21 / 21
CIGAR×SUGAR×KISS 6
元旦那は弁護士と共に引き上げ、クロエとメイスンは安心して寝てしまったエイミーを連れてなんとか眠れる程に片付いた新居に帰って行った。
不審者は退けたとはいえ、クロエの家は防犯センサーもない。メイスンの新居はセキュリティだけは煩い程に完璧だという話で、それなら女性二人でも平気だろうとニールは見送った。
ニールとアマミヤはそのままクロエ宅に泊まる事を勧められたが、ニールがアマミヤのアパートに帰ると主張した。
夜も遅かったし、移動するのは億劫ではあったが、恋人と二人きりで姉の家に泊まるのは流石にどうかと思う。姉が気にしない、と言ってもニールが気にする。何より真面目なアマミヤの事だから、誰も居ないと言ってもあの家の中でキスをする事も控えそうだと思った。
その予想は当たっていたらしく、疲れた顔の恋人は部屋に帰って来た途端に甘えるように首筋に巻きつき、舌を絡ませるキスをねだった。
日付は変わっていたが、おかしな興奮状態ですっかり眠気も飛んでいる。明日はメイスンがどうしてもディナーを皆で、と言って譲らなかったので、夕方にはメイスンの新居に行かなくてはならない。それまでは暇だ、と言い換える事も出来る。
適当なタオルで拭いてきたが、服や頭からは珈琲の匂いがした。
湯を張ったバスタブの中でお湯を被り、淹れたてのホットコーヒーじゃなくてよかったと零すと、こめかみにアマミヤのキスが降ってくる。
ニールの部屋ではなくアマミヤの部屋に帰って来たのは、比較的しっかりとしたバスタブがあるからだ。シャワーしか浴びない典型的アメリカ人のニールの部屋にもささやかなバスタブはあるが、お湯をためておく為の栓がない。
自分のアパートは煙草を吸えるという事以外にもまあまあ気に入ってはいるが、アマミヤの部屋のバスルームにだけは及ばないと思っていた。
「日本人が一日の終わりに風呂に入る気持ちはわからなくもないな……面倒な事をするもんだと思っていたけど、ゆっくりと湯に浸かるってのは悪くない。シャワーだと恋人と一緒に風呂を楽しむって事もできないしな」
それでも日本の風呂に比べたら、随分と劣る筈だろう。NYの給湯機は日本式のモノとは程遠い。
高級ホテルにはジャグジーが付いている筈だから、今度試しに泊まってみようかと誘うと、ぼんやりとニールを見ていたアマミヤがやっと正気に返ったようだった。
「……ニールが、行きたいなら僕は付き合うけど。またどうせ、ニールがお金払う気なんでしょう? 僕は別に、狭い僕のアパートのバスタブでもキミと一緒なら楽しいし、嬉しいし、ていうかあの……もう、正直、目の毒すぎて死にそう……」
「うん、まあ、センセイが驚くほど俺の外見が好きな事は知っていたし、どうもさっきから夢うつつ状態なのも気がついてはいたけど。……ただの水に濡れた不健康そうな男だろ?」
「最高にセクシーだよ馬鹿。鏡見てごらんよ。もう、ほんと、だめ、好き。あーもー……お風呂最高……」
「そんなに喜んでもらえると調子に乗るよセンセイ。うちのアパートの風呂も掃除して栓を買えば多分使えるんじゃないか、とか軽率に考えちまうからよくない。……いやでも、確かに、濡れた恋人っていうのはセクシーなのは否定しないな」
頭から濡れて水を滴らせるアマミヤは色っぽく、狭いバスタブの中で抱き寄せると甘く唇が開く。反射のようにキスをして舌を絡ませ、立ち上る湯気に甘い声を吐いた。
アマミヤとニールが動く度に反響するお湯の音が、どうしても淫靡に聞こえてしまう。こんな夜中に、風呂の中で興奮してしまうなんて、と自分を諌めてはみるが、二日間目の前にアマミヤがいる状態でお預けを食らっていた身体は非常に正直だった。
