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第16話

 その日のスワンハイツの駐車場は、どこかで見た事があるような宴会風景を見事に再現していた。  有賀が越してきてから、二度目の宴会だ。前回と違う事と言えば、駐車場の桜は散ってしまいすっかり緑色になった事と、ご近所さんの参加人数が増えていた事と、里倉の息子夫婦も一緒に居た事。そして、主婦達に囲まれているのは有賀ではなく、鮮やかな青い長袍を着こなしたアゲハだという事だ。  常日頃バーのカウンター内で見るような男性用カンフー服でも、女性用チャイナ服でもない。アオザイに似た衣装は随分と派手な作りに見えたが、珍しく髪を結いあげたアゲハはしっくりと着こなしていた。  長髪の男のチャイナ服など、奇異の眼差しで遠巻きにされても仕方が無いというのに、アゲハはすっかり人気者だ。大量に差し入れた酒のおかげか、老人たちも躊躇することなく取り巻いていた。 「サクラちゃんはさー、すぐに僕のことタラシって言うけどね。本物のタラシはあーゆーやつを言うんだよ、きっと。まぁ、見てごらんよあの戸松の奥さまが、頬を染めてらっしゃるよ」 「戸松さんまじ商店街ブラックリスト入りするレベルのおばさまクレーマーなんだけど、すっげえこええ……。何がじーさんばーさん達に受けたのかまったくわかんねーなぁ。俺、あの人が街中歩いてたらコスプレ大会かって思うのに。老人は保守的っていう概念をぶち壊してくるな、ほんと」  ちびちびと日本酒を舐める有賀の隣で、サクラも同じものをゆっくりと舐めていた。  梅雨前の春の日差しの下で行われる飲み会の名目は、一応花見となっていたが、何の花を見る会かと訊いたら、裏のフジが満開だと今村に言われた。  裏のフジは駐車場から見えないが、まあ、花などフジ以外いくらでも咲いている。  雑草も花を咲かせていれば奇麗だと思う。それでもいいじゃねーかと、目の前でひたすら酒を勧めてくる里倉は笑った。 「どくだみだって花さかせりゃぁ奇麗なもんだぜ。そこらへんの雑草も、花は花にちげえねえよ。有賀ちゃんこっちの酒はどうだい。新潟土産の発砲日本酒とかいうやつでよ、まあ、日本酒って感じでもねーが若いやつには人気だな」 「いただきます。サクラちゃんコップとってちょーだいよ。あ、一緒に飲む?」 「これ以上日本酒付けにされたら吐くっての。世界人類自分と同じと思うなウワバミ」 「サクラちゃん、営業マンとかじゃなくてよかったねぇ。未だに、接待とかってお酒大事だって話、うちの事務所でもきくからさ。飲まないなら、どんどん食べたらいいよ。アゲハが張り切って用意してきたつまみ、まだまだあるでしょ。残っても仕方ないしね」  酒と共にアゲハが持ち寄った乾物も、そこらじゅうの皿の上に溢れている。  しゅわしゅわと不思議な音を立てる日本酒を一口舐めて、甘いけどシャンパンみたいでおいしいですねと感想を漏らせば、里倉が満足そうに笑った。  なんだかんだ言いつつも、里倉は有賀とサクラのことを咎めるつもりはないらしい。  大手を振って祝福という程でもないが、特に反対する気持ちもない、ということは態度から受け取れる。これも、サクラの人徳のなせるわざだろう。  里倉夫人も特に変わりは無く、有賀に酒や肴を勧めてくる。改めてご迷惑をと挨拶をしたところ少し頬を染めていいのよと言ったのは、もしかしたらあまり人に見せたくは無い半裸の写真を見られたせいかもしれないが、まあ、仕方が無い。  有賀とサクラの事情は、里倉夫妻しか知らない。  いつも通りガンガン攻めてくる今村も、里倉夫妻の家族も、サクラのお得意さんの御近所さん達も、スワンハイツの住人も、知らない。どうにも少し後ろめたい気分になってしまうのは仕方のない事だったが、だからと言って自分達が大きな声で公表したところで、全員が同じように笑顔で居られるかなどわからない。  とりあえず、この輪の中に居てもいいという環境は、有りがたいものだった。  有賀の為に秘蔵の酒を何本か持ち込んだらしい里倉は、至極楽しそうに酒談義に花を咲かせている。  時折りサクラの仕事の失敗談や過去の話になり、慌ててサクラが割って入る。  戸松の奥方に怒鳴られて半べそで帰って来たという話の最中で、有賀の背中にどんっと、何かがぶつかった。 