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第七話『 Judgement / U 』 上

       秋もそろそろ次の季節へ移り変わろうとしていた十一月の事。  その日の日中、ティータイムを嗜むにはちょうど良い頃合に突然の豪雨が都内を襲った。 「はぁ……最悪だわ……」  そんな予報もなかったはずのその日、法雨(みのり)は非番の為、久々に買い物を楽しんでいた。  洋服を見て回り、化粧品を見て回り。なんと充足感に満ち足りた日だろうと思い、喫茶店を出たところで法雨は豪雨に襲われた。  そして、そんな豪雨に耐え切れず壊れてしまった折り畳みの傘は、もはや何の役にも立たない。 「法雨さん?」  そんな法雨がなんとか雨宿りできそうな場所を見つけ、忌々しげに雨雲を見上げていると、突然名前を呼ばれた。  そして、その声に驚きつつも法雨が声の掛けられた方を見やると、そこには久方ぶりに見る彼が居た。     ― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第七話『Judgement/U』 ―     「あ、(あずま)さん!? ど、どうしてここに……」  この豪雨の中、まさか雷に出会うとは思っておらず、法雨(みのり)は驚きながらそう言った。  すると、こんな豪雨の中コンビニで買い物でもしてきたのだろうか。ビニール袋と頑丈そうな傘を手にした雷は、心配そうな表情で言った。 「法雨さんこそ……いや、それよりもすっかり雨にやられてしまってますね。――この隣がうちの事務所なんです。よければ雨が止むまでいらしては」  雷はそう言って、法雨が雨宿りをしていたビルの隣に建つ、3階建てほどのビルを示した。  そして法雨がそのビルを見上げると、二階の窓には“雷探偵事務所”という文字が確かに示されていた。 「本当……全然気付きませんでした……」 「はは、こんな雨では上なんて見てられませんからね」  そうして、ビルを見上げようとしたことで雨に濡れそうになっている法雨に傘をやりつつ、雷は笑った。  そんな雷の対応に気付き、法雨は慌てて言った。 「あぁ、ごめんなさい。雷さんが濡れちゃいますから大丈夫ですわ……。でも、依頼人でもないのにお邪魔してよろしいんですか?」 「もちろんですよ。それに、このままでは風邪をひいてしまいますからね」  法雨は店長を務めている者として、いかにしても風邪などはひいていられない。  そんな事もあり、法雨は恐縮しながらも雷に言った。 「すいません……じゃあ、お言葉に甘えて……」 「はい」  すると、雷はまた笑んで、法雨を事務所へと案内した。 「どうぞ、中へ」  雷は法雨を事務所に招き入れるなり、そう言った。 「でも、汚してしまいますわ」  だが、法雨は羽織っていた秋物のジャケットも荷物も全て濡れてしまっていた。  その為、事務所の入口から先に進むのを躊躇った。 「大丈夫ですよ。さぁ」 「……すいません。ありがとうございます」 「いえ。どうかお気になさらず」  しかし、雷が丁寧に促してくれる様子を受け、それを断り続けるのも無粋と考え、法雨はその厚意に甘える事にした。 「ジャケットの中も濡れてしまっていますか?」  せめても、濡れているものは戸口にまとめておこうと、その場でジャケットを脱ごうとしている法雨に、雷は問うた。 「あ、いえ。幸い中は無事みたいです」  すると、その様子を受け雷は安心したように笑み、柔らかなタオルを手渡しながら言った。 「それは良かった。――どうぞ、こちらにかけて下さい。法雨さんは紅茶でよろしかったですか?」 「えっ、あ……あぁすいません。何から何まで」 「いえいえ。――雨が上がるまでは時間がかかりそうですから」  そうしてタオルを受け取った法雨が、促されるままに依頼人が座るのであろう柔らかなソファに腰掛けると、法雨の目の前に淹れたての紅茶が置かれた。  