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第八話『 The Sun / U 』 下

    「………………」 「………………」  法雨は雷の視線に射られ、反らそうとした視線を動かせずにいた。  先ほど駐車場で動揺を隠しきれていなかった彼はどこに行ってしまったのだろう。  いつも穏やかに笑っていた、余裕のある優しげな彼はどこに行ってしまったのだろう。  今目の前に居るのは、ただの狩人だ。  青く透き通った海のような色をもつ彼の瞳は今、法雨を捕える為だけにある。  そんな雷を前に、法雨は小さく眩暈を覚える。  この感覚に陥るのはいつぶりだろう。 「……いえ……」  そして法雨は、その感覚に身体の自由をすべて奪われたまま、それに誘われるように返事をした。 「………………」  そんな法雨の返事に対し、雷は黙し、少しの沈黙の後、再び口を開いた。 「では、法雨さんが言った“誰もが”という枠の中に……法雨さんも入っている――と、解釈してもよろしいですか」  雷のその言葉を受け、眩暈が強くなるのを感じた。  いつからだろう。いつから自分はこの男にこんな感情を抱いていたのだろう。  気付けなかった。何せこの男は法雨がふと思えば考えてしまう程に具合を気にかけていたというのに、店に一度も顔を見せなかった。それゆえに気付けるような機会などなかった。  それなのにこんな急に自覚してしまっては心が追いつくはずもない。  だが今は、そんな弱音を吐いている場合でもない。  自覚してしまった以上、今するべき事はただ一つ。  答えなければ。彼の質問に、ちゃんと答えなければ。今、答えなければ。 ――絶対に後悔する。  法雨はふぬけそうになる心を叩き上げ、声帯を働かせる。 「はい……」  すると、その返事を受けた雷は、一度だけ視線を反らし、少し考えるようにしてから再び法雨の視線を捕え、引き上げた。 「法雨さん。正直に言います。――ですから、法雨さんも正直な気持ちでお返事を下さると嬉しいです」 「……はい」  そうして法雨の返事を受け取った雷は、その低く落ち着いた声でゆっくりと言った。 「法雨さん。……俺は貴方の事が好きです。俺が恋をしたのは貴方です。――……法雨さん。法雨さんはこの事を知ってもなお……“誰もが喜ぶはずだ”と、そう言って下さいますか……」  好きだという言葉は。  恋をしてしまったと言われる事は。  こんなにも心臓を締め付けるものだっただろうか。  こんなにも、何かとてつもない感情が溢れだしそうになる事だっただろうか。  法雨はその初めてともいえる強い感覚に呑まれそうになりながら、何とか声を出した。 「はい……もちろんです………………アタシも……嬉しいです……」  そして、その法雨の言葉を受け取った雷は、酷く安堵したような笑みを浮かべ、 「そうですか……良かった……」  と言った。  そして、ゆっくりと席を立った雷は、向かい側に座る法雨の元へと歩み寄り、改めての礼を告げようとした。  だが、 「あ、ちょ……ちょっと、待ってください……」  と、随分動揺した様子の法雨が顔を伏せて雷を制するようにそう言った。 「……? どうしました?」  そんな法雨の様子を案じ、法雨のもとで片膝をついた雷は、顔を伏せてしまった法雨の手を取るようにしてそのまま見上げ、言った。 「具合でも……――」  だが、雷はその言葉の途中で法雨の顔を見るなり少し目を見開いた。  そして、ふと笑んで言った。 「……まさか、法雨さんのそんなお顔を見られるとは思いませんでした」  すると、片方の手で口元を隠すようにしていた法雨が小さく言った。 「アタシも……こんな顔見られる事になるなんて……思ってませんでした……」  そうしてせわしなく尾を動かしては、身体の火照りを抑えようとしているのか、法雨はしばらくその状態のまま、頬を赤く染めていた。  法雨が告白を受け、このような状態になってしまったのは初めてだった。 「ずるいですよ……」 「え?」  そして、そんな法雨の様子を愛おしそうに眺めていた雷に、法雨は小さく不満を漏らした。 「なんで雷さんはそんな平然としているのに……アタシばっかりこんな取り乱してるんですか……」 「はは……俺だってずっと緊張してましたよ。