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第一話『 Wheel of Fortune / U 』
子供の頃に絵本で見た王子様。
きっと、運命のヒトというのはそんな王子様のように優しくて強いヒトなのだろう。
彼はそう思っていた。
だから彼は、そんなヒトとの運命の出会いに憧れていた。
そんな彼がお気に入りだった絵本に登場する王子様は、オオカミ族の王子様だった。
それゆえに彼は、オオカミ族の亜人に恋をする事が多かった。
だが何度恋をしても、それが運命のヒトとなる事はなかった。
しかし、それでも彼は諦めなかった。
年々その美しい外見に磨きをかけてゆき、“たとえどんな経験をしようとも”、彼は運命のヒトとの出会いを探し続けた。
だがその果てで彼はついに、それまでで最も最悪の出会いを経て、運命のヒトと出会うなどという憧れを捨てた。
そしてそれ以降、家族にはその姿を偽りながら、自暴自棄ともとれるような日々を送るようになった。
だがそんな彼も、その優しく愛情に溢れた温かな心と、己を求められたいという欲求だけは捨てる事が出来なかった。
そしてそんな彼をも、運命は残酷に弄び続けた――。
― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第一話『Wheel of Fortune/U』 ―
「おい! そこで何してる!」
その日、いつもは物静かなその場所に、突如大きな衝撃音と低く威圧的な声が響いた。
法雨 はその声に少し驚き、どうやら一度強く叩かれたらしい倉庫の戸口を見やる。
法雨が経営するバーには店用の倉庫がいくつかあるのだが、今法雨の居るこの倉庫は普段、店の従業員ですらほとんど入る事のない倉庫で、店の大掃除や一時期にしか出さないような備品や酒などを保管している場所だ。
そして、ここはそんな場所であるがゆえに、店仕舞いも済んだこのような明け方には誰かが立ち寄る事はまずない。
また、この倉庫の入口が裏路地側にある事からしても、一般人が間違えて辿り着くような場所でもないのだ。
そして更に――静かにさえしていれば何をしていようが誰にも見つかりはしない――という場所でもある。
だからこそ法雨は、あえて彼らにこの場所を使わせていたのだ。
「なっ……! おい! ふざけんな! 誰か外見張ってなかったのかよ!」
だが、そうだとしても、見張りはつけるべきだ。――こんな事をしているのだから。
しかし、これまで幾度となく無事に全ての事を終えていた為か、今回はその見張りを誰もしていなかったらしい。
そんな油断からこのような事態になってしまった為、その倉庫に居た青年たちの一人が咎めるようにしてそう怒鳴った。
「し、知らねぇよ! ここなら誰も来ないんじゃなかったのかよ!」
突然の事で萎縮してしまったらしい一人の青年が震えた声でそう怒鳴り返し、すっかりその毛羽立った耳と尾を情けなく下げている。
その倉庫内に居る青年たちは、全員オオカミ族の亜人であった。
そんな情けない彼らの様子に法雨はひとつ溜め息をつき、この事態をどうしたものかと考え始めた。
だが、その落ち着き払った様子に気付いてか、その中のリーダーであり、唯一灰色の毛並みをもった青年が、法雨に問い詰めるように言った。
「おい、アンタまさか!」
恐らくこのリーダー格の青年は、自分たちが知らない内に法雨が助けを呼んだのではないか、と思ったのだろう。
だが、当の法雨はそれにまた溜め息をつき、乱されたままの体を放るようにして気怠げに答える。
「そんなわけないでしょ……」
もちろんこれは嘘ではない。
法雨は本当に何もしていないし、彼らとのこの行いも他人に口外したことなど一度もない。
「――手荒くされたくなければ大人しくここを開けろ!」
だから、こうして戸の向こうで怒鳴りつける男が何者かなど、法雨も知りはしない。
「本当だろうな……嘘だったらタダじゃおかねぇぞ」
すると、その余裕が癪に障ったのか、リーダーの彼は法雨を寝かせていた台を一度大きく叩いてから威嚇するように睨みつける。
「どうぞお好きに。――っていうか、アタシを睨みつけてる暇があったらこれからどうするか考えたら? このままだとアンタたちどうなるか分かんないわよ? 扉から出るのが怖いなら、そこの窓からでも出て行ったら……?」
相変らず涼しい顔をした法雨が窓を示しながらそう言うと、再び鉄製の扉がけたたましい音を立てる。
恐らく向こう側にいる男が、威嚇の為に今一度叩きでもしたのだろう。
すると、その音に一瞬ひるんだ彼は悪態をつき、法雨の示した窓を見た。
「――クソッ……おい! 行くぞ!」
そして、先ほどの法雨の提案に応じる事にしたのか、彼は少し悩んだようにした後仲間たちを誘導し、戸口の反対側にある窓へと手をかけた。
すると、今度はそれと同時に倉庫の戸口がけたたましい音を立てて蹴破られた。
「うわぁ!!」
そして、まさかあんなに分厚い鉄扉が蹴破られるとは思っていなかったらしく、何人かの青年がその事態に腰を抜かし、情けない声をあげた。
