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第八話『 The Sun / U 』 上
「ねぇ京 ……それ、美味しいの?」
「……味が……ないっす……」
「………………」
雷 と法雨 の会話を横断するようにして事務所に帰還した京は、その後、びしょ濡れになったシュークリームをちまりちまりと食していた。
どうやら京もまた、買い出しに出ていたところに豪雨に見舞われたとの事だった。
しかし、法雨とは違い、彼が購入目的としていたものは、悲惨な事にシュークリームだった。
そのやや大ぶりなシュークリームは、世間でも評判の高いメーカーが販売しているもので、京は定期的にそれを購入しているのだという。
だが、その日はそのシュークリームが豪雨の被害に遭い、水浸しになった上、無味と化してしまったらしい。
ただ、だからといって捨てるのはもったいないという事でなんとか食している京だったが、その様子はなんとも切ない有様だった。
― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第八話『The Sun/U』 ―
「雷 さん、すいません。ありがとうございました」
「いや、気にしないでくれ。京 君も、今日はお疲れ様。風邪をひかないようにね」
「はい!」
京はそう返事をすると一礼し、そのまま自分の住んでいるアパートへと帰って行った。
「法雨 さんは、コチラの住所で良かったですよね」
「えぇ、大丈夫です」
そうして京の背を見送った雷は、後部座席に座る法雨に住所の確認を行った。それは法雨の住むマンションの住所だった。
実はその日、若干雨の強さは弱まったものの、一向に止むような気配はないと察した雷が、法雨と京を愛車で自宅まで送り届けるという事のなったのだった。
その為、京が泣く泣く無味のシュークリームを食し終えたところで、三人は事務所を後にした。
そして、先に事務所から近い位置に住んでいる京を自宅まで送り届けた今、次に向かうは法雨の自宅というわけである。
「それじゃあ、向かいます」
「はい。よろしくお願いします」
無事、法雨の住所をカーナビにセット出来たらしい雷は、法雨にそう声をかけてから車を発進させた。
そして、それから少し走ったところで、二人は無事に法雨の自宅へと到着した。
「あの、雷さん」
「はい?」
するとそこで、法雨が雷に声をかけた。
「ここのマンション、地下に駐車場があるんですけど、よければそちらまで行って頂いてもよろしいですか?」
「あぁ、えぇもちろん。今はその方がよさそうですね」
相変わらずの雨空である事から、法雨はより濡れない選択肢を選んだのであろうと考えたらしい雷はそう言い、法雨の指示に従って車を移動させる。
そして、無事地下駐車場まで入ったところで、再び法雨が声をかける。
「雷さん。明日は休日ですけれど、お仕事ですか?」
「え? いえ、明日はウチの事務所も休みにしていますよ。どうしてです?」
「その、もしよかったら、雨宿りのお礼に、うちで食事でもされていきません? 丁度食材を買いためたばかりだったんです。御馳走しますわ」
どうやら予想だにしていなかったらしいその誘いに、雷はやや動揺したようだった。
法雨はミラー越しにそんな雷の様子を確認したが、あえて何も言わずに答えを待つことにした。
「……そう、ですね。それは、とても嬉しいお誘いなのですが……いきなりお邪魔してしまってはご迷惑じゃ」
「ふふ、うちにはアタシしかいませんよ?」
「……ですが……お疲れでは……? 俺は礼を頂くつもりはなかったのですが」
どうにも踏み止まろうとしているらしい雷に対し、なんとなく悪戯心がわき、法雨は少しだけ強引に推してみる事にした。
「あら……ごめんなさい。なんだかご迷惑なお誘いをしてしまったかしら」
少ししおらしくしてそう言ってみると、雷はまた慌てるようにして言った。
「あぁ、違うんですよ……迷惑なんてとんでもない。その、嬉しいです……ただ、法雨さんは随分と気にされている事が多いようでしたから、礼をしなければという気持ちで無理をさせているのではと思いまして」
そんな雷の言葉に嘘はないと判断した法雨は、再び笑顔を作って言った。
法雨がそうして強引に誘うのには、ひとつ理由があった。
「無理なんて致しませんわ。だって、そんな事をしたら逆に迷惑でしょう? その、実は久々の休暇なもので、少し寂しかったんです。いつもはお店にいる時間ですから、一人の夕食も、なんだか味気なくて」
法雨はそう言って、苦笑した。
実の所、これは半分嘘だ。
半分、というのは、法雨はそもそもそのような理由で雷を夕食に付き合わせる気は毛頭ない。だから、これを理由に雷を引き留めている、というのは嘘だ。
だが、一人の食事が寂しいというのは事実だった。
そして、法雨がこうして雷を強引に食事に誘っている理由は他にある。
「……なるほど。ううん、分かりました。では、お言葉に甘えて、お邪魔させてください。――なんといいますか……法雨さんは、誘い上手ですね」
雷は少し照れたように苦笑してそう言った。
