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第15話
部屋を一周した有賀が玄関に戻り、サクラちゃんと呼びかけてきた時、その後には『じゃあ今日はとりあえず帰ろうか』と続くものだと思っていた。
「あのね、好きです」
だから、そんな言葉が出てくるとは、勿論想像すらしていなくて。
「僕の恋人になってください」
心の準備なんて、まったくできていなかった。
(……あー)
ああだめだ。この人は馬鹿だ。たぶんただの馬鹿だ。
イケメンはこれだから困る。もっと、器用に雰囲気を作るとか、さらりと格好つけて言うとか、そういう努力をしないから桜介が戸惑うことになる。その上朴訥とした言葉は、外見に似合わず一途で困る。答えなど分かっているだろうに、語尾が掠れて緊張しているのが伝わってきて、困る。
こんなのは反則だ。どう頷いてしまっても、自分も一緒に痒くなる。
大人なんだからもっとスマートにどうにかしてほしいのに、桜介はそんな見た目よりも不器用な有賀が、どうにも好きだった。
顔だけじゃない。背格好だけじゃない。低い甘い声だけじゃない。打たれ弱かったり、面倒くさがりだったり、そういう部分も含めて多分、有賀を構成するものがかなり好きだ。きちんとした良識は持っている癖に、どこか抜けていて突拍子もないことをいきなり言う、この男が好きだ。
そう思えたら胸が詰まって、鼻の奥も痛くなった。
言いたい事は馬鹿みたいにあったが、うまく言葉にならない気がした。
どのくらい口を開けたまま有賀を見ていたのかわからないが、本格的に視界が滲み始めたので意を決して、喉の奥から言葉を捻りだした。
「はい。……こちら、こそ、よろしくお願いします」
上擦って、不格好な声で、面白味も何もない返答になってしまったのに、有賀は目を細めて笑うとふわりと抱きしめてきた。
いつか同じようにここで抱きしめられた時、桜介は背中に手をまわさなかった。けれど今は、仕返しの様にぎゅっと思い切り抱きしめ返す。
触れあう首筋が熱くて変になりそうだ。
ぎゅうと抱きしめられたまま、浮かれた言葉が耳元で踊る。
「あー……あー。嬉しい。すごい。すごいねこれ、ね? 今ここが世界の中心みたいな気分になっちゃうねぇ。恋愛映画とか、あんまり興味なかったし、女性は夢見て生きてる生き物だなぁとか思ってたけど、ちょっと笑えないかもしれない」
踊り出してしまうのではないかという程楽しそうな有賀が愛おしくて、また困った。この色ボケがと思うが、おそらく桜介も今は同じ穴のムジナだろう。
かわいい。つらい。どうしたらいいかわからない。この男がかわいい。
場の空気に浮かされている、という事を抜きにしてもやはり、桜介は有賀の事がかわいいと思う。これはもう病気だと、諦めてしまうしかないかもしれない。
恋なんて原因のない病気だ。そしてその病気は、治してしまうよりもいっそ謳歌してしまった方がいい。諦めて、熱に浮かされてしまった方がいい。そう結論づけて、桜介は有賀の熱い首筋に頬を擦りよせた。
「ていうかさ。いきなり何だよもう、びっくりして、痒くて死ぬかと思った。有賀さん、直球はしない主義だったんじゃないの」
恥ずかしくて顔はまだ上げられないが、その分密着した体温がお互いの浮かれっぷりを如実に伝えてきて、辛い。
さらりとした有賀の髪が、頬に当たってくすぐったい。そんなどうでもいい事でもうっかりときめいてしまう。
「うーん。うん、でも、さっきサクラちゃんが付き合ってますって言ってくれた時、馬鹿みたいに感動したから。言わなきゃいけないとか、はっきりさせるのが大切とか、そんな青臭いことは言わないし思ってないけど、ちょっと言っておいてもいいかなって思ったんだよね。こういうのも、有りかなって。サクラちゃんあっつい」
「照れてんだよ馬鹿。直球すぎんだよ阿呆。もっとこう、言葉のレパートリーあるでしょアンタ。選んでよ。何今の。痒い死ぬ。痒いし死ぬし好きだ馬鹿。キスしよう」
「うん? うん」
少し背の高い有賀に向けて顔を上げると、素直に甘い口づけをされる。
壮絶にキスがうまい男は、慈しむようにいとおしむように、ゆっくりと桜介の舌を転がした。
