょ」
目を細めてじっと見つめると、案の定高志はニコリとしながら肩を縮める仕草をした。
二人きりだと分かれば、高志はいつもキスのおねだりをしてくる。軽くの時もあればガッツリ舌を絡ませる時もある。
「校舎の中から誰か見てるかも」
「見てない見てない」
「あのマンションのベランダから見られてるかも」
「大丈夫大丈夫」
ジリジリと徐々に間合いを詰めてくる高志は、半ば強引に口づけてこようとする。
「やだ!ここじゃ恥ずかしいから駄目!」
少し強めの声を出すと、高志は目をパチクリさせた後にショックを受けたような顔をして、少しだけ距離をとって座り直した。
落ち込んでいたかと思えば、直ぐにまた小さな欠伸をして、後頭部を樹木につけて空を仰いでいた。俺も倣って同じ動作をする。
枝先についた花の実が、穏やかな風でゆらゆらと揺れている。
花弁が散って全部緑になる頃には、俺たちは学年が上がって三年になる。
一緒のクラスで過ごした楽しかった高校二年生には、もう一生戻れない。
「クラス替え、やだなぁ」
口の中だけでこっそり呟くと、高志は顔をこちらに向けてまた距離を詰めてきた。
「俺だって嫌だよ。お前と離れたくない」
「聞こえてたの?」
「未樹。もし違うクラスになっても、心と身体はいつも一緒だからな」
「言ってて恥ずかしくないの」
「俺はいつも想ってるからな、お前の事。昼飯もたまには一緒に食ってくれよ? 放課後は今まで通り一緒に帰ろうな」
もちろん、と笑ってから唇の代わりに片手を差し出すと、彼はすかさず指を絡ませてきた。
「俺は未樹だけだから。今までも、これからもずっと」
高志は砂糖菓子よりも甘い言葉をストレートに囁いた。
うん、とだけ相槌を打つ俺を高志は責めない。俺が口下手だからと知っているから。
「高志、特別にホッペにならいいよ」
俺は一瞬だけ彼の頬に唇を寄せてキスをした。
微笑みながら「もう一回」と言われたけど、また今度ね、と笑って空を仰いだ。今までも、これからもずっと一緒。そう胸に刻みながら。
新学期のクラス発表で、高志と隣同士に並ぶ名前を見つけるのと、実は俺の声はほぼ聞き取れているけど、聞こえないふりをして未樹を揶揄っていたんだ、とカミングアウトされる事になるのは、もう少しだけ先のお話。
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