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第七話『 Judgement / U 』 下

    「あの、雷さん。話の途中ですが、アタシ、先に一つ謝りたい事があるんです」 「……なんでしょう?」  雷の答えを受け、カップを丁寧に起き法雨は脚を揃えた。 「雷さんに助けて頂いたあの日、オオカミが嫌いかと尋ねられた時……嫌いだと言ってしまった事……本当にすみませんでした。オオカミ族の方に対して、酷く差別的な事を言ってしまった事も、心からお詫びします」  法雨はそう言って、深く頭を下げた。  だが雷はそんな法雨を制し、言った。 「いえ……構いません。法雨さんは一度ならず幾度となくあれだけの事をされたんです。そのご経験から、そういった考えが生まれるのは、仕方のない事です。法雨さんが謝る事ではありません」  だが、法雨はそれに首を振って言った。 「いえ、違うんです……」 「違う……?」 「はい……。アタシがあんな風な事を言ったのは……京たちの事があったからじゃないんです」  その言葉を受け、雷はやや眉間に皺をよせるようにして問い返す。 「では、なぜ……」  そして、法雨は少しの間を置き、言った。 「………………アタシ……過去にオオカミ族の恋人がいたんです……」 「………………」  雷は、その一言で法雨の過去を察したのか、その場で黙した。 「アタシは……そのヒトを最後に、長い間恋愛は避けてきました」 「何か……そう思うほどに酷い事をされたんですね……」 「そう、ですね……酷い事をされたというか……言われた、といった方が正しいでしょうか。……その、現代の医学ではそういった研究も進んでおりますけれど、実情はまだ、同性間では簡単に子供は作れないでしょう?」 「………………はい」  雷は、法雨がどのような事を言われたのか、大体を悟ったらしく、やや間を置いてから頷いた。 「だから、アタシも子供は産めません。それで、言われたんです。お前は練習台だって。男の体で感じる部分は、きっと女も悦ぶ場所だから……子供ができる心配もないし、女が出来るまでは丁度いい繋ぎになるって」  その当時、法雨は大学生だった。  そして、その男は法雨よりやや年上の男で、その少し荒っぽい男の性格が当時の法雨には魅力的に映った。  それまではあまりそういった強いイメージのないタイプと付き合う事が多かったからか、少し大人になった法雨には、そういうタイプが魅力的に見えてしまったのだった。  だが、その男は法雨が出会った中でも群を抜いて最低最悪の男だった。  ――お前は俺が求めてやればそれで悦ぶんだから、しゃぶった後は大人しくベッドで善がってりゃイイんだよ。可愛がってやってんだからよ、せいぜい俺がその体に飽きるまでは練習台になってな  そしてその男はそう言って、自分の好きなように法雨を抱いた。  また、それからその男は更に暴力を振るったりもするようになり、法雨の体を押さえつけながら犯すように抱く事もあれば、拘束してみたり、媚薬を嗅がせてはその快楽に犯され嫌がる法雨の姿を見て悦び昂ぶるようにもなった。  そしてその後、そんな行為に耐え切れなくなった法雨は、一人では逃げられなかった為に友人たちの力を借り、無事にその男と離別するに至ったのだった。  法雨は雷に過去を話す中でそんな当時の事を思い出し、嫌悪感がぶり返すような感覚を覚えた。  だが、とてもではないがそんな事までは話せない。  そう思った法雨は、その男がした発言だけを口にし、レイプまがいの経緯は伏せ、話を続けた。 「それに、アタシを練習台と思うのはどうでもいいとしても、それで女も悦ぶだろうなんて、そう言われる女性にも失礼です。それで、そんなヒトと出会ってしまってから、アタシはオオカミ族のヒトを警戒するようになってしまったんです」 「そうだったんですね……」 「えぇ。それで、結局その男の前もあまりいい経験がなかったものですから……、そういう相手にしか恋ができないなら、恋する事をやめてしまおうと思ったんです」  だが、そんな法雨は、どうしても忘れられないものがあった。 「でも、それでも求められたい気持ちはなくならなかった。――きっと、これは依存みたいなものなんでしょうね……。ですから、こうして言うのはお恥ずかしいですが、それ以降は恋人関係は結ばないようにして、一晩だけの約束をしては淫らに過ごしました」  そして、法雨はそこで京たちとの事をふと思い出し、更にひとつ言い添えた。 「――だから、京たちの時も拒む事すら考えなかったんです……。拒むのも、正直疲れますから……」 「………………」  法雨はそこまで話したところで雷の沈黙にはっとして、反省したような面持ちで言った。 「ごめんなさい。お喋りが過ぎました」  だが雷は、そんな法雨に対しゆっくりと首を振り、心強さを思わせる表情で言った。 「いえ……お辛かったですね……。そして、その男の発言ですが、同族としても許せない発言です。――そんな男がまだのうのうと生きてるのかと思うと、酷く腹立たしいです」  そんな雷の言葉を受け、法雨は心に温かさを感じた。  