今だってそうです。こんなに近くで法雨さんの事を見られるとは思ってませんでしたから……まだ緊張してます」 「……嘘ばっかり」 「本当ですよ」  そうは言うが、法雨がやっとの思いで雷の顔を見たというのに、やはり雷は穏やかで、あの余裕そうな男の顔をしている。 「今日だって、法雨さんがあまりにも積極的に誘って下さるので、心臓がおかしくなるかと思ってました」  それは絶対に嘘だ、と法雨は思った。  確かに可愛らしい反応だと思う様な動揺は見せていたが、あれは心臓がおかしくなりそうななどというレベルには到底見えなかった。  どう見ても、“ただ動揺しているだけ”だった。  法雨はそのすべての反論を返したかったのだが、 「もう……」  という一言しか発せなかった。  そんな法雨に対し、雷はまたひとつ笑う。 「法雨さん」  そして、法雨の名を呼んだ雷は優しく微笑んで続ける。 「法雨さんは、俺の事を好きだと思ってくれますか」 「………………」  そんな雷の問いに対し、沈黙で応じた法雨は改めて雷に視線を合わせる。  先ほどから一向に下がらない熱のせいか、少しだけ視界が滲む。  だが、法雨はそんな中、ひとつ短く深呼吸をした後に言葉ではないもので返事をした。  そして、その返事に少し驚いたらしい雷は、一瞬目を見開くようにした後、咄嗟に床に着いた方ではない方の腕で、法雨の身体を支えてやるようにした。 「……ほら……法雨さんの方が心臓に悪いですよ……」  それから少しして、法雨がゼロにした互いの距離を少しだけ戻すと、雷が言った。 「だって……声が出なかったから……」 「また、そういう可愛い事を言って……」 「……これじゃ……駄目ですか……? 今、返事を言葉にしたら……多分アタシ、失神します」 「はは、それは大変だ。うん、ありがとう法雨さん。今ので十分伝わりました」 「……良かった」  法雨はそう言うと、そのまま体を預けるようにして、雷の肩口に顔を埋めた。  また、先ほどから冬毛でふんわりとしたその長い法雨の尾は、ひたすらに床をぱたんぱたんと叩いている。 「ああ、確かにこれは失神してしまいそうですね」  そうしてお互いが向かい合うようにして密着した事で法雨の鼓動が伝わったのか、雷はそう言って宥めるように法雨の背を撫でた。  そして雷がそう言うと、首に回された法雨の腕に力が込められるのを感じた。 「法雨さん」  そんな法雨をまた宥めてやるようにしながら、雷は言う。 「さっきは不意の事でちゃんと出来なかったので……もう一度してもいいですか?」 「………………」  すると、雷の問いかけに応じるように身を離した法雨は、雷と視線を交わらせる。 「はは、なんでそんな不満そうな顔なんですか」  そうして雷が少しおかしそうにすると、法雨は口元を尖らせるようにしまま言った。 「……こうやってしてないと……今の雷さんと見つめ合ってられないからです……」 「………………また」  法雨がそう言うと、雷はまた苦笑するようにそう言って、今度は雷から法雨に口付ける。  そしてそれから一度離したところへ、食むようにして互いに口付け合う。  そこから更に深く深く口付ける中、酔いの熱にも押されてか、法雨の呼吸が少しずつ熱を帯び始める。  そしてやっと解放された舌を微かに覗かせながら、呼吸する。  また、不本意ながら既に互いの本能は形を押し付け合い始めている。  そんな状態を受け、雷は法雨の頬に軽く口付け、 「さて、どこにお連れしたらよろしいでしょうか。流石に貴方をこの硬い床に寝かせるのは、いささか抵抗があるんですが」  と言った。  そして、床に座った雷と抱き合うようにして身体を預けていた法雨は、雷に耳元でそう囁かれ、小さく声を漏らす。  まだ大した事など一つもしていないのに。  そう思い、自分の身体の反応に戸惑いつつも、法雨は小さく言った。 「ベッドがいいです……」  すると、そんな法雨の言葉を受け、雷は法雨に優しく言った。 「わかりました。じゃあ寝室までのご案内、よろしくお願いしますね」 「……はい」  そして、法雨がそう言って頷くと、雷はそのまま法雨を両腕で抱きかかえるようにして立ち上がった。 「あ、えっ、あ、あの……お、重いですから」  流石に驚いたのか、少し呆けていた法雨ははっとしたようにそう言った。 