そして、向かい側には雷のものであろうマグカップが置かれた。だが、そのカップの中には珈琲が淹れられていた。  そこでそれに気付いた法雨は、少しだけ自意識過剰な考えを持ってしまい、自分を窘めた。  実は以前、(みさと)に、 ――姐さんって珈琲派と紅茶派って言われたら、どっちっすか?  と訊かれたのを思い出し、もしかしたら今、まさにその情報を活かされたのではないかと法雨は思ったのだ。  そしてその果てに、恋をしてしまった相手はもしかしたらやはり、などと考えてしまった。 (まったく……ご迷惑をかけておいて何考えてるのかしら)  法雨はそうして自分を窘めつつ、頂いた紅茶のカップを手に取った。 「ダージリンは平気でしたか?」  そして少し香りを楽しんでいると、やや斜め向かいに腰掛けた雷が問うてきた。 「えっ? あっ、はい。とても美味しいです」 「それは良かった」  そんな雷に笑顔でそう答えると、雷もまた安心したように笑んだ。 「本当に、何から何までありがとうございます。――あの、そういえば今日はお仕事は大丈夫なんですか? 突然お邪魔してしまって、文字通り、お邪魔になってません?」 「はは、ご心配なく。今日の分の仕事はちょうど済んでますし、依頼人が来る予定もないので、安心して雨宿りしてください」  法雨が気にしていた事を察したのか、安心させるように雷はそう言った。  そんな雷と法雨は、少しだけその日の事などの雑談を交わして過ごしたが、その後、法雨はひとつの話題を終えたところで、雷にとある事を尋ねることにした。 「あの、雷さん」 「はい。なんでしょう」 「その、もし失礼な事を伺っていたらすいません。――実は少し前に、京から雷さんの様子がおかしいって話をお聞きして……」 「え、あぁ……はは、そういえば、京君からお力をお借りしたと聞きました。彼にも随分と迷惑をかけてしまいましたが、その節は、法雨さんにもご心配をおかけしてすいませんでした」 「いえそんな、全然」  頭を下げられるとは思わず、法雨は慌てて雷を制した。 「その、アタシはそうして頂きたくて言ったんじゃなくて……」 「?」  そんな法雨の言葉に不思議そうにした雷は、その表情で疑問の意を返した。  法雨はそんな雷に言葉を続ける。 「その……、随分とお悩みなようでしたから……。京からその話を伺ってから、アタシも何かお役に立てればと思っていたんです」 「え?」 「アタシは、雷さんに助けて頂いてから大したお礼も出来ていませんから……恩返しとまではいきませんが……何か、お礼になる事がしたくて」  法雨がそう言うと、雷は苦笑するようにして言った。 「法雨さんは本当にお優しい方ですね」 「とんでもないです……アタシは普通の恋愛らしいものはあまり経験しておりませんけど、その代わり、あのお店で沢山の方々のお話を聞いてきましたから、お借りしている経験が沢山あるんです。ですから、きっと少しはお役に立てるんじゃないかと……」  そして、法雨がそう言うと、更に苦笑を深めた雷が、首筋をさすりながら言った。 「ありがとうございます。――ただ、そう仰って頂いたということは、そういう恋愛的な話が原因になっているという事も伝わってしまってるんですね。なんだか、それはそれで気恥ずかしいものがありますね」  すると、そんな雷の言葉に法雨はまた慌てつつ謝罪した。 「あっ、ごめんなさい。アタシ、京があれやこれや話すものですから、こちらにもその話までしていたのをご存知かと思ってつい……」 「ははは、いや、いいんですよ。情けない話なので、ガッカリさせてしまったかなと思っただけで」 「ガッカリなんてとんでもない。恋をすると、誰しも苦労するものですわ」  そんな法雨の言葉に、やや気恥ずかしそうにした雷は、またひとつ問うた。 「法雨さんの言葉は、本当にいつもお優しいですね。――ですが、普通の恋愛らしいものをあまり経験していないということは、法雨さんは随分と波乱万丈な恋でも?」  