「あれ、かりんちゃん?」 「アルー。おとーさんよっぱらっちゃった! あそぼう!」  有賀に覆いかぶさるように襲撃してきたのは、里倉の孫である少女だ。小学三年生というのは、微妙にませ始める頃合いらしく、『サクラちゃんのお嫁さんになる』と豪語している生粋のライバルだという話は常々きいていた。  しかしいざライバルに対峙すると、彼女はころっと嫁ぎ先候補を有賀に変更したらしい。  ライバルからファンへの華麗なる転身を遂げたかりん嬢は、アゲハに習ってアルという愛称を使う。  その度にサクラが微妙な顔をするのがかわいいのだが、流石に里倉の前で甘い言葉を連呼するわけにはいかないので、自重する。垂れ流すようにわき出る気持ちと言葉を、意図的に飲み込む作業は大変だ。  宴会当初は有賀とサクラの周りをうろちょろとしていた少女だが、里倉が本格的に酒談議に入るとおもしろくなかったのか、両親の方で遊んでいたようだ。  アゲハともすっかり仲良くなったようで、将来が怖いと思いながらちらちら見ていたが、どうやら遊び相手が潰れてしまったらしい。 「おー。うちのせがれは相変わらず弱いなー。どれ、ちょっと叩き起こしてくるか。かりんはにーちゃんたちに遊んでもらえー。ただ嫁にはなっちゃいかんぞ」 「えー! あたし、アルとサクラちゃんと結婚する!」 「せめてどっちか選べ。まったく欲張りなお嬢ちゃんに育っちまいやがって、かわいいったらありゃしねえ」  愚痴なのか惚気なのかわからない言葉を残して、里倉は酔い潰れた人間が出始めた宴の中心に向かった。ここで一発、場を盛り上げるのが好々爺の仕事らしい。流石は、頼りになる工務店の親父さんだと感心する。 「サクラちゃんが里倉教になるのもわかるねぇ。かっこいいったらないよ。ところでかりん嬢から助けてもらっていいですかね。首がしまりそうで結構リアルな生命の危機なんですが」  無邪気に有賀の首にぶら下がって遊ぶ小学三年生をどうたしなめたら良いか分からず、サクラにヘルプを出すも、涼しい顔で酒を舐めるばかりだ。 「助けてってばサクラちゃん」 「いいじゃん。若い女の子にモテモテで羨ましいっすよ。やっぱイケメンは違うわ」 「……ねえちょっと、どっちに嫉妬してるの。そういうの可愛くて辛いから、早く助けて」 「うっさい。アルって呼ぶやつ全員敵だ。自分で戦え」  そんな可愛い事を怖い顔で言うから、有賀はたまらない。  たまらないが抱きしめる訳にも甘い言葉を返してキスを降らせるわけにもいかない上に、何より少女を引きはがしたい。  暫くかりんと格闘した後、今村夫人がケーキを差し入れに持ってきてくれ、どうにか少女の興味が甘いものに向いた。 「助かった……どうも、命の恩人です、今村さん」 「まあまあ、イケメンは辛いわねー! 有賀ちゃんは、尻に敷かれちゃうタイプねー。お嫁さん選び気を付けないといけないわねぇ」 「はぁ。まあ、そうですねぇ。そういえばさっき一緒にいらしたのは、娘さんですか?」  適当に話を流した有賀は、それこそ適当に話を繋ぐ。あまりつっこんでほしくない話の時は、すぐに方向転換すれば今村はそちらに飛びつく。最近学んだ今村夫人用話術を駆使したのだが、嬉しそうな夫人はそうよと花が咲いたように笑った。 「お嫁に行っちゃってね、うちにはいないんだけど。たまたま、連休で帰ってきてたの。お父さんも張り切って休んじゃって、珍しく一家揃っちゃってねぇ。じゃあ、宴会でもしちゃおうかって」 「ああ、成程、それで。もしかしてお名前はハクチョウにちなんでいたりしますか?」  そういえば桜ハイツにしたらどうですか、と、最初にきいた時に、隣のアパートが桜ハイツだという話は聞いたが、スワンハイツの由来はきいていない。どうしても知りたい謎というわけでもなかったが、もしかして子供の名前かと訊いてみると、意外な答えが返ってきた。 「残念、名前は栄子よ。でも、私のねぇ、昔の名字が白鳥だったの」 「え」 「旦那がねぇ、このアパートを貰い受けて改装した時に、新しく名前を決めてくれたのよ。うちは私が一人っ子で嫁に入っちゃったから、白鳥の名前は途絶えちゃってね。別に、今どきそういうの、もう気にしなくなっちゃってるけど、僕達のこどもの様なものだから、キミの家の名前を残そうって。