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第六話『 The Hermit / U 』 下

       その日は今日と同じく、客の居なくなった明け方の店内には(みさと)のみが残っているという状態だった。  そして、その日は桔流(きりゅう)も早目に退勤させたことから、店内には完全に法雨(みのり)と京の二人だけとなっていたのだ。  そんな中、今日と違い京が元気だった為、彼は店内の簡単な清掃を手伝ってくれていたのだが、その時にたまたま、あの当時の事を少しだけ話していたのだった。  京はその時も法雨に対し、どうしたら償いになるかなどという事を訊いたりもしていた。  だがその時、 「その話、俺も聞いていいですか……」  という声がその場に添えられたのだった。 「き、桔流君……。どうして……」  そしてそんな声に驚いた法雨がそう問うと、 「ちょっと、忘れ物あったんで取りに来たんですけど……この時間だし締め手伝おうと思って……。でも、居ちゃまずかったみたいですね」 「ええと……」  そこで幾分か機嫌が悪くなっている様子の桔流に、法雨がどう言うべきかを迷っていると、桔流は更に言った。 「いいですよ。大丈夫です、すぐ帰ります。――でも、一個だけ確認させて貰いますね」  その当時、既に桔流と京は親しげに話すほどにはなっていたのだが、法雨との暗黙の了解のようなものがあり、あの密会の事実は伝えていなかったのだ。  その為桔流はその密会の事を、事故的にではあるが、その時知ることになった。  そして、その事実を知ってしまった桔流はそう言うと、足早に京の方へと歩み寄り、その様子に呆気にとられていた京の胸倉を掴んではそのまま乱暴に壁に押しつけるようにした。 「き、桔流君。ちょっと待って――」  そしてそんな行動に驚いた法雨が止めに入ろうとするが、桔流はそれすらも制するような低い声で、そのまま京に問うた。 「てめぇ今の話本当か……?」  そんな桔流の苛立ったような威圧的な声は、法雨もその時初めて聞いたものだった。  そして、その荒々しい口調もだ。  桔流は高校時代、その凛として整った外見に見合わず、派手な喧嘩をして過ごしていた時期もあるとは法雨も聞いていた。だが、その面影を感じる事もやはりそれまでなかったのだ。 「正直に答えろ……。今の話は事実なのか……」  そして更にそう問われ、静かながら怒りを露わにしている桔流に胸倉を締め上げられていた京は、そこで桔流の目を見返して言った。 「……事実だ」 「そうか」  すると京の返事を受けた桔流は、そのまま京の胸倉を引いて乱暴にフロアの中央へ突き飛ばすようにした。 「ちょ、ちょっと桔流く――」  そしてテーブルが寄せられ、少しスペースができている店内の中央で、倒れるまではいかずともそこへよろけ出た京の胸倉を今一度掴み、桔流は京の頬を手慣れた動作で一発殴ったのだった。 「……ッ」  だが、それでも京は倒れなかった。  もしかしたら京も、なんだかんだ桔流と同じような経験をしてきたのかもしれない。  法雨は慌てながらも、彼の様子からそんな事をふと思っていた。 「ふざけんな、クソ野郎」 「……悪い。もう二度としない」 「当たり前だ。次なんてあったらその時は存分に痛めつけた後に殺してやるよ」 「……あぁ、そうしてくれ」  そして、そんな京の言葉を受けしばしの沈黙を挟んだ桔流は、再び口を開いた。 「法雨さんも……そんな事、二度としないで下さい……」 「………………」  桔流はその時、法雨と視線を合わせようとはしなかったが、酷く悔しそうな顔をしていた。  それに気付いた法雨は、小さな罪悪感を感じながらも言葉が出ず、ただ桔流を見た。 「法雨さんが俺ら従業員の事大切にしてくれてるのは、俺もよく分かってます。でも、だからってそんな事までされて護られても……少なくとも俺は、死ぬほど嬉しくないです。そんな風にされるくらいだったら俺がそいつらに回された方が何倍もいいです」 「桔流君……」 「だから法雨さん。こいつとの事はもう解決したみたいですけど……もう二度と、そんな事しないで下さい。俺も、法雨さんに救われた身です。だから、恩返しに法雨さんの役に立ちたいし、法雨さんがすげぇ大切なんです」 「………………」 「法雨さんにとって、俺はまだガキなんだと思います。でも、もう十分でかくなったガキなんで……そういう事があった時は、俺の事も頼って下さい。法雨さんは、そういう事に使われる道具じゃないんですよ……。自分から望んでるんなら口は出しませんけど……そうじゃないなら……自分をそんな風に使わせないで下さい……。これは、俺からの何よりもの願いです。だからどうか……頼みます……」  桔流はそう言って、未だ法雨には目を合わせず、ただ床を見つめるようにしてそう言った。  そんな桔流の言葉を受け、法雨は桔流に歩み寄り、少し赤くなっているその手を取り、言った。 