「クソったれ! なんだってんだ! おい早くしろ! ボケっとしてんじゃねぇ!!」
だが、そんな彼らをも見捨てる気はないのか、リーダーが彼らを引きずり上げるようにして窓の外へとに押しやり、また悪態をつきながら彼もその後に続いた。
「待て!」
そして、厚手の戸口を蹴破ってきた大柄なその男は、相変わらず迫力のあるその声でそう言い、彼らの後を追おうと窓へ向かった。
だが、そんな男の腕を引き、制するようにして法雨は言った。
「待って! いいの……、行かせてあげて」
すると、そんな法雨の言葉に驚くようにした男は法雨に振り返るなり、
「なぜ止めるんです……」
と言ったが、法雨は静かに言い返した。
「いいの。気にしないで」
「しかし……」
「アタシは大丈夫だから。ホラ、どこもケガしてないでしょ」
「………………」
そして、すっと両手を広げるようにした法雨を一瞥したその男は、今一度彼らが逃げて行った窓を見やり、諦めたように溜め息をついた。
「……なぜ彼らを庇うんです……」
男はそう言いながら、床に放られていた法雨のズボンや下着を丁寧に拾い上げ、軽くホコリを払うようにしてから法雨に手渡した。
「貴方は望んでこんな事をしていたわけじゃないでしょう……」
そして、男からそれらを受け取った法雨は言葉を返す。
「いえ、望んだ事よ。たまにはこういう事も刺激的でいいかなって思ったの」
すると男は、そんな法雨の言葉にまたひとつ溜め息をつき、
「嘘はいけません」
と言った。
「嘘じゃないわ。どうしてそう思うの?」
「……顔を見れば分かります。ヒトが咄嗟に何かを取り繕う時、目や表情はより如実に物を語りますから」
「………………」
男がそう言ってまっすぐに法雨を見据えると、法雨はその視線から逃げるようにして目を反らした。
そして、
「……まぁ、望んではいなかったわね」
と、観念したように言った。
法雨はその日、――否、――その日もまた、彼らにその身を分け与えていた。
彼らの欲求を満たしてやる為に。
そしてその光景は、はたからみれば確かに集団レイプと言ってもよいものだったかもしれない。
ただ法雨は、性的な交わり自体はどちらかといえば好きな方だ。
だからその日も別段、彼らに無理やり組み敷かれていたわけではなかったのだ。
だがそれと同時に、確かに自らが望んだ交わりというわけでもなかった。
そして、自分の意志が招いた事態ではない事を白状した法雨に、ひとつ頷くようにした男は言った。
「……我慢をして、そのように強く振舞ってらっしゃるわけではないのは分かります。ですが、それでも貴方は被害者に変わりありません。……せめて被害届だけでも出すべきです。それに、このような事をされたのは今回が初めてというわけではないのではありませんか?」
「……それは……」
「そうであるならば、これ以上我慢をし続けるなどしてはダメです。もし、彼らの報復を恐れて警察への届け出をしていないという事なら――」
すると、男がそこまで言ったところで、法雨がその言葉を遮るようにして言った。
「違うわ。そういう理由で届出をしてないわけじゃない……」
すると、そんな法雨の言葉を聞き、男は硬い表情のまま法雨を見た。
そんな男に対し、法雨は続ける。
「別に、届け出る気がないから届け出てないだけよ。それに、あの子たちだって処理する場所がないだけでしょ……。アタシ、別に誰に抱かれようが平気なの。だから、あの子たちがアタシで満足出来てるなら……それでいいのよ。ただちょっと、最近は道具にされてる感じがしたから嫌に思っただけ。――そりゃ望んで抱かれてたわけじゃないけど、レイプされてたとも思ってないわ」
「………………」
そんな法雨の言葉を聞き、男は法雨がなぜそこまで彼らを庇うのかが理解できないと言った様子で、考えるようにしては黙した。
法雨はそんな彼に叱られているような気分になり、手元に視線を落す。
だが、法雨だって分からないのだ。
どうして彼らを警察に突き出そうと思えないのか。どうしてこんな事をされているのにも関わらず、彼らを庇ってしまうのか。
その理由は、法雨にすらも分からなかった。
だが、彼らがまだ自分よりも若いせいか。あるいは、彼らに求められている時は自分もまた充足感を得ているからか。
いかにしても、彼らをただの悪として思う事ができなかったのだ。
「いいのよ……どうせ、今だけだから……」
そして、黙したままどうすべきかを考えているのであろう男に、法雨は呟くようにして言った。
すると、男は顔を上げ法雨を見る。
「オオカミなんて、そんなもんでしょ……オオカミなんて皆、ある程度満足したら勝手に離れて行くんだから……。どうせ、ハナから誰かを大事にしたりなんてしない、飽きたらおしまい……。――だからオオカミは嫌いなのよ……」
やや苛立たしげ何かを払うように耳と尾を動かし、法雨はそう言った。
法雨はオセロット族の亜人なのだが、ネコ科に属する亜人は、苛立った際などにはよくこのような仕草をする。
