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第二話『 The Hanged Man / U 』 下
そして、京をはじめとする彼らオオカミ族もまた、その獣性異常の体質になりやすい遺伝子を持っているのだ。
そんな事もあり、法雨が京にそう尋ねると、京はまたぎこちなく頷いた。
「……はい。――その、俺だけじゃなくて……こいつら全員そうです……」
「………………」
法雨はそこで言葉に窮した。
獣性異常の体質をもっていると、その生殖本能が月の満ち欠け次第で自制できないほどに強くなる時期がやってくる。それを、獣性発作と呼んだりもするのだが、その発作は主に満月の日に起こりやすい。
そしてその発作が起こる時期は、専用の抑制剤を服用するのが主な対処法だ。
つまり、その薬がなければその欲求に耐えられないほどの発作が、満月の度に起きるという事である。
「俺ら……店長サンに目を付けた時にはもう、色々ヤケになってて……」
「ヤケ? どういう事……? 薬を飲み続けるのが嫌になったとか?」
「いえ、そうじゃなくて……」
法雨はそんな彼らの体質は知ったものの、ヤケになる理由が分からなかった。
何せ、彼らは法雨のバーに毎日のように飲みに来ていたのだ。しかも、会計は問題なく済ませていた。――つまり、薬を買う金がないわけではないのだ。
そしてそれを不思議に思った法雨の問いに、京はまた答える。
「俺ら、自分たちが獣性異常だってのは分かってたんですけど……薬抗 体質って事までは自覚してなかったんです」
「薬抗体質……」
「はい……」
彼らの言う“薬抗体質”とは、その字の通り、その体に対し薬が効きにくい体質の事だ。
もちろんその体質は、どのような薬が効きにくいかという分類がいくつかあるのだが、恐らく彼らの場合、不運にもその抑制剤系統の薬が効きにくいタイプの薬抗体質だったのだろう。
「でも俺ら、それを知らなくてずっと市販の抑制剤を買ってて……。しかも、普通のじゃ効かないから一番強いランクのやつを買ってたんです。――でもそれすら全然効かなくて……、なのに満月の日あたりになると興奮しやすくなって気が立ったりして、それにも苛ついてて……」
そんな京の言葉を聞きながら、恐らく京と同じ状況にあったのであろう周りの仲間たちも、落ち着かない様子で苦しそうな表情をしていた。
恐らく、自分たちがその状況に陥っていた時の事を、その苦しみを、思い出しているのだろう。
「でも……酒飲んで酔っちまえば身体も怠くなって、脳も麻痺するから……薬がなくても大分マシになれるってのが分かったんです……。だから、高いくせに効かない薬飲んで必死で耐えてるより、酔い潰れるまで高い酒飲んで楽しんだ方が良いって思って……。――それで、店長サンの店がすげぇ良かったから、よく行くようになったんです」
「……そうだったのね」
法雨は、当時の彼らを随分と大盤振る舞いに金を使う客だ、と思っていたのを覚えている。
年齢的に金を得られるようになった若気の至りでなければいいがなどと思っていたが、真相はどうやらもっと深刻なものだったようだ。
「でも、アナタたちはどうして薬抗体質だって分かったの? あの後お医者様にでもかかったの?」
「それは……」
すると、そんな法雨の問いにまた少し戸惑いを見せた京だったが、意を決したように言った。
「あのヒトに……教えて貰ったからです」
「あのヒト?」
そういえば彼らは先ほども“あのヒト”と言っていた気がする。
それは一体誰のことなのだろうか。
法雨がそこでそんな事を考えていると、京が続ける。
「あの、雷 さんって言って分かりますか……。確か、名刺渡したって言ってたんで、店長サン、貰ってると思うんすけど」
「雷さん……? 名刺って、……もしかしてあの時の……?」
法雨はそこで、今寄り掛かっている背後の鉄扉を蹴破った、あの男の事を思い出した。
確かあの男からもらった名刺には、“雷”という名が書かれていた。
「じゃあ……アナタたちはあの後結局、あのヒトに捕まったって事?」
