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第三話『 The High Priestess / U 』 上

 法雨(みのり)(みさと)たちとの再会を経たその後。  彼らは法雨の身体目的などではなく、ごく普通の客として法雨のバーに訪れるようになった。  そして、そんな法雨と彼らとの密かな関係を知らない従業員たちは、気さくな常連客となった彼らと次第に親しげに話すようにもなっていった。  ただ、法雨はそんな彼らの様子を少し不安げに見ていた。  やはりあのような事があった故か、警戒心は完全に消すことはできなかったのだ。  だがそんな彼らはそれ以降、そんな法雨の心中を知ってか知らずか、 「あの、大丈夫なんで。今日も酒も飯も美味かったです。御馳走様でした。おやすみなさい」  と口々に言ってはぺこぺこと頭を下げて店を出てゆくので、法雨はそれを受け、次第にその警戒心をも日に日に手放していったのだった。     ― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第三話『The High Priestess/U』 ―      そんな彼らはといえば、どうやら雷との訓練の成果が出ているらしく、獣性異常の体質ともかなりうまく付き合えるようになってきているようだった。  そしてその解放感からか、仲間同士で遠くまで旅行に出かけたりもしているらしく、その都度店に土産を持ってきたりと、彼らの表情もまた、日に日に陽気をまとっていった。  また、そんな彼らは法雨(みのり)にこんな事も言っていた。 ――あの、もしも店とか法雨さんに何かあったらいつでも俺ら使って下さい。面倒事でも雑用でも何でもしますんで。あんな事した分の償いもしたいんです。体力には自信ありますから、力仕事も任せてくださいね 「――へぇ~、じゃあその子たち、今じゃすっかり法雨の可愛いワンちゃんたちになったんだねぇ」  その日、法雨の家には来客があった。 「ふふ、そうね。もうオオカミらしさは感じられないわね」  法雨はそう言って、そんな彼らの話をしていた客人に微笑んだ。その客人はフェネック族の男で、今は法雨の向かい側のソファに座って、楽しげに法雨の話を聞いている。  そんな彼の名は菖蒲(あやめ)という。彼は、法雨の無二の親友で、お互い学生時代からの付き合いという事もあり、今となっては法雨と十年来以上の友となっている。  ただフェネック族という小柄で臆病な種族を先祖とする割に、特に小柄というわけではない彼は、その驚異的な運動神経と気ままな性格のみが先祖より受け継がれているのだった。 「でもきっと、今のあの感じが、あの子たちの本来の姿だったんだろうなって思うの」  法雨はそう言って、心地よい香りのするティーカップに口をつける。  そして、ダージリンの優しげな香りと共に、紅茶が体を温めてくれるのを感じひとつ感嘆の息を吐いた。  そのダージリンは年中出されている茶葉とは違い、早摘みと言われる春の時季限定の茶葉だ。紅茶好きの二人は春には必ずこの春摘みのダージリンを頂いている。 「そうだねぇ……俺らイヌ科って、特にそういう偏見もたれがちだし……。そういう偏見を押し付けられ続けると、やっぱ性格もスレてっちゃうっていうか……荒んじゃうヒトも少なくないからね」  そう言って、菖蒲もティーカップに口をつけ、紅茶を味わう。  そんな菖蒲もまた、イヌ科ならではの偏見から何かしらの経験があったのだろう。  彼はそこで何かを思い出すようにして、ひとつ息をついた。  そうして彼らに向けられる種族に対する偏見もさながら、生まれながらの体質とは酷く残酷なものだ。  法雨は(みさと)たちの抱えていた事情を知って以降、彼らを見る度にそう思うのだった。 「根はあんなにも良い子たちなのに……訳も分からないまま偏見を押し付けられて……色んな事を無理やり我慢させられて……その果てに外れ者になんてされたら……そりゃあ辛いわよね……」 「うん……。きっと、その子たちがそれほど我慢したのって、性犯罪を犯しやすいっていう偏見も気にしてたからなんじゃないかなって思うよ」  実は、京らももつ獣性異常の体質は、大して珍しい物でもない。もちろん重症度が高い者はそう多くはないのだが、そのレベルが高い者でも、発作時以外は他の者と何ら変わらないのだ。そして、その発作への対策も、レベルに対応した抑制剤と日々の予防があればそう難しくはない。  