772 / 928

28-20 トオル

 焦(あせ)ってるんか水煙(すいえん)の口調(くちょう)は荒(あら)く、尊大(そんだい)やった。  兄さん、それが初対面(しょたいめん)の人魚(にんぎょ)にものを頼(たの)む時の態度(たいど)か。  それでは知ってることかて教えてはくれへんで。  それどころか、人魚たちは青い唇(くちびる)を歪(ゆが)めて笑い、鋭(するど)い牙(きば)を見せていた。  食べられちゃうわよ、どうするのよ、水煙(すいえん)兄さん。 「こんな男やで」  するすると人形(ひとがた)に戻(もど)った怜司(れいじ)兄さんが、ケツのポケットから携帯(けいたい)を出して、アキちゃんの写真を見せた。  なにその写真。いつ撮(と)ったんや、っていう普段(ふだん)の写真が、なんでか一杯(いっぱい)入ってた。  お前それ、盗撮(とうさつ)やん? 何で撮(と)ってたん。  写真、欲(ほ)しかったの? ジュニアの?  まあ、おとんとは別人やけど、見た目ほぼ一緒(いっしょ)やし、何かの代わりにはなるわな。  何かって何のや。何に使(つこ)うてたんや兄さん。怖(こわ)い。  人魚たちは、ちょっと見せてよって電話に集まってきて、海底でも明るく光っている画面を覗(のぞ)き込(こ)んでは、鋭(するど)い歯を見せたまま、くすくすと笑った。 「ええ男やろ?」  怜司(れいじ)兄さんが聞くと、笑う人魚たちは身をくねらせて、もじもじとした。  何モテとんねん、アキちゃん。 「見たわ。その子なら、東海(トムへ)の王に捧(ささ)げたわ」  なんと、人魚どもはアキちゃんを見たという。  こいつら、人を攫(さら)って連れていく、海バージョンの使(つか)い魔(ま)やったんや。  骨(ほね)が鯰(なまず)に餌(えさ)を運んでいたんと同じや。  ただ、こいつらが骨(ほね)と違(ちが)うのんは、いくらかやったら話が通じる相手やということや。 「連れて行ってくれ。こいつの男やねん」  水煙(すいえん)様に締(し)め上(あ)げられて、べろんべろんに死んでる俺(おれ)を指差(ゆびさ)して、海中の怜司(れいじ)兄さんは言うた。  海ん中で見ても、波になびく長い髪(かみ)が、美しいようなお姿(すがた)やった。  なんで怜司(れいじ)兄さん海ん中平気なん? 鳥やのに? 雀(すずめ)って、海ん中でも息できるのん? 初めて知ったわ俺(おれ)。  いや、そうやなく、怜司(れいじ)兄さんは電波(でんぱ)の人やしな、海の中でも電波(でんぱ)は届(とど)くんや。  空中とはまたちょっと違(ちが)うらしいけど、音響(おんきょう)ソナーとかで、人間どもは情報(じょうほう)のやり取りをしてる。  海底を進んでいく潜水艦(せんすいかん)にかて、通信機器は搭載(とうさい)されてる。  人間たちが情報(じょうほう)のやり取りをする限(かぎ)り、そこが海底でも宇宙(うちゅう)でも、ラジオはそこで息できるんや。  まあ厳密(げんみつ)には、この人は息はしてへんてことやな。 「この子、知ってるわ。須磨(すま)で見た子よ」  俺(おれ)のことを見て、人魚たちは怜司(れいじ)兄さんに親しげなシナを作ってた。  兄さん、女子(じょし)にもモテんのん。怖(こわ)いな、最強(さいきょう)や。 「あれの、運命の相手やねん。そう簡単(かんたん)に手放(てばな)されへん。東海(トムへ)の王と話をさせてくれ」 「まあ。でも、もう手遅(ておく)れじゃないかしら……」  キイキイと響(ひび)く超音波(ちょうおんぱ)みたいな声で、人魚は喋(しゃべ)ってる。  海の底で生きている、青白い顔がいくつも、俺(おれ)の方をじいっと見てきた。 「キスしてくれたら、教えてあげるわ」  うふふと笑(わろ)うて言う人魚を捕(つか)まえて、怜司(れいじ)兄さんは一瞬(いっしゅん)もためらわずにキスをした。  牙(きば)のある女の口に、全然気にせずマウス・ツー・マウスや。  それを水煙(すいえん)は、何かエグいものでも見るように、汚(けが)らわしそうに顔をそむけて、斜(はす)に見る目で見ていた。  人魚は我勝(われが)ちに、次は私(わたし)よと群(むら)がってきて、次から次へと怜司(れいじ)兄さんにキスしてもろうてた。  よかったなあ。キス上手(うま)い奴(やつ)がおって。  俺(おれ)も死んでてよかった。人魚にキスされるなんてゲーやで。  俺(おれ)はアキちゃんとしかキスせえへんねん。  いや、すいません。竜太郎(りゅうたろう)ともした、藤堂(とうどう)さんともするけどや、人魚は嫌(いや)やねん。  だって魚やで。それに女や。俺(おれ)にも嗜好(しこう)の限界(げんかい)というのはあるんや。  それやったらまだ水煙(すいえん)とキスするほうがなんぼかマシやで。  水煙(すいえん)も、そうやんな。そういう奴(やつ)らや、俺(おれ)らは。  そんな奴(やつ)ばっかりで来(こ)んで、よかったわ。  怜司(れいじ)兄さんが人魚の群(む)れとチューしてくれたお陰(かげ)で、なんと道が開けたんやないか。 「来て」  怜司(れいじ)兄さんの手を引いて、人魚どもは連れていこうとした。  それに素直(すなお)に連れていかれながら、怜司(れいじ)兄さんは死んでいる俺(おれ)にウインクして、親指(おやゆび)を立てた。  そんなアピールいらんねん。俺(おれ)が死んでることについて、何か言うてくれへんか。亨(とおる)ちゃん大丈夫(だいじょうぶ)か、死んでるでとか言うてくれへん?  親指(おやゆび)グッてされてもさ、俺(おれ)は何もリアクションできへんやん。  水煙(すいえん)はもっと、ムカついてきてた。  朧(おぼろ)を連れてきてよかったなって思う自分に、めちゃくちゃ腹(はら)たって来てるようやった。  そうや、怜司(れいじ)兄さんは役に立つ人や。  そやのにお前が役立たずやって決めつけて、アキちゃんのおとんから引(ひ)き離(はな)してもうた。それがそもそもの間違(まちが)いやったんやないか。  ついさっき、お前がどんなんしても抜(ぬ)けられへんかったアキちゃんの結界(けっかい)も、怜司(れいじ)兄さんと一緒(いっしょ)やったら、難(なん)なく行けた。  人魚の煌(きら)めく魚のケツを拝(おが)みながら、深い海底に潜(もぐ)り、明かりも絶(た)え果(は)てた水底(みなぞこ)を行くと、迷宮(めいきゅう)のような珊瑚(さんご)や水晶(すいしょう)の柱のある場所に、東海(トムへ)の王の玉座(ぎょくざ)はあった。

ともだちにシェアしよう!