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CIGAR×SUGAR×KISS 3

 昔から人混みが苦手だ。  そのせいで、どこかに連れて行かれる時も泣いて嫌がった記憶がある。お祭りや催し物も苦手で、恥ずかしくてどうしていいかわからず戸惑っているうちに、行事やイベントは雨宮の前を通り過ぎて終わる。  そんな子供時代だったからか、大人になってほんの少し積極的になっている気がした。楽しいものは積極的に楽しまなければいけない。他人は案外自分の事など見ていないと気がついたのは二十歳を過ぎてからで、そう思うようになってから前に出る事も苦痛では無くなった。  もっと子供の頃から、積極的に色々見て回ったら良かった。そう思うから、雨宮は人ごみに怯えるエイミーの手をしっかりと握った。 「平日でも人で溢れてるもんだね」  五月の日差しに目を細めるニールは、雨宮の言葉に手を離すなよと返した。今日の彼は暗い色のシャツにスリムジーンズという格好だった。ゆるくまとめた髪が休日らしく、ラフで格好いい。 「迷子にでもしたら、エイミーのボディガードの体裁が丸つぶれだ。絶対に目を離さないこと、って念押しされているからな。……まあ、園内で暴力事件は流石にないだろうが、誘拐されたら本気で困る」  トイレにだって付いていきたいくらいだ、なんて言うものだから不謹慎にも笑ってしまう。言う程ニールの気が立っているわけでもなく、単に気をつけようと言っているだけという事も分かっていたので、雨宮は了解しましたと笑い返した。  人混みに慄いていたエイミーは、今まであまり外で遊ぶ事が無かったようだ。ミス・メイスンの仕事ぶりを伺えば、確かに遠出する暇はないだろう。時折祖父母と出掛けることはあるようだったが、老人がテーマパークに付き合えるとは思えない。  今日も少女はカメレオンの人形を鞄に入れている。昨日寝る前に名前は何かと尋ねたが、まだ決めていないとエイミーは眉を下げた。  最近テレビで見かけたカメレオンにすっかりハマってしまい、ダダを捏ねてぬいぐるみを買ってもらったばかりだという。  何かのキャラクターだと思っていたので、本物のカメレオンの影響だと聞いて雨宮は驚いた。昔から恐竜や爬虫類が好きだった雨宮としては、妙な親近感を抱く話だ。  寝る前に、一緒に名前を考えようと約束した。車の中でその事をニールに話すと、運転席の彼は割合真面目に名前候補を出してくれた。流石は毎日何十人と人に接し商品を売り付けていることだけはある。記憶力と頭の良さが、彼の仕事の武器なのだろう。  次々と提案される名前に、エイミーは心動かされたような顔をしつつも、決め手が無いらしく結局カメレオンの名前は保留のまま、車は動物園の駐車場に入った。  また帰りの課題だとニールは笑い、日差しから守る帽子をエイミーに被せた。 「エイミー、いいか、絶対にセンセイの手を離さないこと。センセイの手に飽きたら俺の手を握れ。それも飽きたら背負ってやる。その他の約束は特にない。好きなだけ好きなもんを見て俺達を振り回せ」  こうして三人で入った園内は、流石に広く、エイミーはすぐに展示されている動物に夢中になった。  エリアごとに別れている展示を、少女にひっぱられるように片っ端から見て回った。あまり興味が無さそうだったニールも、雨宮とエイミーが引っ張ると割合楽しそうに動物の解説を読んでくれた。  雨宮は元々ネイチャー番組が好きだ。世界各国の自然や動物を特集した番組から得た知識は、拙いながらもエイミーに羨望の眼差しを向けられ、ニールに感心されるくらいには役立った。 「……ワニが好きなだけじゃなかったんだな、センセイ」  コンゴ・ゴリラの森を一周し、エイミーよりも先に音をあげたのはニールだった。普段大して歩かない、と豪語するニコチン中毒の男は、本格的に禁煙しないと死ぬかもしれないとベンチでコーラを啜っている。  雨宮は珈琲を、隣に座ったエイミーはアイスを舐めていた。 「自然の特集番組好きで。何が好きって言われたら、恐竜かなってカンジだけど、恐竜はほら、いないでしょ、現代に」 「ジュラシックパークがあったら真っ先に餌食になりそうだな……新しいのはワールドだっけ?」 「行きたい。すごく行きたい。DVD買った」 「うそ、初耳なんだけど。そんなに好きだったら映画誘ったのに。俺は見てないけど」 「観ようよ。多分ニール好きだよ。あと、恐竜たくさん出てくるから、エイミーも好きかも。帰りに僕の家寄って行こう。ニール映画館とか好きじゃない気がして誘わなかったんだけど、平気なの?」 「二時間禁煙を我慢できる映画なら大歓迎だよ。もしくはセンセイが手を握っててくれるなら禁煙なんか忘れられる。サスペンス系ならわりと一人でも行く」 「あー……読んでるもんね、たまに。ダン・ブラウンのペーパーバックを読む恋人なんて、かっこよすぎて困った」 「大衆小説しか読まないけどね。今晩の予定は決まりだ。恐竜映画を見てれば、きっとエイミーも寂しいって泣く暇もないさ」  その前に疲れて寝るかもなと笑うが、雨宮も久しぶりに歩いて早くも疲れていた。  一番心配していたエイミーは、けろりとした顔でアイスを頬張っている。