あの男には彼らを放っておくようにと頼んだはずだったのだが、己の正義感からやはり諦めきれなかったのだろうか。
すると、京がそれを慌てたように訂正する。
「あ、違います。捕まったとかじゃなくて……あの後、店長サンにしてた事がバレたから、俺達どうしたらいいか迷ってたんです。でも、そんな時に雷さんに街中で声かけられて……自分なら助けになれるかもしれないって言われて」
その言い方からして、あの後あの男は何かしらの要素から彼らの獣性異常などの事情を察したのかもしれない。
だから彼はきっと、京たちにそう声をかけたのだろう。
「それで俺たち、もうワケ分かんなくなっちまってたんで、雷さんのその言葉で力が抜けたって言うか……情けないっすけど、助けてくださいって言っちゃったんです……」
そして彼らはその後、その雷に自分たちの体質の事や、それまでの事をひたすら正直に話したのだそうだ。
そんな彼らに対し、雷はずっと優しく頷き、話を聞いてくれていたのだという。
「そう……。それで、アナタたちの薬抗体質の事も分かったって事なのね……」
「はい……。――それで雷さんには、もし店長サンに会う事があって、説明できる機会を貰えたなら、自分たちの体質の事をちゃんと話すようにって言われてたんです……」
そしてそんな雷から、気分を害させてしまうかもしれないから、一度とはいえ法雨から助けを拒まれている自分の名前は出さない方が良いと言われていたらしい。
だが、残念ながら彼らはあまりそういったやりくりが上手くなかった為、結局は雷の名を出すことになってしまったというわけだった。
「例え理解して貰えなくても、謝って、その上で獣性異常の事も、薬抗体質の事もちゃんと話して、説明した方が良いって」
「そう……」
「俺ら……あの時まではなんとか酒だけでやってきてたんですけど、やっぱ限界もあって……こんなんだから恋人も作れないし……だからってあんまそういう店も行きたくなくて……」
彼らの言う“そういう店”とは恐らく、代金を支払って性的欲求を解消させてくれるような店の事だろう。
あんな事をしておいてとは思うが、何かしらのこだわりでもあるのかもしれない。
「それで……アタシだったわけね……」
そんな言葉に京は反省するようにして頷いた。
そんな京によれば、彼らにとって、店で見かけただけとはいえ法雨は随分と魅力的に見えたらしい。
「でも、店長サンに声かけたのは、酒と溜まってた勢いだったっていうか……最初はうまくいかないと思ってたんです……。きっと強引にしてもすぐに抵抗されて逃げられるって……。――でも、店長サンは逃げなかった……。それで、そこで抑えがきかなくなっちまったんです。これまでずっと我慢してきたから、その分、余計抑えらんなくて……」
「………………」
そんな彼らの言葉に、法雨は黙したままだったが内心深く納得していた。
それは、長期間にわたる飢餓の果てに、至高の味だが食せば罰されるとされてきた果実が目の前に転がり落ちてきたようなものだ。
そしてその果実を手に取ってしまった彼らは更に、その際誰にも見られていない事を確認してしまった。
罰されない可能性を見出してしまったのだ。
だからこそ、彼らはそこでその果実を食すことを踏み止まることができなかった。
「頭ではこんな事したらダメだって分かってたんです……。でも耐えられなかった……。しかも、店長サンはそれから何回来ても、俺らの事を受け入れてくれた……だから俺ら、そんな店長さんに甘えてたんです……」
久々に得たその快楽は、彼らの脳を麻痺させていったのだろう。
もしかすると、法雨を貪ったその後には、彼らは後悔を胸に抱いていたのかもしれない。
だが、恐らくそれすらも歯止めにならないほど、その快楽の中毒性は強かったのだ。
「でも俺ら、雷さんと会ってから色んな事教えて貰って、この一カ月間、発症した時の為の自制訓練もしたんです。――だから」
京はそこで、まっすぐに法雨を見据え、続けた。
「もう二度とあんな事はしません……。信じて貰えないかもしれないっすけど、それはそれでいいです。俺たちがした事は、それほどの事だったって自覚してます。……ただ、それでもいいんで、どうか謝らせてください」
