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第7話

 肌寒い中、桜を見る為の飲み会は、当の花なんて全く眼中になく緩やかに過ぎて行く。  ドンチャン騒ぎというわけでもないが、それなりに酔いが回った男たちの笑い声が、閉じた扉の向こうから聞こえた。彼らが煩いのでは無くて、おそらく、この部屋の壁が薄いのだろう。  がしゃんと大きな音がして、皆が騒ぐ気配がする。酔っぱらいの一人が酒瓶を倒してしまったらしい。ヨシさんか里倉さんか。あの二人は酔うとやたらと世話を焼きたがるから面倒くさい。そんな、どうでもいい事を考えてしまったのは現実逃避からだった。  桜介の現実は、扉の外の宴会ではなく、その内側にあった。  肩に顎を乗せる様に寄り添い覆いかぶさる男の体温が、熱い。どうしてこうなったのかわからない。その上男は妙な事を言った。あまり、深くは考えたくない。が、何か言わなくては、きっと腕をといてくれない。  なんてね、嘘だよ、なんて言うタイプの男ではない。  有賀は思った事は口にする人間だったし、いつだって正直だった。言葉遊びはしても、からかわれたりしたことはない。 「……困る、と、いうか、それもう告白、してません?」  感情が追いつかなくて、ただ言葉の意味についての上げ足しかとれなかった。  有賀の肩口が近すぎて、喋ると自分の息がこもって暖かい。一緒に男の首筋の熱も吸いこんでいるような気分になる。  香水なのか酒の香りなのかそれとも料理の残り香なのか、柑橘系の匂いがした。あまり強くない体臭と混じって、くらくらする。  力いっぱい抱きしめられているわけではない。もがく必要もなく、押しのければ離してもらえるとわかっているのに、桜介の身体は固まって動いてくれない。 「いや、一応ほら……あんまり好きじゃない人に迫られると気持ち悪いとか、あるかなーと思ってさ。サクラちゃんが困るようなら、友達路線で外堀埋めて行く方向にして、別に困らないようなら、ちょっと口説きにかかろうかなって、思ったわけで」 「それ、今急に?」 「そうだねぇ、結構今急に、かな。友達になってほしいなって思ってたんだけど、さっきサクラちゃんの笑顔見てたら急にね、この人僕のものにならないかなって思いました」 「……ソレ、もう告白じゃん……」 「え。ああ。そうかもね。ええと、聞かなかったことにしてもいいけど」  少しだけ体を離して見下ろしてくる有賀は、比較的ケロリとしているように見える。  酒のせいで若干赤くなっているように見えるが、はたしてそれは全て酔いのせいかと思うと、桜介の方まで熱くなる。  なんと言葉を返したらいいものか分からず、はぐらかしてしまうのは桜介の方だ。 「耳が痒い……タラシ系イケメン超怖い……」 「結構言葉押さえてるよ。気持ち悪いって言われたらダメージ大きそうだからね、本当に。聞いてくれるなら全部言うけど、どうする?」 「そういうのはちょっと、素面か、すんごい酔ってる時かどっちかにしてください……。返事は、あのー……保留可?」 「勿論。前向きに検討して頂きたいですが」  こんな逃げ方卑怯だと思いつつも、上目づかいでお伺いを立てた桜介に、有賀はさらりと答えを返した。  その返答があまりにもあっさりとしていたので、桜介の肩の力も少しずつ抜けてくる。  素直に言葉を連ねる有賀につられて、桜介も普段は口にしない本心を弱々しく零した。  有賀は多分、言葉の端をつついたり逆手にとって丸めこもうとしたりはしない。そう思えたから、かなり正直な言葉になる。 「あー……有賀さんのこと、嫌い、じゃないんですけど。一回目がアレだったせいで、なんか、距離感がよくわかんないっていうか。このまま付き合っちゃったらセフレみたいになりそうな気がする……」 「わからないでもないねぇ。僕的には、嫌いじゃないってだけで充分ありがたいけれど」 「……え。