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白くて四角いお城(2)

 幼稚園のピアノは白くて、金のモールで四角く区切った中にバラ色の頬をしたお姫様や、黄色い小鳥や湖やたくさんの花が描かれていた。  オレはよくそのピアノをお城に見立てて遊んでいたのだけど、優ちゃんがある日、そのピアノを指差した。 「お前、こういうデザインが好きなの?」 「大好き」 「俺のママと気が合うかも。ウチにもこんな壁紙が貼ってあるから、遊びに来る?」 「うん!」  とはいえ、幼稚園児が私鉄と地下鉄を乗り継いで優ちゃんの家へ遊びに行くのは簡単ではなかった。  母親の弥生と優ちゃんのママが互いに連絡を取り合い、互いの都合のいい日を決めて、優ちゃんが好きなチョコレートの箱を抱えて遊びに行った。  梅雨入りしていて、しとしと雨が降っていた。  優ちゃんが最寄りの地下鉄駅の改札口まで迎えに来てくれていて、オレたちに気づいて表情を変える、その姿だけでも「素敵!」って思った。  まだ大人と一緒だったら切符も必要ないオレは弥生と一緒に改札を抜け、そのまま優ちゃんの足許まで長靴を履いた足でかぽかぽ駆けつけ、しゃがんで両手を広げて待っていてくれた優ちゃんの首に腕を回して抱きついた。 「ようこそ。雨の中を来てくれてありがとう」  そのまま弥生からレインコートを受け取って着せてくれて、オレはお腹を突き出しながら優ちゃんがぱちんぱちんとボタンを留めてくれる様子を見て、それから優ちゃんと手を繋いで数を数えながら階段を上り、蛍光グリーンのカエルちゃんの傘を差した。  優ちゃんの家は高台にあり、ふんわり香ばしい匂いがするパン屋さんや、甘い洗濯糊の匂いが蒸気とともに飛び出すクリーニング屋さん、大人びた上品な服を飾ったブティックなどが並ぶ坂道をゆっくり上った。  火の見櫓がある小さな消防署の角を曲がって、小さな児童遊園の向こう隣が優ちゃんの家だった。 「お豆腐みたい」 その家は四角くて、しかもよく見ると四方の角の線が上に向かって真っ直ぐではなく上に向かって少し広がるように反っていて、まな板の上に立てたお豆腐に似て見えたのだ。 「なかなか的確な表現だ。俺もその感想には共感する。さあ、お豆腐のお城へどうぞ」  二階の玄関へ入るなり、優ちゃんが『お城』と呼ぶに相応しい、きらびやかな内装にオレは感動して両手を口の前でパーにして立ち尽くした。 「あら、噂の慈雨くんね。ようこそ! お母様の弥生さん、実際にお会いできて嬉しいわ。先日は長電話に付き合ってくれてありがとう。ごきげんよう!」 賑やかな声とともに派手なソバージュヘアを揺らし、両手を広げながら出てきたママは、当たり前のこととしてオレや弥生とハグをして、左右の頬をくっつけてキスの音を立てた。 「今日はぜひともお引き留めしてってパパから言われてるの。お夕飯まで召し上がっていってね」 「パパのメシは期待できる」 優ちゃんはオレの耳に口を押しつけて囁いた。くすぐったくて笑ったら、ママがオレと優ちゃんを見てウィンクした。  優ちゃんの家は外側に対しては閉鎖的だけど、内側は開放的で、二階の天井から上はロの字型に吹き抜けになっている。二階がパブリックなエリア、三階がパパとママのエリア、四階が優ちゃんと弟さんのエリアと決まっているらしかった。覚えきれないくらい家の中を案内してもらって、二階の吹き抜けの真ん中の気持ちのいいリビングスペースで、優ちゃんと一緒にお茶をいただいた。 「慈雨くん、苦くない? ジャムをもっと入れましょうか」 ママは声を掛けてくれるだけで、オレが素直に頷くと、実際には隣に座っている優ちゃんが全部世話を焼いてくれるという、青木家の子守りシステムはこの日にできあがった。  甘い紅茶を飲んで、ママと弥生はとんでもなくおしゃべりに花が咲いていた。内容は把握できなかったけれど、とにかくしゃべって、笑って、笑ってはしゃべっていた。自分の母親がこんなに笑顔で話す姿を、オレはこれまで一度も見たことがなかったのでびっくりした。 「弥生、いっぱいしゃべるんだね」 と思ったことをそのまま口にしたら、みんなに笑われ、優ちゃんには頭を撫でられた。  母親二人はとにかくおしゃべりに夢中、カップとソーサーを持ったまま互いの肩にもたれ合ったり、ソファーの上に倒れ込みそうな勢いで笑っていたので、優ちゃんはスコーンとサンドイッチとチョコレートでお腹いっぱいになってあくびをしたオレを抱きあげた。 「俺の部屋で昼寝だな」 「あら、部屋は片付いているんでしょうね?」 「ちゃんと片付けた。子どもの害になりそうなものは手の届かない場所にちゃんと隠してある」 「あら、どこかしらー?」 「ママみたいに本棚に並べたりしないから安心して」 「床に置いておくから、本棚に入れてあげたんじゃない」 「年頃の息子のプライバシーは見て見ぬ振りが基本」 互いにあっかんべーと舌を出し合って笑い、オレは会話の意味がわからないまま四階の優ちゃんの私室まで連れていかれた。  優ちゃんの部屋はごく一般的な子ども部屋で、小学校入学と同時に大抵の子どもが買ってもらうであろうしっかりした学習机があり、ベッドはセミダブルで、リネン類の色柄は統一されていなく、大きな壁一面にはホワイトボードのシートが貼ってあって、落書きし放題だった。 「この白くてつるつるしたところだったら、自由に描いていい」 「壁に描いていいの?」 「この面だけ。そっか、幼稚園の廊下の壁は落書きできないんだよな。小学校に入ったら、廊下の壁はこういうシートが貼ってあって、自由に落書きできる。それを家でもやりたくて、このシートを貼ってもらったんだ。中学や高校の壁も自由に描けるけど、美術系の奴が本気出して描いたりするから、なかなか手が出せない」 優ちゃんはオレのシャツの袖をまくってくれてから、自分も少しカッターシャツの袖をまくり、ペンを持って、ものすごく下手くそなのになぜか伝わるベートーヴェンの顔を描いた。はっきり言って優ちゃんの画力は惨憺たるもので、神様って残酷だなと思うレベルなのだけれど、それを恥ずかしがったりせず素直に本気で描くからなのか、〝オレの似顔絵以外は〟何を描いているかよくわかる。オレはそこまで酷い天パじゃないし、ぐるぐる渦巻いた目もしていないし、数字の3みたいな口もしない。でも、オレ以外の人は皆、優ちゃんが書いた似顔絵を見て「慈雨くん!」って笑うから、きっと似ているんだろう。ちくしょう。

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