また、そのこげ茶色の斑模様が映える黄色い毛並みや、こげ茶色のメッシュが入った黄色の髪は、その薄暗い倉庫内では妙に際立っていた。
そして、肩につかない程度に前下がりに切り揃えたその髪を揺らがせ、法雨は続ける。
「だからもう放っておいてちょうだい……。それにきっと、アナタみたいなヒトにこれだけ脅かされたんから、あの子たちも当分は来ないわよ。だから、アナタのお役目もここでおしまい。だからもうアタシの事は気にしないで」
そしてそんな仕草や言葉を受けてか、その男はこれ以上の問答は無意味と思ったらしく、
「そうですか……」
とだけ言った。
「………………」
法雨はそんな男の様子を見て、少しだけ罪悪感を覚えた。
この男は見ず知らずの赤の他人だ。
だが、一応は自分を助けるべくこのように駆けつけてくれたわけでもある。
そう考えると、これまでのような態度をとった事に、改めて思うところがあったのだ。
その為、法雨はそんな罪悪感を和らげようと更に言葉を添える事にした。
「……その、アタシは大事にしたくないって気持ちもあるの。だから、助けてくれた事に礼は言うけど、本当に平気だから……もう気にしないで大丈夫よ」
すると、そんな法雨の言葉を聞いた男は、未だに心配そうな面持ちのまま言った。
「……分かりました。ではせめて、ご自宅までお送りします」
しかし、法雨はそれには首を振った。
だがそれは、この男が信頼できないからというわけではない。
法雨は、これ以上この男と話していると更に酷い態度をとってしまうのではないかと思い、早くこの状況を脱したかったのだ。
だから、出来れば今は、この男とも早く別れたかった。
「いえ、大丈夫よ。それも気にしないでちょうだい。家もこの近くだから一人で平気。――それと、もしかしたらこの口調で脳が勘違いしてるのかもしれないけど、アタシは男である事に変わりないの。だから、アナタが考えてるほどか弱くもないわ」
すると男はそれには素直に頷き、承諾の意を示した。
そして次にポケットからアルミケースを取り出し、そこから更に一枚の小さな紙を出し、法雨に手渡すようにした。
「?」
そんな様子を受け、法雨が不思議そうにしていると男は言った。
「色々とお節介を言ってしまい失礼しました。こちら、自分の連絡先が記してあります。先ほど、あちらの扉を壊してしまったので、もし修理代が分かりましたらご連絡ください。弁償させて頂きます」
「……あ、あぁ……それはまた……ご丁寧にどうも」
こうして幾分か冷たく無礼な態度をとっているというのに、男はまた丁寧にそうするので、法雨はやや動揺した。
だが、何とかあられもない状態だった衣服を整え終えた直後だった為、そのまま両手でその紙を丁寧に受け取った。
そんな男が差し出したのは一枚の名刺だった。
「……その、最後に一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか」
そして、法雨がその名刺を見ていると、ふと男がそう尋ねてきた。
「何かしら」
法雨はそれを不思議に思い問い返すと、男は青年たちが逃げて行った窓を見ながら言った。
「貴方は、“オオカミ”が、お嫌いなんですか……」
「………………」
法雨はその質問に少し驚いたが、強調するようにゆっくりと発された“オオカミ”という言葉を反芻し、更にその男の容姿を改めて確認した上で、無感情に言った。
「えぇ……嫌いよ」
そして、その回答を受けたその男は小さく何度か頷くようにして、
「……分かりました。お答え頂き、ありがとうございます。もし何かお困りの際がありましたら、その際もご連絡くださいね。では、自分はこれで。――どうぞ、お気をつけて帰られてください」
と言っては丁寧に一礼をし、その場から去って行った。
法雨はそれに礼を言いながら、その大きな背を見送った。
「………………」
そして法雨は、すっかり静けさを取り戻したその場所で、男から貰ったその名刺を改めて見る。
その名刺にはあの男の名と、男が何者であるか、そして、彼の連絡先などが記されてあった。
法雨は、それらを眺めながら、今一度あの男とのやりとりを反芻した。
そして、大きな罪悪感を胸に、
「……だって……嫌いだもの……」
と、不貞腐れた子供のように小さくそう呟いた。
「嘘をついたって……分かってしまうんでしょう……?」
法雨は彼が居なくなったその場所で、あの男が言った言葉を思い出しながらそう呟く。
「だったら……嘘なんてついたって無駄だもの……」
法雨はどんどんと強くなるその罪悪感に、抗うように言葉を連ね続ける。
「オオカミなんて……最後は皆、一緒だもの……」
そして法雨はまた一つ、誰にも届かない言い訳を零し、酷く募る罪悪感に責めたてられながら、壊れた扉をさするようにそっと撫でた。
その日、法雨の身体を貪っていたのはオオカミたちだった。
だが、そんな法雨を助けようと駆けつけたのもまた、オオカミだったのだ――。
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