そんな感じでいいの?」 「え。だって今すぐ付き合えって迫って、結果振られたら終わりでしょ? いいよゆっくり検討してもらえれば。なんかね、久しぶりに他人にときめいてて、片思い状態もちょっと楽しい気分だから」 「どMか」 「違うって言ってるでしょうに」  ふわりと笑いながら体を離されて、やっぱりサクラちゃんはいいねーと耳の後ろを撫でられて、先程突っぱねておくべきだったかと後悔する程ぞくりとした。  押さえてと言ったのに、いきなり触ってくるのはどういうことか。それともこれでも押さえてるのかと問いただしたいが、さらりと『そうだよ』と返ってきそうで言葉を飲んだ。  自業自得が重なって落ちそうだ。付き合ってもいいとは、思わなくもないけれど。もう少し知ってから判断しても良いと思う。  折角友人になれるかもしれない人間を見つけた。桜介がゲイだということを知っていて、尚且つ気にせずフラットに接してくれる。そんな友人は貴重だ。  できれば仲良くしていたいと最近は思う様になった。だからこそ、恋愛関係になってこじれて終わったりするのはもったいないと思ってしまう。  桜介は恋愛が続かない。  友人は沢山いるし、長い間仲良くしている人間も大勢いるのに、何故か恋人は二カ月足らずで別れることばかりだ。好きになる男の趣味が悪いのかもしれないが、こればかりはどうしようもない。  有賀の外見は、桜介の好みが服を着て歩いているようだ。だからこそ警戒してしまうのは、桜介の勝手な事情と心境だ。それでも特に何も聞かず、まあゆっくりお願いしますと首を傾げて控えめに微笑む有賀は、ずるい。 「……ホント、俺の何が有賀さんを虜にしてんのか、さっぱりわからない」 「言ってもいいなら言うってば。僕もさっき自覚したばっかりだし、なんならゆっくり二人で確認し合うのもおもしろいけど、まあ今は無理だねぇ、外が中々すごい事になってるっぽいし、いい加減戻らないとお迎えが来ちゃう感じかもね。宴の始末はまだ残ってる御夫人と僕たちかね。サクラちゃんあんまり飲んでないね?」  確認するように覗きこむ視線から、つい目を逸らしてしまう。 「ふらっふらになったら、俺、結構自分に甘くなる自覚あるから。有賀さんって俺に結構甘いでしょ。だから迷惑かけないように、まあ、自衛も兼ねて」 「かけていいのになぁ。そしたら借りが一個でお返しはキスねって迫れる」 「何それ恥ずかしいしんどい前世は王子様かなんかかアンタ」 「どうかなぁ。結構本能に忠実だし、虫とかじゃないかなって思うよ」  そんなことより、と促されて外に意識を向ける。  確かに外の喧騒はそろそろ終止符を打って解散させないといけない状態になっているようだ。二次会があるとしても、別の場所なり店に移ってもらわないと困る。若い声もちらほら混ざっているようで、どうやら帰宅したスワンハイツの住人も数人、宴に参加しているらしい。  人が増えるのは楽しいことだが、べろべろに酔った親父達のお守をするのは大変面倒なので、桜介はここらへんでお開きにしてほしかった。 「片づけて、二次会にぶち込んできますわ。お騒がせしました。ていうか、料理ごめん」 「いーえ。結構楽しかったです。裏のお宅の御夫人に山菜貰う約束したしね?」 「……マダムキラー有賀」 「元々受けは良い方だという自覚はありました。こごみの胡麻和え好物なんだよね。マダムのおかげ様でサクラちゃんにもおすそ分けできそうよ」 「まじか。俺今日全然有賀さんの飯食ってなくてさ……目の前でオムレツ取り上げられてオッサン殴りそうになったから、山菜づくし楽しみにしてる。本気で」 「まだ冷蔵庫にちょっと残ってるものもあるよ? オムレツは無いけど、泊ってく?」 「いやそれはいい。また食べに来ます」 「うん。楽しみにしてます」  誘いをきっぱり断ってしまったが、得に気分を害した風でもなく、有賀は緩い拘束を解いた。  やっと息が出来る。