しっかりと抱きしめられたまま唇を離すと、また縋る様に抱きついてしまう。流石に驚いて有賀が背中を摩ってくる。
「……どうしたのサクラちゃん。痒すぎて疲れちゃった?」
「うっさい感動してんの。俺さ、好きな人にこんなに大切にされた記憶、ほとんど無いし。普通に付き合ってた人とかいたけど。普通に好きだったけど。……縁とか、運命とか、そういう痒いもの感じちゃいそうになるから、あんま感動させんな」
「感じちゃえばいいのに、運命。僕は結構最初から、御縁を感じてますよ」
「痒い。有賀さんってさ、ちょっと中毒性あるし、本当にどんどん依存しそうで怖いから一定の距離保ってお付き合いしたいんだよ。それをさ、べったべたに甘やかして来やがって、本当に寄生するぞこのやろう。三十路のゲイなめんなよ」
「……脅されてる? 告白されてる?」
「惚気だよ馬鹿」
笑って頬にキスを落とすと、もう一度ぎゅうと抱きしめられた。
桜介も随分とチョロいと思っているが、有賀もチョロい。そこも好きだと思ってしまうから、桜介の頭も随分沸いていた。
いい加減帰らないと、薄い壁の部屋でそういう気分になってしまいそうになる。それはぜひ家に帰ってからか、もしくは相応の施設でお願いしたいし、何より安心したら腹が減った。
まあ帰ろうよと声をかけてから、ゆうに五分はそのまま抱きしめられていたが、最終的に頬をぺちぺちと叩いたら名残惜しそうに腕を解いてくれた。
「もうちょっと堪能させてくれてもいいのに」
「腹減ったもん。ラーメン食べたい。店主のおっちゃんに絡まれてもいいなら旨いとこ知ってるけど、行く?」
「あー……それは、ハードル高いねぇ。友達に見えるかね。僕今結構脳内お花畑で、幸せだだもれてる気がするけど」
気まずそうに、けれど楽しそうににやけながら言われて、確かに友人だと紹介しても隠しきれないかもしれないと思った。
きっとべたべたしてしまう。そうでなくても、今のところのお互いの問題が一応片付き、解放感にあふれている。
「……なんか買って帰ろうか。言われてみれば、俺も脳内お花畑かもしんないわ。晴れて正式に恋人できたちゃったしなぁ……」
「恋人。いいね、素敵な響きだ。大変素敵だね。もうね、早くお弁当でも買って帰ろう。そして薄くない壁の部屋でサクラちゃんと甘痒いお話がしたいです」
「なんだそれ想像するだけでしんどい。もうちょっと手加減してください」
「ええー。いいじゃない。でろ甘くさせてよ。サクラちゃん別に初恋とかじゃないでしょ。僕の為に耐えてください。もうね、一日中ひたすら頭撫でていたいくらいなんだよ。ていうか明日休みだった。そうだった。撫でてられた」
「落ち着けってばお花畑野郎」
自分だって初恋などでは無いくせに、浮かれようが余りにも激しくて、ついでに桜介ものぼせあがってしまいそうになるからよろしくない。
そんな風にうだうだと、いつまでも恋愛談議を繰り広げそうな二人を止めたのは、有賀の携帯の着信音だった。
最近の電話トラウマから、桜介の方がびくっとしてしまう。電話に出る為にやっと体を離した有賀は、画面を見てアゲハだと告げた。今回かなり世話になった友人の電話を、お花畑気分で無視するわけにはいかない。
ストーカーの続報かと固唾を飲む桜介の目前で、有賀は多少堅めの声で何度か相槌をうっていたが、徐々に表情を和らげた。どうやら、特別困った事案が発生したわけではなく、軽い報告のようなものらしい。
「うん。わかった。もう、それはそっちに任せるよ。とりあえず人道的に対処してくれれば。あと、この先被害がぶり返すような事がなければ、それで。……え、夕飯? ……サクラちゃん、アゲハが鳥翅に夕飯食べにくるかって言ってるんだけど」
「え」
「お祝いに奢るって」
どうする? と訊かれ、本来ならばお世話になったアゲハにきちんと挨拶したいところだが、流石に精神的アップダウンが激しかった桜介は、申し訳ないが本能に従い今日は辞退させていただきたいと思った。
「あー。いや、今日は疲れたんでうちに帰る、方がいいかな、と。近いうちに、絶対に御挨拶に行きますんで、って伝えてもらえるとありがたい。いや、有賀さんが行きたいならついてくけど」