恐らく、雷はその経験則から法雨が半分嘘をついている事を見抜いたのだろう。
そして更に、法雨がそんな我儘な理由を押し付けてまですれば、雷は承諾してくれると考えて、あえて我儘を言ったというのも見抜いた様だった。
それゆえに、雷はそんな表情をしたのであった。
「ふふ、強引で我儘な部分を出すタイミングのコツを知ってるだけですわ。――そして、雷さんはお優しいですわね。そんなアタシに付き合って下さるんですもの」
「いや、本当に嬉しいお誘いだったからですよ。ですから、無理をされていないんでしたら、喜んでお伺いします」
腹の探り合いというのではないが、一般人に比べればお互いにより多くの人々と接してきた。だからこそ、相手の行動原理や心情を察する事にも長けている。
それゆえに、結果心の読み合いのようにはなってしまったが、雷も本心を言えば、法雨に誘いの言葉を貰い嬉しく思っていた。
だが、それと同時に、内に秘めたその気持ちがある上で、法雨の誘いに乗る事にためらいを感じたのだ。
だからこそしつこいほどに渋ったというわけであった。
「こちらこそ、もし無理をさせていたらごめんなさい。でもそのお詫びになるくらい美味しいお食事を用意いたしますわ」
「はは、無理なんてとんでもない。ありがとうございます。お詫びなんていりませんが、食事は楽しみです」
「ふふ、私が誘い上手なら、雷さんは褒め上手ですね」
「ははは、俺のは本心から出てるだけですから」
そう言うところを褒め上手と言っているのだが。
法雨はそんな事を思いながら、嬉しいですわ、と告げ
「それじゃあええと、16番に停めて頂いても?」
と言った。
「わかりました」
そして、法雨の指示に頷いた雷は、指定通りの場所へと車を移動させた。
その後、エンジンを停め、トランクから荷物を取り出している雷の横で、法雨はひとつ気付いたように尋ねた。
「あ、これって着替えですか?」
「ん? あぁ、そうです。よく分かりましたね」
法雨は、そのトランクの隅に置かれていた大き目のバッグを見てはそんな事を尋ねた。
すると雷は法雨の荷物を取り出しながら、頷いた。
「車での遠征も度々と仰ってらしたので、常にそういったものも常備してそうだなと思って」
「なるほど、鋭いですね」
「ふふ」
先ほどから度々と褒め言葉を贈られるので、法雨ははにかむようにして笑んだ。
そして
「でも、それなら安心ですわね」
と言った。
「……? 安心?」
そして、そんな法雨の言葉を解しきれず問うた雷に、法雨は満足そうに笑んで言った。
「実は今日、美味しいお酒も置いてあるんですの」
「………………」
雷が閉めようとしたトランクリッドにそっと触れ、それを制するようにした法雨に、再び困惑した様子の雷はぎこちなく言った。
「その……この通り……車なので……」
隅から隅まで完璧で、余裕しかないような雷という男が、こうも余裕を欠くものなのかと、法雨は今のやりとりでやや新鮮さを感じていた。
そして、そんな彼をもう少しだけ見てみたいと思った。
「えぇそれはもう“この通り”存じ上げておりますわ。でも、今晩は泊まって行って下さるんじゃありませんの?」
「………………ですが」
「大丈夫ですよ。そんなに緊張なさらないで。ちゃんと寝泊まりできるような空き部屋はありますから。別に取って食ったりしませんわ」
悪戯っぽい笑みを浮かべた法雨にそう言われ、それから随分と長い沈黙を作った雷だったが、その間ずっと見つめられていた為か、観念した様子で
「わかりました……では、お言葉に大いに甘えて……お邪魔します」
と言って、トランクに置いてあった荷物から、やや大き目のバッグを取り出した。
「ふふ、嬉しいですわ」
そうして、そんな雷の様子に満足げにした法雨はそう言ってエレベーターの方へと歩き出した。
そうして随分と楽しそうに歩いてゆく法雨の後ろ姿を見ながら、苦笑するようにひとつ息を吐いた雷は、トランクを閉め、法雨の後に続いた。
その間、雷が何度も自制の念を唱えていたという事は、法雨は知る由もなかった。
「どうでしょう? お口に合いますかしら?」
妙に緊張した面持ちで法雨 の家へとあがった雷 は、食事と酒のお蔭か、食事を始めてから少ししてからやっと肩の力を抜いた様だった。
そんな雷に法雨がそう問うと、彼は穏やかな笑みで答える。
「えぇ、とても。凄く美味しいですが、この酒とも凄く合いますね。――これも、そういったものを考えて作られてるんですか?」
その晩法雨が食事に出したのは、清涼水のような透き通った味わいのある日本酒であった。
そして、その日本酒に合うように仕立てた食事であると見事に見抜いたらしい雷の言葉に、法雨は称賛の言葉を贈る。
「まぁ凄い。よくお分かりになりますわね。その通りです」
「いえ、味の組み合わせが凄く良かったので。驚きました」
「ふふ、そう言って頂けると、考えて作った甲斐がありますわ」
法雨はそう言うと嬉しそうに笑んで、上品に酒を頂いた。
そして、そこで法雨は一つ気になっていた事を尋ねてみる事にした。
「あの、雷さん」
「はい?」