それでも吸い込んだ空気は柑橘が香っている気がして、勝手に体温が上がった、気がした。  ふいに、外の空気が慌ただしくなる。だれかがついに転んだらしい。 「あーもうおっさんたちはほんっと、酔っぱらうと面倒くっさいんだからさー」  外に出て柵から下を見下ろせば、げらげらと笑う声がこちらに向いた。 「おー! でっかい便所だったかサクラー! ヨシさんが酔っちまって、あーこちらスワンハイツ一階住人のおにーちゃんで、こっちがなー」 「自己紹介はいいからそろそろ宴もたけなわにしてくださいよ! ここ俺んちでもおやっさんちでもないんすよ! もー今村さんもお酌いいから撤収してくださいよー」 「だって楽しいんだものー。あら有賀ちゃんは?」 「はいはい。いますよここに。ちょっと酔いがね、顔に出ないタイプなんですよ僕。片づけ手伝うんで、あと残った食べ物持って帰っていいんで、そろそろ終わりにしませんか」  後ろからひょっこり顔を覗かせた有賀に、会場はのほほんと笑いを返す。  やれやれと桜介がため息をつけば、隣の有賀から酔っぱらいはこわいねぇと苦笑いが返ってきた。 「さあ、片づけますか。今日の花見の席は改めて、また何か用意しようか。花なんて桜じゃなくても大概咲いてる国だしね」  有賀が控えめに御夫人達を促し、桜介は蹴り倒す勢いで男たちを追いたてる。  飲み足りない里倉含め数人の男たちは、新しい飲み会参加面子を従えて先に場所を移動した。  桜介も後から来いと言われたが、行かなくてもばれやしないだろうと思う。  残飯処理をしていた有賀は、残った酒は勝手に飲んで良いと言われたのが嬉しいらしく、文句のひとつも言わずに酒の瓶を回収していた。  いや、有賀は報酬がなくても文句を言うタイプではないかもしれない。  前向きという感覚ではないが、ネガティブとも遠い。何があってもぼんやりと受け止め、『まあこれはこれで面白い』と言ってしまえる有賀の懐の深さは、桜介には予想外で尚且つ羨ましいものだった。  シートまで片づけ、夏になったらバーベキューしましょうねと笑う今村夫人とも別れ、桜の下は桜介と有賀の二人になる。まとめたゴミは明日、夫人が片づけてくれるということで、ひとまずできることは全て終えた。  じゃあまた、と手を振り別れる。  有賀はいつもフラットで、別れ際もさらりとしていて心地いい。古い友人の様に、軽く手を上げる様が少し格好良くて、ホモじゃない癖にタラシこみやがってと勝手な思いが頭をよぎった。たらし込んだのは自分の方だという事実を、桜介は忘れていた。  丁度いいくらいに酔った体は暖かい。冷たい筈の春の夜風が、頬を撫でて行くのも風流だと思える。  桜も散る季節だなぁと、自分の名前にも入っている花に思いを馳せていると、携帯が鳴った。  あまり人づきあいが頻繁では無い桜介の携帯を鳴らすのは、里倉か有賀くらいだ。  二次会の煩いお誘いか、それとも有賀の部屋に何か忘れてきただろうか。また家電が動かないという電話だったら、今日は笑ってしまうかもしれない。  そう思って液晶を確認して、見覚えのない番号に首を傾げる。  なんだろう。だが、見た事があるような気がする。  記憶を探っていた桜介は、その番号が何か、思い当たると足を止めた。  暖かだった体温が、急に冷めて行くような感覚。緩やかな酔いすらも風と共に消えて行った、気がした。  心臓が痛い。先程有賀に抱き込まれた時とは、まったく別の感覚だ。 「……はい、三浦ですが」  通話ボタンを押し、自分でも驚くほど低い声で応じた後、別段親しくも懐かしくもない女性の声が耳に届くと、静かなため息が漏れた。  貴方がゲイというのは本当ですか。  耳に残るその言葉の主の声は、やはり、心臓に悪く、体温をどんどんと奪って行くような気がした。

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