セックスしないと死ぬというわけではない、というのは本当だ。そこまで下半身は元気ではないし、実際に恋人と長く続く事がなかったニールは、性的な交渉自体極端に少ない方だった。
セックスがどうしても必要とは思わない。けれど、アマミヤが目の前に居て白い喉と肌を晒して寄りかかってくれば、縋らせて喘がせて懇願させたくなる。
それは快感を追う作業というよりは、お互いの愛情の確認と、アマミヤの普段は誰にも見せないだろう顔を自分だけが見たい、という子供の独占欲のような感情に近かった。
エイミーの前では、独占欲を大人の顔でどうにか押し込めていた。余裕ぶってアマミヤを譲りつつも、その手はいつも自分が握っているんだからな、と内心毒づく自分は全くもって大人げないと思う。
お湯で火照った恋人の濡れた肌をなぞり顎に指を添え、とろけた顔を上向かせると、壮絶に色っぽい顔で舌を出して誘われた。
何度目かわからないキスをして、息継ぎの合間に囁くように言葉を零す。
「センセイ、眠くない? 疲れたんじゃないか? 朝から、慣れないことばっかりだ」
「眠くない筈はないんだけど、なんか、眠気飛んでて……そんなことよりニールを堪能したい……もっとキスして」
「――おねだりの上手なセンセイの威力はすごいな。ちょっと今、興奮で眩暈がしそうだった」
色っぽい恋人から、かわいい恋人の顔に変わったアマミヤは、こんなところで倒れたら溺れちゃうよと笑う。
溺れる前にのぼせそうだ。甘くふやけるようなキスは理性と酸素を奪う。頭の芯がぼんやりして、愛おしいということしかわからない。
「したいのは、キスだけ?」
いやらしい質問だと分かっていても、困った様に赤くなるアマミヤが見たくてつい口が動く。最近は特に甘く言葉を隠さなくなった恋人は、恥ずかしそうに目を伏せて官能的な言葉を吐く。
「……いやらしいことも。ニールは?」
「俺もしたい。俺だけに甘えるセンセイが見たい。……駄目だな、小さい恋のライバルに、俺はすっかり戦々恐々としていたらしい。将来美人に育ったエイミーにセンセイが取られないように、今のうちに誑し込んでおかないと」
「こっちの台詞だよ……ルシーには、あげないよ。不健康そうなニコチンモンスターは、僕のなんだから」
同僚から陰で呼ばれているあだ名を持ちだされ、思わず苦笑してしまう。そういえばニコラスと随分と親しくなってしまった。先ほどのメイスンの夫の件で、一日の記憶がすっかり無くなっていた。
随分と濃密な日だった。それでも不快なエピソードは無かったし、怪我人も居ない。一日の終わりにはこうしてアマミヤと二人きりで過ごせているのだし、悪い日では無かった筈だ。
「珈琲被ってるのに?」
キスの合間に今日あったことを反芻し、総括として悪くなかったと言うニールに、アマミヤは驚いたように言葉を返した。
「わりと面白い体験だったよ。外に出たら丁度エキサイトしたメイスンに旦那が何かを振りかざしてたんだ。これはやばい、と思って庇ったら頭の上から冷たい珈琲の雨だ。恋愛映画の主人公にでもなった気分で、思わず笑っちまった」
「ニールは時々、思いもよらないところで懐が広いよね……?」
「別に、そうでもない。俺が寛容なのは大概センセイ関係のことだ。今日だって仕事の案件で珈琲をぶちまけられていたら、一発くらい殴っていたかもしれない。俺は隣にセンセイが居てくれたら大概の事はどうでもいい。センセイの隣の俺は良く笑うしな」
「……それは僕も、いつも嬉しく思ってるし、いまだに不思議に思ってる。ニール、本当に僕以外の人には笑わないよね……クロエさんにもわりと淡々と接してるからびっくりした」