「僕も今日は、さすがに疲れたよ。今度菓子折り持っていくからって、言っとくね」
軽い応酬の後、また今度顔をだすからと、有賀は電話を切り、少しだけ気まずそうな桜介をみて小首を傾げた。
そして思いあたった様に、今更な疑問を投げかける。
「サクラちゃん、アゲハ苦手?」
そのものずばりな言葉に、桜介は一層眉を寄せる。
そこまではっきりとした感情があるわけではない。むしろ感謝しているし、話していて楽しいアゲハは、個人的には良い友人になってほしいとさえ思う。
ただし、有賀と一緒の時でなければ、というのは桜介の勝手な感情のせいだった。
言い淀む桜介は、答えを待っているらしい有賀の視線に観念し、しぶしぶと思ったままの事を告げる。
「別に、苦手って事は一切ないけど。良い人だし気さくだし、美人だし。あー……でもさ、アノヒト、有賀さんのことアルって呼ぶじゃん」
「そうね。外人さんみたいで素敵だとか言って勝手に付けられた呼びなだけどね」
「あれが、ちょっと、『あー』ってなるので。それが、まあ、若干気になるだけ」
「…………」
「あー。ねぇ、やめない? この話題。俺墓穴しか掘ってない気がする」
「え、意図的なご褒美じゃないの? 僕いまちょっと幸せで顔が保てないなって思って一生懸命顔の筋肉意識していたところなのに。あーもう、かわいい。はやく帰ろう。サクラちゃんがいとおしいから、はやく帰ろう」
良くわからない理論を展開して、有賀は心底楽しそうに桜介の額にキスを落としてからスワンハイツの扉を開けた。
明日は引っ越しに当てるのかと思いきや、本当に一日家から出ない予定で、今村への挨拶も来週に回すつもりらしい。
桜介も、別に予定はない。少し夏前に愛車の点検でもしておこうかなと思ったくらいだ。それこそ、来週に回しても良いし、家でだらだらと過ごすのも、確かに悪くは無い。
ヘルメットを渡しながら、そういえば最近はストーカーの件もあって遠出していないことに気がついた。
明日はゆっくりするとして、もう少し暖かくなったら二人で遠出するのも良い。デートという名目にしてしまえば、有賀はどこにでも喜んでついてきそうだ。
スワンハイツの駐車場の桜は、すっかり緑色に変わっている。花が咲いているときよりも、より一層春を感じる。そろそろ虫が酷いから殺虫剤をまいてくれという電器工務店にかすりもしない仕事依頼が増える時期だった。
そんな依頼をうっかり受けてしまう里倉も、お角違いな頼みごとをしつつも悪びれずサクラちゃんは頼りになるわとお茶を入れてくれるご近所さんも、桜介は好きだから仕方ない。
「あー。春だねぇ」
ヘルメットを抱えて、同じような事を思ったらしい有賀が、ぼんやりと呟く。
「なんだか最近、それどころじゃなくてさ。いやまあ、この歳になると、最近どころかここ数年、あー春だとか、あー夏だとか、あんまり思わなくなっちゃうんだけどね。一々感動したいわけじゃないんだけど。たまには、あー春だなって、思うのもいいよねぇ」
「どうしたの急にポエティックになっちゃって」
「いやー。なんかねー。世界がこう、きらきらしてるんだよねー。自分で言ってて、あははすごいお花畑脳! って思いますけどね。まあ、今日ぐらい良いかなって思うし。恋も春も素敵だねー」
「……きらきらしてるのは良いけど、いざって時に現実見て萎えたりしないようにお願いします。俺結構アンタの事好きだから、そういう事になったらストーカーになるかもしれない」
愛車に跨りながらさらりと零した言葉に、また有賀は感動したらしく何か言いたそうだったが、いい加減腹が減ったから早く乗れと促した。
言葉の代わりに、ぎゅうぎゅうと抱きついてきて、大変運転しにくい。けれど、今日はまあ、いいかと思ってしまう。
「サクラちゃんに出会った春っていいねって、これからも毎年思えるようにさ。ちょっと、人生頑張ろうって思っちゃったよ」
腰に手をまわして、そんな事を呟く有賀に、桜介は答えずに同じ気持ちでアクセルをふかした。
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