だが、そうであっても世間の理解は未だ乏しく、偏見がもたれやすいという事は、現代でも問題視されている点だ。  そしてその偏見の中でも最も挙げられる事が多いのが、獣性異常者が性犯罪に手を染めやすいという偏見だ。  ただそれは、世間の偏見に痛めつけられた彼らが、そのストレスの果てに至ってしまったというケースもきっと少なくはないのだろう。  法雨は今回の件を経て、改めてそう思った。  もちろんのこと、法雨は元より獣性異常に対する偏見はもっていなかったのだが、身近に獣性異常が居なかった為か、その実情を肌で感じるのはこれが初めてだった。  そして実際、現代における性犯罪において、獣性異常者が起こしたものというのは大して多くはないのだ。  だが、その偏見ゆえか、犯行に及んだのは獣性異常者だったという情報が添えられると皆“やはり”といったようにみてしまう。  そうして、偏見は消えずに更に根を強く張ってしまうのだった。 「でも……今回の件はアタシもいけなかったのよね」 「え? なんで?」  法雨が様々思考を巡らせた果てにそう言うと、菖蒲は不思議そうにして問い返した。  法雨はまたひとつ紅茶に口をつけ、喉を潤すようにししては答える。 「だって、アタシがあの子たちに声をかけられた時にちゃんと抵抗すれば、あの子たちは諦めてそのまま帰ったはずだったのよ。だから……あんな風になげやりにならず、ちゃんとしてあげてればって……」  すると菖蒲はそんな法雨の言葉を聞き、苦笑するようにして言った。 「はは、法雨はほんとお世話好きだよねぇ」 「だって、そうなんだもの。アタシが止めてさえいれば、こうはならなかったのよ?」 「う~ん……どうかなぁ。多分、法雨があそこで受け入れてなかったら、その子たちはそのまま別で同じ事したと思うよ。――だって法雨の時も、その子たちは耐えられなくなったからそうしたんだよ? だから法雨で上手くいかなくても、他のとこで法雨くらいの優しい美人見つけたら、どっちみち耐えられなくなってたよ」 「……そうなのかしら」 「そうだよ。――それに俺はむしろ、法雨の行動はちゃんとその子らを救う為になったと思うなぁ」  そして、法雨を安心させてくれるような笑みを作った菖蒲はそう言い、不思議そうにする法雨に言葉を続けた。 「だってさぁ。もし法雨がその子らに抵抗してたら、その子ら諦めてそのまま帰ったって事でしょ? でも、今回法雨はそうしなかった。むしろ彼らを自分の元に引き留めた。んで、そうした事で彼らはその間、溜まりに溜まったストレスと欲求を大いに解消できた。おかげで、性犯罪以外の犯罪は犯さずに済んだんだ」 「でもそれは――」  偶然、運よくそうなっただけだ。それは不幸中の幸いに過ぎない。  法雨はその先でそう意見しようとした。  だが、菖蒲はそれを制するように茶請けのビスケットを手に取り、法雨の唇に封をするようにぺしりと添える。 「そ、れ、と、ね?」 「……?」  菖蒲はそうして法雨を制した後、ビスケットをそのまま法雨に咥えさせるようにしながら続ける。 「その子たちは、法雨がそうして引き留めててくれたから、その(あずま)さんと出会えたんだよ。法雨はね、直接的には彼らを完全に救う事はできなかったかもしれない。でも、彼らを救う為の橋渡しをしたのは、法雨なんだよ。だから、今の彼らがあるのは、法雨のおかげでもある。――俺は、そう思うよ」 「………………」 「全ての運命は数多くのきっかけと選択が築いた結果でしかない。――そして、その時の法雨の選択は、彼らが今に至る為の選択肢を得るという結果を築いたんだ。だから、雷さんだけじゃなく、法雨もまたその子達を救ったって事に変わりはないよ」 「そう、なのかしら……」 「そうだよ」  そして、まだ納得いっていない様子の法雨に、菖蒲はまた言い添える。 「もちろん、別の方法だってあったと思うよ? 例えば、雷さんがそうしたように、法雨も彼らの事情を察して声をかけられてればまた違った方法で救えていたかもしれない。――でもね、これは結局“かもしれない”以上にはなり得ない」  法雨はそんな菖蒲の言葉を聞き、ひとつ想像してみる。  もしあの時、京の言葉に応じず、その代わり自分も雷のように――。  だが、法雨はそこでそのイメージを打ち消した。  駄目だったのだ。  菖蒲に言われたような流れを想像してみたものの、どのような流れを組んでも、法雨は雷のような言葉をかけられる結果に至れなかった。  法雨は、想像した中でもやはり、あの状況下で彼らの事情を察する事ができなかった。  そして、強引にでも“どうしてこんな事をするのか”と尋ねてみるケースも想像してみた。  