そして、そんな雷の言葉を受け、法雨は苦笑した。 「ふふ、いえ、違うんです。――波乱万丈なのではなく、キレイな話ではないだけです」  すると、そんな法雨の言葉を聞き、雷は心配するような面もちで言った。 「……それは、俺がお聞きしても?」  そんな雷の言葉を受け、少しだけ戸惑うようにした法雨は、手元のカップに視線を落して言った。 「……構いませんけれど……でも本当に聞いて楽しい話じゃないんですよ。――でも、そうですね……こういう恋愛はされない方が良い、という一例にして、お話しいたさせて頂こうかしら」  そんな法雨の言葉を受け、雷はそれに安心させるような笑みで、 「はい、是非」  と言った。  法雨はまたひとつそれに苦笑して、自らのとある経験について話すことにした。 「……そうですね、何と言いましょうか……一つずつ語るようなものではないのですが、アタシのしてきた経験は、相愛でないものがほとんどだったんです」  法雨は当時の事を思い出し、ひとつ溜め息をつく。 「アタシ……求められる事が好きだったんです。――どのようあ形であれ、自分を必要として貰える事。自分を欲して貰える事。アタシをアタシとして見てくれて、他の誰でもない、アタシを求めて貰える事が嬉しかった。だから、何をするにもアタシを求めてくれる人に、ことごとく恋をしてしまったんです」  法雨は、少し悲しげな笑みを浮かべては、美しい装飾が描かれたカップの淵を親指で撫でるようにした。 「でも今思えば……それは、恋じゃなかった。恋じゃなくて、その充足感に対する依存だったんです。だから、その充足感を得られやすというものあって、体を求められる事も……嬉しかった……。そして、なんでもしてくれるって噂でもまわったのかもしれませんけど……一人と別れる度すぐに告白されるような時期があって……、付き合ったその日にすぐに行為に至るなんてザラでした。でも……それでもアタシは嬉しかった。それだけ多くの人に求められてるような気もして……その穢れた沼に進んで堕ちて行った。自分でも、ただヤりたいだけで声をかけられてるって分かってたんです。でも、アタシは求められていたかった。だから、アタシを求めてくれるその人たちに恋をし続けたんです。……そしてそれが、アタシにとっての恋でした」 「………………」  雷は、カップを見つめるようにして話す法雨の顔を見つめ、黙したまま法雨の話を聞いていた。  法雨はその視線を感じていたが、話している話題のせいか、どうしても雷の顔を見返す事は出来なかった。  その為、法雨はまた、そのまま言葉を続ける。 「これが、アタシがしてきた恋愛です。だから、こういう恋愛は絶対にお勧めしませんし、これはやはり恋愛ですらないのだと思います。――アタシ、雷さんに助けて頂いた時も、平気だって言ったでしょう?」 「はい」  雷は低く、誰かを支えるかのような心強い声色で、ひとつ頷いた。  そんな雷の声に、少しだけ息の詰まるような感覚を覚えた法雨は、ひとつ呼吸をして続ける。 「あれは、嘘や見栄じゃなく本心です。……そんな経験をしてきたから、そう言う事に慣れていたから……平気だったんです。それに、あの子達は暴力を振るう事もなかった。だから、トラウマにも一切なっていません」  そうして言葉をきった法雨に、雷はひとつ間を置いてから言った。 「あんな事があった、その事実を知る上で、良かったとは言い切れませんが……トラウマにはなっていない、心の傷もないというのでしたら、それは改めて安心しました」 「はい……、その点のご心配を頂いて、本当にありがとうございました」 「いえ、これも、勝手な気遣いですから」  雷はそう言って、穏やかに笑んだ。  そんな雷の言葉に、法雨はまたひとつ思い出した事があり、今度はしっかりと雷の顔を見て言った。    

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