白鳥さんは、キミを育ててくれた大切な家だし、素敵な名前だからって。いやだねぇ見た目の割に気障なんだから。まあ、今村ハイツにするよりは、数段ハイカラだったからねぇ」  そう笑いかけられて、大した事もない理由でつけられた名前だろうと思っていた有賀は、胸が詰まる思いを味わった。  スワンハイツが適当に英語辞典を捲ってつけた名前でも、今村夫人の旧姓でも、有賀の人生にはあまり、関わりは無い。それでもその思いを知ってしまえば、今は里倉と共に宴会のど真ん中で笑う普段はあまり顔を出さない御主人に目をやってしまう。 「……素敵ですね。僕、そういう話結構好きですよ。名前って、そうですね、大切かな。スワンハイツ、素敵な由来じゃないですか」 「まぁー、良い男にそう言ってもらえると恥ずかしいわぁ。もう、これ食べて! うちの娘が焼いたケーキ、まだいっぱいあるし、チェリーパイもあるから、持ってくるわね!」  照れ隠しかそれともテンションが上がってしまったのか、上機嫌な今村夫人は嫌と言わせる間もなくいつものように強引に甘いものをたんまりと乗った皿を差し出し、更にチェリーパイを取りに立った。  うっかり感動してしまった有賀と、つられて関心していたサクラと、そしてケーキを頬張る少女だけが残される。後は、皆宴の中だ。  少女はすっかり甘いケーキに夢中だ。 「所詮花より団子なわけだね。女子は強いよ、まったく。しかし日本語って素敵だね。ちょっと良い話を聴いてしまったねー」 「うん、俺もそう思った。こんなボロアパートなのに、なんかロマンチックっていうか、かっこいいっていうか。白鳥荘とかの方がそれっぽいけど、まあ、どっちでもやっぱりちょっと感動するかな。俺も自分の名前結構好きだし、サクラってあだ名も結構好きだから、名前云々の話すきかもしれない」 「サクラちゃんの名前奇麗だもんねぇ。春っぽくて、かっこいい」 「そう? 俺、有賀さんの名前もかっこいいと思うし、なんだったら名字の響きかっこよくて好きだよ」 「わぁ、嬉しいね。学生時代のあだ名はアリだったけどね。安易だね、アルの方がまだマシだ」 「……それは、まあ、あー……そうかな」  苦笑いでドンマイと言われると、少し情けなくもあるが、別にあだ名は有賀のせいではない。黒髪で黒ぶち眼鏡が勤勉な働きアリに見えた、という理由もあったし、そのせいで今はすっかり金髪が板についたと言う話もあったが、あえて黙っていた。  別段、好きとか嫌いとか無かったが、サクラが発音するその名前は、最初に聴いた時からずっと気持ちの良い音と抑揚のままで、今ではすっかり『ありが』という自分の名字が好きになった。  蟻だとしても、構わない。きっと有賀が金髪のデザイナーでも、ただのガリ勉の働き蟻じみた男でも、サクラは変わらずに給湯器を直しに駆けつけてくれるし、夕飯を食べて行ってくれるし、情けないところが好きだなんて奇異な事を言ってくれただろう。 「まあ、そうね、僕はさしずめ桜の花に群がる蟻かなぁ」 「蟻って桜の花の蜜吸うの?」 「樹液かな、どうだろう。でもまあ、モノ好きな蟻もどこかにいるでしょう。何事も経験ですよ。うっかりハマっちゃうことだってあるでしょう」 「……今日ももれなく痒いっすね」 「あのね、僕さっきから結構我慢してて限界なんだよ。もーほんと、スワンハイツに引きずりこんでしまいたいくらい」 「壁薄いじゃん」 「みんな酔っぱらいだからばれないよ」 「へんたい」 「きらい?」 「好きだばーか」  そんな言葉遊びをしながら。ぼんやりと、幸せだと思い、二人で笑った。  ケーキを食べ終えた少女はとろとろと眠りに入りそうで、慌てて里倉を呼びもどした。宴は、まだ終わらないらしい。 「あ。サクラちゃん、来週僕出張だ。名古屋」  思い出して日本酒を片手に伝えると、サクラがふーんと返事を返す。 「俺ういろうきらい。手羽先よろしく」 「うん。把握しました。一週間くらい居ないけど、電話したら怒る?」 「え、一週間も!? え。やだ。むり。三日に短縮しろ」 「……サクラちゃんちょっと酔ってるでしょ?」  暖かい日の下で、こんな事を言い合える日常に感謝した。 終

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