優ちゃんの実家は都心の高級住宅地にある。 　庭はなく、白くて四角いお豆腐みたいな四階建ての建物で、四角い窓が嵌っている。一階が駐車場で、二階に玄関がある。 　駐車場に車を停めて、門を通って、階段を上がって、玄関ドアを開けると、シンプルな外観とは真逆のロココ調に包まれる。 　薔薇の花模様の壁紙、白い腰壁、金のモール、天使のオブジェ、フリル付きのレースのカーテン、猫足のソファセット。 　ママはモード系のロマンチックな服が好きで、黒いシフォンのロングスカートを翻して玄関へ出てきた。背が高く、颯爽とした歩き方が優ちゃんとそっくりだ。 「慈雨くん、お帰りなさーい。優もお帰り」 「俺もついでの『お帰り』をありがとう」 口は悪いけど、帰って来たらママとのハグとビズは絶対で、最近は優ちゃんも大人になったので素直に互いの頬を交互に触れさせながら口の中でキスの音を立てる。 　オレも同じようにハグとビズをして、案内されるままキッチンへ行く。 「うわ、ママ。どうしてこんなに？」 「わからないの。今年はお歳暮におリンゴばっかり届いたのよぉ。今年はおリンゴが流行りなのかしら」 全国各地からリンゴ箱。大小さまざま、品種もさまざまなリンゴの箱が積み上がっている。 「お弟子さんにも、お客さんにも頑張って持って帰ってもらったのよ。でも全然減らないの！」 　ママは青木美土里(みどり)という名前で、プロのピアニストだ。風神と雷神を引き連れて歩いているんじゃないかっていうくらい疾風怒濤、個性の強い演奏をする。普段は音楽大学の教授をしていて、お弟子さんはプロになりたい本気の人ばかりがたくさんレッスンに通ってきているのだけれど、そのお弟子さんたちからもリンゴが届いている。 「ママ、ひょっとして最近どこかで『リンゴにはまってます』、『リンゴを食べるようにしています』って言ったんじゃないのか」 優ちゃんがキッチンの棚に寄り掛かって腕を組み、リンゴを見渡しながらしかめっ面をした。 「この間、テレビで言ったわ。きれいなお肌ですねって言われたから、毎日リンゴを食べるようにしていますって」 「それだ。その話が伝わったんだ、きっと」 ふううっと細く開けた口から息を吐いて、優ちゃんは肩を上下させる。 「テレビで言った何気ない一言って侮れないからな。生放送でほんの一瞬のうちに口走ったことでも、そのあとでネットニュースにでも書き立てられたら、どんどん拡散する」 優ちゃんもつい先日、睡眠障害の治療中であることをうっかりラジオで話してしまい、スポンサーの会社と話し合いになったばかりだ。『心地よい眠りと、快適な目覚めをお届けします』とキャッチコピーを掲げた寝具のコマーシャルキャラクターを務めていながら、睡眠障害ですっていうのはさすがにまずい。嘘を吐く必要はないけど、せめて公の場では黙っておくのが大人というものだ。 　とりあえずリンゴを長期保存しようという話になって、料理のできないママを座らせておいて、オレと優ちゃんでひたすらリンゴをスライスしてジャムを作り、コンポートも作り、パイシートを使ってアップルパイもたくさん焼いて、優ちゃんは唐突に蜜リンゴの作り方を検索し始め、時間のかかるレシピを選んでのんびり作りつつ、合間にママから取り上げたワインを飲んで楽しそうにしている。 　飲酒は薬の服用時刻との間隔は空けて、寝る前の飲酒は控えめに。っていうか。 「あ！　車で来てるのに優ちゃんが飲んじゃったら、オレは飲めないじゃんか！」 「泊まっていけばいいじゃなーい」 「タクシーで帰る」 ワイングラスを取り出して注いでくれようとしたけど、オレは躊躇した。 「車をあとで取りに来るのも面倒だよ」 「ほらぁ、やっぱり泊まっていきなさいよぅ。いつも優の部屋のベッドで一緒に寝てるじゃない」 「それ、慈雨が小学校低学年までの話だろ。こんなにでかくなってるのに二人でセミダブルは狭い」 「懐かしいわねぇ。あっという間に大きくなっちゃって」 「そうか？　結構待ったけどな、俺は」 優ちゃんはワイングラスの中を覗き込み、苦笑した顔をワインの表面に映してから、その苦笑をするっと飲み込んだ。