どの動物を見ても楽しいらしく、言いつけを守って雨宮とニールの手を引いて目を輝かせる。  広い動物園だから半分も回れないんじゃないか、と話していたが、この調子では全部見るまで帰して貰えないかもしれない。家で寂しそうにぬいぐるみを抱えているよりはずっと良い、とは思うが、体力がもつか大人の方が心配になる。 「……せんせい、疲れた?」  みんな元気だなぁと珈琲を啜っていると、エイミーが小さな声で尋ねてきた。慌てて笑顔を作り、雨宮はそんなことないよと答える。  エイミーはニールと同じように、雨宮の事を先生と呼ぶ。アマミヤという名前は確かに発音しにくいだろうし、その愛称は今となっては気に入っているものなので問題はないが、普段恋人に呼ばれる名前で少女に呼ばれると、どうにも尻の座りが悪い思いがした。 「人のいっぱい居るところに来るのは久しぶりだから、ちょっとびっくりしているだけ、かな。エイミーは疲れてない?」 「だいじょうぶ。楽しいから、へいきだよ。……ニールは?」 「俺か? 俺はそうだな、ちょっと疲れた。疲れたから、そのアイス一口くれる?」  目を細めたニールがねだると、一瞬びっくりした少女は意を決したようにアイスのカップを差し出した。二人に挟まれた雨宮は、目の前でニールが少女のアイスを齧る様を見つめ、官能的な舌の動きに思わず目を逸らしてしまう。  こんな健全なパークの真ん中でふしだらな妄想をしてしまうなんて、とんでもない。と思っていた事はさらりと恋人にはばれていて、エイミーに気づかれないように腰を引っ掻かれた。  じろりと睨むと、悪戯に笑われるから嫌だ。そんな可愛い表情をされたら、すぐに抱きつきたくなってしまう。  動物園も外のデートも楽しいけれど、好きな時にキスが出来ないのは辛い。似たような事を時折ニールも漏らすが、まったくその通りだと同意せざるを得ないし、まったくとんでもなく甘ったるいカップルだと自分でも呆れる。  もだもだとした甘い感情をどうにか呑み込み、雨宮は園内の雑多な空気を吸い込んだ。  禍々しい程のピンクのアイスをなめとったニールは、首を傾げて甘いと言った。 「それ何アイス?」 「……なんだろうな、これ。甘いってことしかわからないんだけど。キャラメル?」 「買ったのニールでしょ?」 「選んだのはエイミーだよ。その右から三番目のピンクのやつ、って注文したから味なんざ見てない。チェリー? ローズ? たぶんラズベリーじゃない。コットンキャンディか? ……わからん、甘い」  べえ、とピンク色に染まった舌を出したニールに、雨宮は一口貰おうと言わないことに決めた。比較的甘いものを好むニールが甘いというのだから、きっと自分は口にしてはいけない食べ物だと判断する。  暫くアイスの感想を言いあい、エイミーがそれを完食する頃合いで、ニールがゴミを捨てに立ってくれた。気が利く恋人で本当に惚れ惚れする。  エイミーの頬を拭ってやりつつ、いつもの調子でニールをぼんやりと眺めてしまう。  相変わらずの猫背でも、颯爽と歩く姿はやはりかっこいい。ファミリーやカップルが多い中、暗い色の服をスマートに着こなしたニールは若干目立つ気がする。多分、雨宮の気のせいではない筈だ。  何も考えずに恋人の格好良さに溜息を飲みこみ目で追っていたが、ふと視界の端に走る子供を見とめた。飲み物のカップを抱えて走る少女は前を見ていない。  雨宮が声を上げる前に、走って来た少女は盛大にニールにぶつかり、手に持っていたジュースをぶちまけた。  思わず息を飲んで腰を浮かせたが、雨宮が駆け寄る前にニールは尻もちをついた少女を立たせていた。幸い、少女にはジュースはかかっていないらしいが、顔色は真っ青で今にも泣きだしそうだ。  確かに、ニールの見た目はかなり取っつきにくい。にこりとも笑わない背の高い男に、怯える気持ちは分からなくもない。 「ニール、うわ、あの……だいじょうぶ?」  エイミーと手を繋ぎかけつけた雨宮に、ニールは低いいつもと同じ声で冷たいと答えた。細い腰から下のジーンズは、見事に濡れていた。 「冷たい、けど、双方怪我もないから平気な方じゃないか。まーべたべたするけど、幸い黒い服だし、やっちまった感はそんなにないだろ。……つか嬢ちゃんどっから来たんだ? 一人じゃないだろ?」  空になったジュースのカップを振りながら頭を傾げるニールの後ろで、ルシー、という声が聞こえた。  振り向いたのはニールも雨宮も同時だった。夫婦らしき男女が人混みをかきわけるようにこちらに駆け寄ってくる。彼らが、ニールにぶつかった少女の保護者のようだ。  顔面蒼白な女性の横の男性は、少女ではなくニールを見て唖然としているように見えた。まさか知り合いかと訝しみ、ニールに声をかける前に男性が雨宮を見て声を上げた。 「……ニコチンモンスターの定時の恋人!」  唐突の大声に驚いた雨宮がニールを見やると、彼は眉を寄せて『あー』と唸った。 「……偶然ってあるもんだ」  溜息を飲みこんだような気配を感じ、雨宮は誰にも気づかれないようにそっとニールの手を握った。

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