するとそんな京の言葉を受け、周りの仲間たちは腰を上げた。
そして、
「店長サン……、あんな目に遭わせてしまった事……本当にすいませんでした……」
と言って頭を下げた京と同じように、彼らも口々に謝罪を口にしては頭を下げた。
「………………」
そして、突然の事に法雨がそれにどう返せば良いか分からず戸惑っていると、京が更に続けた。
「それと、それでも俺らの事考えてくれて、有難うございました」
「……え?」
そんな京の言葉の意図が理解できず、法雨は未だ戸惑いの中、疑問の意を示した。
すると、京は言った。
「これは、雷さんに言わなくていいって言われてたんですけど、雷さんの事も全部言っちゃったんで……――その、雷さんから聞いたんです。俺らが口止めなんかしなくても、店長サンは警察に言う気もなかったって。――それで雷さん言ってたんです。多分、法雨さんは俺らの事も考えて、ずっとああさせてくれてたんだろうって……だから――」
「ち、違うわ。別に、アナタたちをどうこうしなかったのは面倒くさかったからってだけよ。そんな大層な理由じゃないわ」
法雨は、そこでやっと言葉を紡ぐことができた。どうしても彼らの思っている事を否定しておきたかったからだ。
確かに彼らの事を届け出なかったのは、理由は分からなくとも、悪として警察に突き出す気になれなかったからだ。
もしかしたら彼らと交わり、彼らに触れ、その顔や瞳を見る中で、本能的に何か悪ではない心を悟ったからかもしれない。
だがいずれにしても、その中で結局自分の満足感を満たしてもいた。
餌として見られている事に不快感は覚え始めてはいたが、満足感を得ていたのも確かだ。
だからこそ法雨は、あれをそんな綺麗事にしてほしくなかったのだ。
「アタシはね、誰とヤろうがどうでもいいの。どうでもいいのよそんなこと。別にアナタたちはアタシに暴力を振るったりしなかったし、ただ普通にセックスしてただけじゃない。だから別に、レイプされたとも思ってないわ。ただ……アナタたちはアタシをエサ同然に見始めたように感じたの。……だから、それに少しだけ嫌だと思っただけ。アタシじゃなく、誰でもいいような道具にされるのが嫌だったの。それだけよ。言っておくけど、アタシ、そんなおキレイな身じゃないわ」
法雨はなんとしても否定したくて彼らに有無を言わせぬようにわざと多く言葉を連ねたが、法雨の言葉を聞き終えるなり、京は法雨を見据えて言った。
「いや……店長サンは綺麗っすよ……見た目も、中身も……。――なんつぅか、俺がこんな事言うの変っすけど……店長サンが綺麗だったから、つい我慢できなくてあんな事しちまったんだと思います……」
法雨はそう言われ、更に彼の言葉に納得がいかず、小さく溜め息をついて目を反らした。
自分を褒められて、綺麗だと言われて、嬉しくないわけではない。
だが、今回ばかりは素直に受け取る事が憚られたのだ。
「……そう……それは不思議な感性だわ……」
法雨はそんな気持ちから、そう言葉を返した。
それからその場に一時の沈黙が訪れたが、京がその沈黙を破るように言った。
「あの……店長サン」
「……何?」
この場所へ来た時とは違い、すっかり穏やかな雰囲気になった法雨に、彼はおずおずといった様子で言葉を続けた。
「その……また、店には行っても……いいですか……」
「………………」
法雨の沈黙に対し、彼は少し慌てたように言い添える。
「も、もちろん、もうあんな事は二度と――」
「いいわよ」
だが、法雨はそんな京の言葉を遮るようにして言った。
「――だって、アタシのお店はお代を頂いてお客様をおもてなしする為にあるのよ? レイプ犯もどきはお断りだけど、お客様ならいいに決まってるでしょ」
そんな法雨の言葉を受け、オオカミ族の青年たちは少しだけ緊張を解いたようにして表情を緩ませた。
そして京に続き、彼らは口々に法雨に対し礼を言い、今一度、揃って謝罪を述べたのであった。
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