「実はアタシ、雷さんのお仕事の事で、一つ気になっている事があるんですけど。お訊きしてもよろしいですか?」
「おや、どんな事でしょう。答えられる範囲でなら、お答えできますが」
雷が穏やかにそう答えると、法雨は微笑みながら言った。
「えぇもちろん。お許し頂ける限りで大丈夫です」
そして、法雨は少し佇まいを正すようにして続けた。
「――その、以前雷さんにご職業をお尋ねした時に、探偵になる前には警察機関に居た、と仰ってらしたでしょう?」
「えぇ」
「それで、不躾ながら、どうして警察を辞めて探偵になられたのかなと思いまして」
「あぁ、はは、なるほど」
そんな法雨の疑問を聞き、雷は穏やかにそう言った後、
「実は、そんな大層な理由はないんですが……それでも、よろしければお話ししますよ」
「本当ですか? 是非お伺いしたいです」
どうやら、雷が探偵になった理由が随分と気になっていたらしい法雨は、少し子供のような表情で笑み、そう言った。
雷はそんな様子を受け、わかりました、と言って、言葉を続けた。
「その、俺は、目の前で困っている人を助けたいと思っているんです。――確かに、どこかで起こっているかもしれない犯罪や、既に起きてしまった事件の真相を突き止め、犯人を捜し出すのは大切な事です。ですが、その最中だからといって、目の前で困っている人に見向きが出来ないのは、俺には耐えられなかったんです」
そう言って、少し物悲しげな表情をした雷を見つめながら、法雨は静かに彼の話に耳を傾ける。
その法雨の様子を受け、小さく笑んで、雷は続ける。
「例えば、目の前で大切なブローチを失くして困っている女の子がいるなら、一緒に探してやりたい。大きな音に驚いた愛犬が飼い主の元を離れ、公園内のどこかへ逃げ込んでしまったなら、それも一緒に探してやりたい。それに対し“今は構っていられない”というのは、俺にとっては苦痛でした。――だから、集団は集団でできる事をしている中、俺は個人でしかできないような事をしようと思ったんです」
そうして話を切った雷に、ひとつ頷くようにして法雨は問うた。
「――それが……私立探偵になられた理由、ですか?」
「はい。お恥ずかしながら、そんなところです。――笑って頂いて構いません」
そうして照れくさそうに苦笑した雷に、法雨はゆっくりと首を振る。
「……笑うなんてとんでもない。それに、そうして雷さんが探偵になって下さったから、アタシは助けて貰えました。いえ、アタシだけじゃない。京たちだってそうです。アタシはあの子たちの欲求をただ受け入れて、許容してあげる事しか出来なかった。あの子たちが闇に堕ちてゆくのは、アタシには止める事が出来なかった」
法雨は手元のグラスを親指で撫で、続けた。
「もし、あの子たちがあのままアタシを餌にし続けた後、アタシに飽いてしまったら今度は別の人を同じように脅して、襲っていたかもしれない。でも、あの時あそこに雷さんが来て下さったから、彼らはそんな事をする前に、普通のヒトに戻れた。――それに、あの子たちも、雷さんに心から感謝していました。――だから、笑うなんてとんでもないです。本当に素敵な理由ですわ」
そう言って微笑んだ法雨に、雷も微笑み返し、
「……ありがとうございます。そう言って貰えると、嬉しいです」
と言った。
そして、少しそのやりとりの余韻を味わった二人は、それからまた様々な話をしては、心地よい食事の時間を楽しんだ。
「法雨さん」
それからまた少し経った後、今度は食後の酒を楽しんでいたところ。
雷がふと、法雨の名を呼んだ。
「はい」
そして、それに首を傾げるようにして応じた法雨に、やや何かを考えるようにしながら言った。
「……その、俺も一つ、お伺いしたい事があるんですが」
「あら、なんでしょう?」
そんな雷に、法雨は穏やかに答える。
そして、その様子を受け、雷は改めて金色ともとれる法雨の瞳を見据えて言った。
「さっき、事務所でお伺いし損ねてしまった事なんですが……。あの時法雨さんは、俺に恋をされたヒトは誰もが嬉しいと思うはずだ、と言って下さいましたよね」
法雨はその問いかけで、少し酔いが醒めるのを感じた。
「……はい」
「では、更にもう一つよろしいですか」
なぜだろうか。事務所で話していた時は大して意識せずに返事ができた質問だ。
そして、法雨があんなにも強引に雷を引き留めた理由は、何よりもこの質問が気になっていたからだ。
だからこそ、この話題はむしろ自分から出そうとすら思っていたものだったはずだ。
「は、はい……」
なのに、どうしてこんなにも動揺してしまうのだろう。
返事をするにも息が詰まりそうになり、どうにも鼓動が言葉の邪魔をする。
雷の声に、その言葉に、いちいち心臓が跳ねる。
「法雨さんがそう言って下さったのは……、恋されているのが自分でないと思っているからですか」
きっと酒のせいだ。
こんなにも雷の言葉に心臓を締められるのはきっと酒のせいなのだ。
そうに決まっている。
これは別の何かのせいではなく、酒のせいであるはずなのだ。
自分は決してこの男に――。
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