「……桔流君。今回の事、黙っててごめんなさい。……そして、ありがとう。桔流君にそう言って貰えて、凄く心強いわ。だから、今度からはちゃんと相談するわね。……心配かけて、ごめんなさい。――勿論次なんてないと思うけど、何か困ったことがあったら、今度は頼らせてね」 「……はい。そうして下さい」  そして、そんな桔流の返事を受け、先ほど京を殴った彼のその手を擦りながら法雨は頬笑む。 「桔流君の強いとこ、初めて見たけれど、やっぱりイケメンはこういう時も様になるわね。――まるでドラマ見てるみたいだったわ」 「……なんか、この流れで言われると恥ずかしいです」 「あらあら、いつもの可愛い桔流君に戻っちゃったわね」 「………………はい、おしまいです」  どうやら小さく拗ねてしまったらしい桔流は、法雨が擦ってやっていた手をすっと引き抜きそう言った。  法雨はそんな桔流を見ながら嬉しそうに笑み、今度はすっかり落ち込んでしまっている京に向き直る。 「それで京は大丈夫だったかしら? 顎外れてない?」 「えっ……そ、そんなヤワな顎じゃないっす……」 「ふふ、それは良かったわ。――まったく、まさか殴るなんて思わなかったからびっくりしちゃったわよ」  法雨はそう言って、タオルをさっと濡らし京に渡した。  京の頬はと言えば、見事に赤くなっている。  京は法雨からそのタオルを受け取ると、礼を言って頬を冷やすようにした。  そして、法雨のそんな言葉に対し、桔流は悪びれるどころか胸を張るようにして、 「流石にそんな事があったなんて知ったら、せめて一発殴らずにはいられなかったんですよ」 「もう、黙ってたアタシも悪かったけど……心臓に悪いわ。意外と血の気多い子だったのね、桔流君」 「違いますよ――投げ出した時に京が倒れなかったのが悪いんです」 「えっ……」 「あぁ確かに。……倒れるかと思ったら、平気そうにしてたわね」 「それが癪に障ったんで殴りました」 「えっ……」 「んだよ」 「い、いえ……」  恐らく京は、法雨への行いに対しての怒りから桔流が自分を殴ったのだと思っていたのだろう。  勿論、桔流がこう言っているだけで、本当はその怒りから殴ったという事なのかもしれないが、いずれにしても京は、その桔流の言葉に動揺を隠せなかったのだった。  そしてその後、法雨は少しだけ心配していたのだが、桔流は法雨が後に引きたくないと思っている事をも察してか、京とこれまで通りに接し始め、その間に新たな亀裂が入るようなことはなかった。  過去は過去。今は今。そして、過去の行いは消えないが、それを引きずるよりも未来で償い、その先をどうしてゆくかが大切なのだ。  法雨は相当の事がない限りこのように割り切るようにしているのだが、恐らく桔流もそういうタイプなのだろう。  それゆえに、当事者ではない分、今回の事は桔流も自分の気を晴らした上で、後は京の今後の行い次第と判じたようだった。        そして、そんな桔流(きりゅう)(みさと)のやりとりがあったという事は、今では少し懐かしい出来事となっていたりする。 「それに、どっちかっていったら法雨(みのり)さん、コイツは抱く側でしょ?」 「アラ、さすが桔流君。よく分かってるじゃない。これまでたっぷり抱かれてきただけあるわね」 「う……なんかそう称賛されるのはヤです。法雨さんがそうしたいって言うからそうしてるだけで、俺だって法雨さんの事抱けるんですから」 「ふふ。はいはい」  そんな桔流はと言えば、ひょんなことから法雨に救われて以降、お互いの性への感性が似ている事からも特に色恋に発展する事なく、純粋に行為を楽しむという形で身体を重ねてきた仲であったりもする。  だがその際、法雨にとって桔流は抱きたい男であったが為に、法雨への恩もあり、桔流は降伏の意をもって法雨に腹を見せる事となったのだった。  それゆえ桔流は、幾度となく法雨に頂かれている一人でもあるのだった。  法雨はそんな桔流とのやりとりを楽しみながら、ふと京の方を見やり、またあの日の事を思い出した。  法雨はオオカミが嫌いだと言った。  勿論、今でも記憶に残るオオカミは嫌いだし、見ず知らずのオオカミは警戒するクセがついている。  だが、(あずま)やこの京が嫌いかと言えば、そうではない。  そんな法雨はふと、桔流に起こされている京を見、次いで雷の事を思い出した。  法雨はむしろ彼らには好意的な感情を抱いているし、あの当時だって、彼らに向けて嫌いだと言ったわけではなかった。  だからこそ、今度は自分が雷の役に立てるなら、と法雨は思うのだ。 (雷さんの恋はどうにもできないかもしれないけど……少しでもそのお悩みの役に立って、恩返しがしたい……。でも……どうしたらいいのかしら)  そして、法雨はどうしたものかと考えながら、眠気眼を擦る京に起床の挨拶を告げた。

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