「笑わないからって嫌いなわけじゃない。出し惜しみしてるわけでもない。元来こういう顔なんだ。表情筋が固い。でもセンセイがかわいいことを言うと、急に俺の顔はだらしなくなる。……恋ってやつはニコチンモンスターの表情筋も柔らかくするらしい」
センセイだけだよ、と告白するのは流石に気恥しく、顔を見られたくなくて抱きしめたら盛大に悶えてくれている気配がした。
可愛くて愛おしくて最高だ。暗いベッドの上で、少女と一緒に川の字になるのも悪くは無い幸せだとは思うが、やはり自分には家族の団らんはハードルが高いような気がした。
まずは目の前の恋人を愛す事からだ。家庭というものの尊さは、まだよくわからない。姉は好きだし、エイミーの事も嫌いではないが、子供を愛せるような気はしない。
「結局自分本位で好きなものしか好きと思えない。モンスターはいつまでたっても人間になれる気がしないな」
「それ、僕の前だけでは人間ってこと? なんかちょっと、美女と野獣っぽいっていうか、それはそれでかわいいっていうか嬉しいっていうか」
「センセイはすぐ俺の事を可愛いって言うけどな、俺にはその可愛いらしい自分の魅力がさっぱりわからないよ」
「僕だって、自分がセクシーでヤマトナデシコで可愛い美人だなんて思えないけど。ただ、キミの恋人であることに対してはなんていうか……自信持ってるかな」
モンスターは、僕の前でしか笑わないものね。
くすぐったそうに照れるアマミヤにニールの方が照れてしまい、ぐったりとその白い肩にしなだれかかってしまった。
「……こんなに甘やかされて、俺は明日ちゃんと人前に立てるかわからないよ。往来でキスしそうだ」
「ニールにキスされると立てなくなるから、できれば家の中だけにしてほしいけど、僕は別にゲイだって思われてもあんまり、どうせ店のスタッフにはキミと付き合ってることばれてるし……あ、そういえば言うの忘れてた」
「何? ――待て、なんだか嫌な予感がする」
「ニールには楽しい話じゃないし僕にも楽しい話じゃないけど、黙っててもどうしようもないから言うよ。来週サイワキさん出張でNY店に来るって。僕のアパートに泊めてくれっていうから全力で断っているところ」
「くそが。まだ諦めてないのかあの野郎。くそ上司様用に最高級のスイートルームを予約してやるから絶対にこの部屋には一歩も入れるなよ。飯も駄目だ。センセイは絶対に俺以外の男と何もないって分かってるけど相手が悪い」
「がんばって回避する。逃げられないかも、って思ったらヘルプ出してもいい?」
勿論、何を差し置いてもかけつけてセンセイを奪い返す、と宣言したニールに、アマミヤは知ってたよと言わんばかりの照れた笑顔でありがとうと返した。
とりあえずサイワキの対策は来週までに練る事にする。毎日迎えに行く事は確定しているが、ニールだけだとうっかり手を上げてしまう危険性があるかもしれない。クロエを巻き込むのもどうかと思う。
ふと頭をよぎったのはニコラスの顔だ。そうだあのふんわりした大人に協力してもらうのもアリだ。彼ならばきっと、冷静にニールを止めてくれるだろうし、相談にも乗ってくれる筈だ。
珈琲を奢れ、と言った時は予定を流すつもりでいたが、あの約束は遂行しなくてはいけない。休み明けにどうやってニコラスを珈琲に誘おうか、いっそランチにでも誘えばいいのかと思案していると、じっとアマミヤに見詰められた。
「――僕のキスより、考えごと?」
言ってからやりすぎたと照れるかわいい恋人にキスを繰り返し、甘い湯気にのぼせそうだと笑った。
ともだちにシェアしよう!