だがその中で想像できたのは、その果てで彼らに“アンタに何が分かる”と言われる結果のみだったのだ。 「――ね。雷さんっていうきっかけを抜いて、あの子たちを法雨だけが助けるのって、結構難しいでしょ?」 「……えぇ」  法雨は諦めの溜め息をつきながらそう言った。  そして菖蒲はそんな法雨に苦笑するようにして言葉を紡ぐ。 「運命は確かに多くの選択肢から成る。――でもね、とある運命に辿り着く為には、いくつかの条件も揃える必要があるもんなんだ。そして難儀な事に、その条件が揃わない限り、その運命に辿り着くための選択肢は絶対に現れない。だから、その条件をすっとばして特定の運命に至るのは、なかなか難しいんだよ」  そんな菖蒲の言葉を受け、法雨は少し考えるようにする。  そして、またひとつ溜め息をついた。 「……そうね。確かに、今のアタシじゃあの子たちはそれくらいしかできなかったみたい。そして、それがアタシがとれる中では最善の選択だったのね」 「そ~いうコト」  そうして法雨の言葉を受けた菖蒲は満足そうに笑んだ。 「う~ん……でも……、アタシがもうちょっと雷さんみたいに知識や察する力があるヒトだったら、また違ってたって事でもあるわよね」 「え? うん。まぁそうなるね」 「じゃあ、アタシが未熟だったゆえってのは変わらないわね」 「アハハ、法雨はそういうとこ強情だよねぇ」 「えぇ? だって……ただ抱かれてただけであの子たちを救っただなんて納得いかないもの」 「はぁ、これだから自分に厳しいヒトは困っちゃうよねぇ~」 「違うわよ。自分に厳しいんじゃなくて、救ったって言われるならちゃんと自分の手で救った実感がわくような経緯を踏みたかったの」 「ふふ、はいはい。じゃあ我儘だねぇ~って言っておけばいい?」 「えぇ、そうしてちょうだい」  二人はそこでそんなやりとりをし、クスクスと少し笑い合った。  そして、またひとつ区切りをつけたように息を吐き、法雨は言った。 「でも、今回でアタシも学ばせられたわ……」 「あぁ、じゃあいっこ成長できたじゃん」 「そうかもしれないわ。いい経験、とは言えないけど、色々と考えるきっかけにはなったから」 「うんうん。酸いも甘いも経験して、大人になっていかないとねぇ~」 「そうね……まったく。身体ばかり大人になって、心はクソガキのままだっていうのも痛感させられたわ」 「ふふ。でも、子供心は忘れない方が若くいられるよ」  そして、そんな菖蒲の言葉に悪戯っぽく苦笑するようにした法雨は言う。 「子供心を忘れないのと、いつまでもガキなのは別でしょ」 「アァ~、それはごもっとも」  そんな菖蒲の言葉にまた笑った法雨は、そこで残った紅茶をすっと飲み干した。 「ん~でも……、そんな法雨よりもっとお子ちゃまなその子たちが法雨のこと食べてたってのは頂けないなぁ~」 「え?」 「だってさぁ~、法雨、年下相手なら食う方専門だったじゃん。なのに大人しく抱かれちゃってたんでしょ~? ここ最近じゃ法雨を食うのは俺だけの特権だったのにさぁ~」 「ふふ、そうね。でもまたアナタだけの特権に戻ったじゃない」 「う~ん」 「まったく。アナタはアナタでそういうとこが強情よね」 「俺は優越感が大好きだからねぇ。それに、俺が法雨を食べられるのも、こうして法雨がフリーの間だけなんだから。他の奴に食べさせてやる分なんてないんだって」  菖蒲はやや不服そうにそう言って、カップに残っていた紅茶を飲み干した。  彼らは無二の親友同士だ。それゆえ恋人ではない。  また、恋人であった期間もない。  だが彼らの間には、お互いにだけは全てを晒せるという信頼感があった。それは、友情というには少し大きすぎるものだ。――いうなればそれは絆と言った方がよいかもしれない。  そんな二人は学生時代から既に体の関係はもっていたが、お互いに親友という関係は崩したくないという気持ちが一致し、一線を越えても尚、友愛を恋愛に変える事なく過ごしてきたのだった。  そしてそれは、今もまだ変わらない。  また、そんな関係にある事を、他人から歪だ、おかしいと言われる事もあった。  だが彼らはそんな意見に対し何を感じる事もなかった。  お互いが満足しているのだからそれで良い。  ただそれだけを思って、二人は過ごしてきた。だからこそ、そんな二人の間には。何者にも避けぬ絆が築かれているのだった。  だがそんな中、お互いにひとつ思っている事があった。    

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