「いえ、大丈夫ですよ。それにほら、もう抱えてしまってますから。後は案内頂ければそれで」 「う……は、はい……えと、あっちの部屋です……」 「はい、分かりました」  すっかり雷のペースに呑まれてしまった法雨は、それから何を言う事もできず、ただ案内をするだけで精いっぱいだった。  実のところ、法雨はこのように抱き上げられるなど幼い頃以来では初めてであった。  確かに法雨はお姫様に憧れることはあった。  だが、あくまでも自分は男の身体をもっているという事を忘れた事はなかった。  だからこそ、元から諦めていたことも沢山あった。  そして、このようにされるのも、その内の一つだった。  “お姫様抱っこ”などというそれらしい名前がついているから、余計にしてもらえないのだ。  法雨は理不尽にもそんな事を思ったりもしていた。  だが、巡り合わせとは凄いものだ。  不可能と思っていた事を可能にする力を持っているらしい。  これもまた、法雨を弄んだ運命の悪戯の一つなのかもしれないが、今回ばかりはよしとしてやろう、と法雨は思った。 (――っていうかアタシ……このまま死んじゃいそう……)  今日は何度、こんなにも――なものであっただろうか、と考えればよいのだろう。  今晩だけでも初めて感じるという事が多すぎる。  これではまるで初体験をしている処女のようだ。 (そんなもの、感じる事もなかったのに……)  こうしてベッドで交わる事など、法雨にとっては日常の一部のようなものだった。  そうだったはずなのに――。 「法雨さん……もしかして、辛いですか?」  身体に入り込んだ熱を感じるままに啼いては腕に力を込めた。  そんな事を繰り返している中で、雷は法雨に尋ね、そして法雨の目元を軽く拭う。  どうやら自分はついに涙まで出ているらしいと知り、熱に支配されるがままに緩く首を振った。 「平気……ただ、幸せなだけです……」  法雨は少し掠れ始めた声でそう言うと、また雷に縋りつくようにして肩口に顔を埋める。 「それなら、良かった……」  そして雷は、そんな法雨を片腕で抱き寄せるようにしてそう言い、それからまた、優しく愛おしげに法雨を抱いた。        そうしてひたすらに愛されながら夜を過ごした翌朝。  法雨(みのり)は酷く幸せな朝の心地を味わいながら、ふと笑った。 「ん? どうしました?」  すると、そんな法雨の様子を受け、(あずま)が法雨の髪を撫でながら言った。 「いえ……そういえ今回も結局告白した当日にベッドに入っちゃったなと思って」 「……あぁ……」  上機嫌にシーツの上で尾を泳がせ、丸みのある先端の尖った耳をはたりはたりと跳ねさせるようにしていた法雨がそう言うと、それとは逆に法雨より大ぶりな尖り耳を下げた雷がそんな声を漏らす。 「……情けないです」  そして、結局自制の念も役立たずだった自分に少し気落ちしたらしい雷に、法雨は慌てて言う。 「ヤダ、違うんですよ。落ち込んでるとか、責めてるわけじゃなくて……それにその……ベッドにお誘いしたのはアタシみたいなものですから……むしろあの時ダメですって言われたら……自分のはしたなさを感じて、凄く辛い気持ちになったと思います……」  すると、雷はそんな法雨に苦笑するように微笑んだ。 「そうでしたら良いのですが……。本当は返事を聞いて、礼を言えれば十分と思っていたのですが……あんなに近くで刺激的な事ばかりあったので、耐え切れませんでした」  そうして素直に心情を吐露した雷の言葉を、法雨は嬉しく思った。  すると、そんな法雨に微笑み、雷は言った。 「法雨さん……これからは、何があっても俺が貴方の事を護ります。だからどうか、貴方が良いと思う限り、俺の傍に居て下さい」  そして法雨は、そんな雷の言葉に酷く幸せそうな笑顔で言った。 「はい、もちろん。どうかずっと、雷さんのお傍に置いて下さい」 「はい……」  そんな法雨に嬉しそうな笑顔を返した雷は、それからまたそっと法雨を抱きしめた。  そうしてその幸福感を味わいながら、二人はその忘れがたい朝をゆっくりと過ごしたのだった。  

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