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28-19 トオル
犬、ギャーッてなってな、思わず犬神 モードに変転 したものの、犬やん。海の眷属 ではないわ。
でもお前、空飛べるんちゃうん?
京都駅で俺をドツキ倒 した時も飛んでたし、堕天使 なんやろ?
翼 あるやん。蝙蝠 さんやけどな。飛べばよかったのに。
忘 れてたんかなあ? ど素人 なんやから。
それで海に落っこちそうやったところを、親切な怜司 兄さんが、黒い龍 モードで飛行中に拾 っといてくれた。
一応 まだ犬使うかもしれへんしな? ケツ可愛 いのやし。
「朧 、お前も来い」
ざばっと海面 に出て、水煙 が怒鳴 った。
怒鳴 っても可愛 い。
怜司 兄さんも目が点 なったやろう。
兄さん、その時は龍 の姿やったから分からへんのやけどな。表情 わからんのやもん。
海にな、潜 られへんねん。アキちゃんの張 った結界 が、全力で俺らを拒 んでて、何が何でもあっちいけって、バリアーみたいなのを張 っていた。
追ってこなければ、俺らがアキちゃん抜きで、無事にあんじょう生きていくと思うたんやろな。
あほやろ、あいつ。そんな訳 ないって、思わへんのかな。
普通 、ここまで来てて、そんなことぐらいで俺や水煙 が、ほな帰るわね、アキちゃんバイバ~イ言うて帰るか?
帰らへんわ、クソが! あの腐 れ坊々 が!
「結界 を突破 でけへんのや。一緒 に来て、お前が破 れ。まさか泳がれへんのやないやろな?」
戸惑 い顔で浮 いてる怜司 兄さんに、めっちゃドスの効 いた声で、水煙 が凄 んでたけど、可愛 い。
俺そんときドザエモンやねんけどな。死んでてもトキメく可愛 さや。
これは確 かに血筋 に取 り憑 いた魔性 や。
秋津 さん達 の頭がおかしなるのも道理 や。
「いや、泳げるけどやな……犬どないする」
「そんなもんは放 っていけ!」
犬いらんねや。役立たずやしな。捨 てていこ。
水煙 の命令を聞くわけではないんやと思うけど、怜司 兄さんは、捨 てろ言われてポイッと捨 てた。
犬、キャインキャイン言うて、波間 に落ちていったわ。
悪いけど、俺には瑞希 ちゃんの心配をしてやる余裕 はないんや。
なんせ自分も死んでもうてる。
水煙 が俺を捨 てていかへんかったんは、おとんの一言 があったせいやろう。
この子を傍 から離 すなて、おとんはアキちゃんに言いおいていた。
それが何故 かは分からんまでも、水煙 は、秋津 暁彦 が稀代 の覡 やということに、揺 るぎない確信 を持ってたんや。
せやし、おとんが連れてけと言えば、俺を連れて行く。
「潜 るで。遅 れんようについて来い」
お偉 い水煙 様に対し奉 り、極 めて偉 そうに怜司 兄さんは言うた。
それに水煙 は、何も言わへんかった。
黒い竜 が恐 れる気配 もなく、まっすぐに海に突 っ込 んで来るのに合わせて、水煙 はまた潜 った。
俺はもう、言葉もないです。死んでます。
どこの世に、ヒロイン死んでる物語がある?
俺がこの話の、ヒロインやないの?
これから海神 と戦って、アキちゃんを助けるのが俺や。そういうことやろ、普通 。
そうやねんけど、どうも、この話のヒロインて、俺やないんやわ。
水煙 か、怜司 兄さんか、何かまるでそんな気配 で、呉越同舟 を一瞬 で決めた、決断力 豊富 なおふたりが、ざぶざぶ海に潜 っていった。
海の中は、異界 やった。
青く暗い渦巻 く波が、様々 な異形 の神やら鬼 やらを抱 いて蠢 く世界やった。
そこにいる奴 らには、人間みたいな顔はなかった。
海の底から、逆巻 く波に連 れられて、浮 かび上 がってきた者たちで、魚のような顔をした者もあり、海月 のように漂 うもの、鮫 のような歯をずらりと並 べた大口 の、一呑 に人を食うものもあり、人魚 もおった。
いつか水族館で見たやつや。
同じ人魚か。顔はあるけど、人の顔やない。俺にはどれが誰 かまでは、分からへん。
そうやけど、水煙 には誰 が誰 か、見覚 えがあるようやった。さすがは海のお友達 や。
「おい、女」
海の底で響 く揺 らめくような声で、水煙 は通りすがりの人魚 に声をかけた。
「人を探 してるのや。お前の主 が、人の子を攫 ったやろう」
人魚 はたくさん泳いでた。
くるくると輪を描 くように、俺らを取り囲 む人魚 の群 れは、十数体もおったやろうか。
やつらが口から吐 く銀色の泡 が、輝 く幕 のように俺らを取り囲 み、暗い水の中でも、ほの明るく光って見えていた。
「知らないわ。人の子は、今日 はたくさん水に落ちたもの」
そうや。今日 この波に呑 まれ、命を落としたのは何も、俺らのアキちゃんだけやない。
数知れない人が、神戸 の街 から攫 われた。
波は止まった。アキちゃんのお陰 で、動画の一時停止を押 したみたいに、津波 は唐突 にそそり立つ壁 のように、神戸 の街なかで止まってはいたけど、そこに至 るまでにも、海辺に居 た人間たちを攫 っていたはずや。
「そんな只人 のことを言うてんのやない。秋津 の子や、お前らの主 のところへ案内 せえ」
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