そして、苦笑するようにして言った。 「ふふ、大丈夫ですよ」 「? どういう事です?」  法雨は再びカップを手に取り、一口紅茶の風味を楽しんでから言った。 「よくは知りませんけど、そいつ、事故に遭って、もうこの世にはいないんです。――なんでも酔っぱらって車道に飛び出したとかで……。当時から酒癖は悪かったですけど、とにかく自制が出来ないヒトだったんです。それに、アタシ以外のヒトにも同じように酷い仕打ちばかりしてきたらしいですから……きっと、神様が見かねたんでしょうね」 「そうだったのですか……」 「えぇ。――どんな相手であれ、ヒトの死を喜ぶことはできませんけど、当然の報いだとは思っています」  雷はやや目を伏せるようにして、二度ほど緩く頷いた。 「そうですね。他にどれほどの行いをしてきたかは、考えるまでもないですが……法雨さんの件だけでも、十分以上に最低の行いをしています。――報いや天罰が下っても、おかしくありません」  そんな雷の言葉に法雨も頷き、それからその話題に幕を下ろさせた後、お互いに少し気分を変える為に話題を戻すことにした。 「すっかりアタシの自分語りになってしまいましたわね。ごめんなさい」 「いえ、お辛い事だったとは思いますが、お話し頂きありがとうございました」 「こちらこそ、真摯に聞いて下さって、ありがとうございました」  そうして礼を言い合ったところで、法雨はふと笑んだ。 「でも……雷さんのような方が、実らない恋をするなんてもったいないですわ」 「そうでしょうか……法雨さんは、少し俺を高く見過ぎていると思いますよ」 「ふふ、そんな事はありません」  法雨は二杯目として受け取った紅茶を味わい、雷に笑んだ。 「こうしてお話を聞いて頂いた事でも、雷さんの優しさや、その温かさは痛いほどに感じましたもの」 「………………」 「どうしてその方にお気持ちを伝えられないのかは、流石に不躾に訊く事はできませんけど……どういう関係上であれ、雷さんのような人に恋をされたら、きっと誰もが嬉しく思うはずですから」 「そう、でしょうか……」  雷はそんな法雨の言葉を受け、少しだけ目を細めるようにした。  そして、遠くを見据えるようにして、法雨を見た。 「えぇ。そうですよ」  そんな雷の瞳には、そう答える法雨の笑顔が映された。  そして、それから瞬きをするようにして視線を外した雷は、一度珈琲に口をつける。  そうして、事務所内にかすかな沈黙が訪れた後、意を決したように短く息を吸った雷が顔を上げて言った。 「法雨さん……」 「はい?」  法雨は首を傾げるようにして柔らかく笑み、雷に応じる。  雷はそんな法雨を見つめて口を開いた。 「法雨さんはさっき、俺に恋をされたヒトは嬉しいと思うだろうと言ってくれましたよね」 「えぇ」 「……法雨さんがそう思うのは、それが自分の――」 「雨許すまあぁぁぁぁじッ!!」  雷が法雨に何事かを尋ねている途中で、突然事務所のドアが開け放たれた。  そして、滝にでも打たれたかのような状態で、京が大声と共に帰還した。 「………………」 「………………」 「………………あれ?」  そんな彼に呆気にとられている雷と法雨の視線を受け、京はぽたりぽたりと雨粒を落しながら、やや縦に延ばされたような大の字のまま固まった。 「………………えっと……た、ただいま、帰りました」 「……あぁ、おかえり」  そして、ぎこちない挨拶が交わされたところで、雷は滝修行帰りの京にタオルを持って行ってやる為、立ち上がった。 「とりあえず、濡れてるものを脱いでしまいなさい。京君も風邪を引いたら大変だ。今タオルを持ってくるから」 「あ、す、すいません! ありがとうございます!」  雷がそう言うと、京は慌てたように恐縮し、礼を言った。  そしてばさりばさりと纏っていたものを脱ぎ始める。 「ちょっと京! アナタ脱ぐのはいいけど、そこで尻尾振り回すのやめなさいよ! 周りに飛ぶでしょう!」 「あ、やべ……」  雷が事務所の奥へと向かう途中、背後からそんなやりとりをする声が聞こえた。  雷はそれを聞きながら、苦笑してタオルを手に取った。  だがそんな中、なんとなく内心がっかりしたような、救われたような妙な心持ちになっている自分にもまた苦笑していた。 (京君……なかなかのタイミングで帰ってきたな……)  実のところ、先ほど邪魔されてしまった質問は、雷の中でひとつ意を決してしたものだったのだ。  だがその決心は結局、無と化してしまった。  それゆえに少しガッカリしていたのだが、その質問の答えを聞くのは怖いようにも感じていた。  だからこそ、少し救われた気もしていたのだった。 (まぁどちらにしても、また今度聞けばいいだろう)  そして、そんな雷はそう思いながら、柔らかなタオルを何枚か取り出した後、相変わらず法雨に叱られているらしい京の元へと向かったのだった。    

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