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第3話
「あー……モッツァレラチーズになりたい……」
冷たいカウンターに突っ伏して、最近のお決まりの文句を垂れ流すと、斜め上からやたらとイイ声で茶々が入る。
「まぁ~トマトとの相性もばっちりね。おいしいわよねモッツァレラ。でもトキちゃんがあんなにお洒落で汎用性高いチーズだなんてお笑い草。ちょっと自己評価高すぎね~せめてとろけるチーズかさけるチーズくらいの陳腐さが無くちゃダメ」
「さけるチーズって溶けないでしょ……今オレはあれですー溶けてーだらだらになってー動きたくないんですぅー働きたくないーチーズになりたいーのー」
「チーズはさけたり溶けたりしてお口の中に入れられて消化されるのがお仕事なのよ。アナタはチーズのお仕事も放棄してるから残念ながらチーズ以下」
ぽんと頭を叩かれて、怨みがましく視線を上げれば銀髪のウィッグのオカマが微笑んでいた。口調は飄々としている割に笑顔は優しい。
これだからオカマは嫌だ。オカマが微笑むだけで軽率に泣けちゃうから駄目だ。おばあちゃんとオカマの笑顔はよくない、大変良くない、鬼門だって知っているのに、オレはご老人ドキュメンタリーも見ちゃうしオカマに会いにローカルなバーにも通ってしまう。
ゲイバーだかオカマバーだかよくわからない無秩序でアングラなバー『PINKY CHICKPEAS』は、大概誰かしらがぼんやりと酒を飲んでいる割に流行っている感がない。
従業員は大概マスターのオカマ一人だったけれど、オレはそのオカマとだらだら喋れたら別にそれで構わないので、繁盛っぷりや客層などあまり気にした事はなかった。
オカマもといこの店での通称タマコさんは、今日も酷い色のシャドウを塗りたくり、ラメラメした目元とグロテスクなルージュで柔らかく笑う。
オレがタマコさんの笑顔だけで泣けるって事を知ってて容赦なく愛想を振りまくのだから、やっぱりオカマは怖かった。
「タマコさんの~言葉の刃が~ぐっさぐっさ刺さるわけですよオレのガラスのお胸にサァ。っていうか失恋したら慰めてくれるって約束じゃん。ナグサメテヨ、サァ、サァ」
「充分慰めたじゃないのガラスのハートにその手を当てて思い返して御覧なさいな。お店貸切で二時間泣言に相槌打って、その上スマホも代機の手続きしてあげて、更に恋人と一緒に家の鍵まで無くしたあんぽんたんにお店のソファーを一晩貸したのはサァ、だぁれ?」
「……タマコサマデス。さーせん調子に乗りました」
「わかればよろしいのよーこれ以上アンタに奉仕してたら溢れる愛も枯渇しちゃうわぁ。トキちゃんって、ホントに愛を吸い取る機械よねぇ。ラブって消耗品なのねって、アンタに会って実感したわ」
多分褒められてないんだろうなぁと思ったし、アハハまったくその通りだわと思ったけれど、ちょっとまだ笑う余裕が無くてもうギブアップの意思で手を上げる。降参、もうだめ、まだ全然回復してないです。
タマコさんとだらだら喋れば、少しは前向きになれるかと、チーズになりたい気分を一回玄関に置いてどうにかここまで来たけれど、座ってしまうとやっぱりチーズ願望が這い上がる。
雨の日に、半年付き合った恋人にこっぴどく振られた。
その上家の鍵も無くしてスマホも壊れてもう散々だったというのに、バイトをしていたカラオケ店が潰れた。
ていうかそもそもバイト生活の前はきっちりと社会人をこなしていた筈なんだけれど、正社員のお仕事は三か月前にクビになっていた。この原因は異常に嫉妬深かった元彼様の職場への電話攻撃や上司同僚への嫌がらせが元だけれど、あん時別れてればこんなに泣く事もなかったし金に困って愚痴愚痴とチーズ願望垂れ流すことも無かったのかもしれない。
これはもうどう考えてもオレがおバカさんでございました。
男運が悪いとか、最早そういうレベルの問題じゃあない。見る目がない。判断能力の欠如。目がくらんでいた。甘いだけの幸せに、骨まで浸かって脳みそがアホになっていた。
直接言わずとも、そんな男で大丈夫なのと、再三忠告してくれたタマコ先生は振られたと泣きついたオレにそれみたことかと小言を一発お見舞いして下さった後、自分の事の様に一緒にぼろぼろと泣いてくれた。オカマは怖い。でも、優しい。しぬほど優しい。だから嫌いだし好きだ。大好きだ。
ホスト稼業だった元彼様は、それなりに稼いでいた割になんだかんだと金をせびった。自分の金を使いたくない人だったんだと思う。愛に浮かれてほいほいと金も身体も感情も思う存分差し出していたオレは何度だって言うがただのバカだ。
おかげ様でオレの心もとない預金は最早ゼロに近い。その上次のバイトが決まってない。しぬ。これはもう、リアルに生活できずに路頭に迷う未来がちらちらと、物陰からこちらを伺っている状況だ。あっち行けと追い払おうにも金が無い。金がなければ路頭生活はいつか必ず襲い来る。
手っ取り早く夜のお仕事とも思ったけれど、若い訳でも、器量が良い訳でも、話題が豊富で気が利くわけでもない。二十代も後半なゲイに、何ができるっていうのと世間を恨んでみても金は降って来ない。結局自分で稼ぐしか道は無い。
「……げいぽるのはいやだ……」
「ちょっとやだ、何不穏なとこまで飛躍しちゃってるのよ。トキちゃん別にアホでもないんだから、なんとか生きていけるでしょうに。ちょっと、早く立ち直って健全にお仕事なさい。身体売る前に労働力を売りなさいおバカ」
「仰る通りで返す言葉も見つかりませんー……でもなんか、ひとりでいるとだめなの涙出ちゃって前が見えない未来も見えないどうしようもない」
「どんだけ好きだったのよあの鬼畜男が」
「だって愛してくれたんだもの。好みの男がサァ、どろどっろに甘い声で好きだよって言ってくれる日常を、手放したくなかったのよ。結果がコノザマなんですけれども」
駄目な男が好きってわけじゃない。多分、オレが駄目なんだと思う。
愛がなくちゃしんどい。好きって言って貰わないと自分がうまく保てない。
しねしねきもちわるいと言われ続けた過去が祟ってふっきれない。今も学生服見るとちょっと吐きそうになるレベルのトラウマは、十年経ってもチクチクとオレの人生に干渉してくる。
開き直って生きれたら幸せだよなぁっていうのは理解しているのだけれども、前向きになれるのは晴れた日の朝だけで、日が沈めば急に人生辛くなる。
子供も持てない。結婚もできない。その上好きな人もいない。オレの事を好きだと言ってくれる人もいない。仕事も無い。じゃあなんで生きてんのよって、夜の暗さがだらだら脳みそに流れ込んで真っ黒に染めて行く。
性格なんて理性と道徳で変えられるもんじゃない。
いい加減、自分をうまく扱えるようになってきたんじゃないのなんて思っていたのは錯覚だった。ぜんぜんだめ。だめだった。
うだうだ、だらだら、泣きそうな声で泣言ばかり滲ませるオレに、適当なオカマは優しくハイハイ連呼して、さっさと恋でもしなさいなんて当たり障りのない慰めを口にする。
「恋愛コワイよーやだよーだってどうせ最後は振られるじゃんー。既成事実作りたくてもときちゃん子供産めないのだものー」
「終わらない恋だってあるかもしれないじゃないの、なんてハーレクインな事はアタシも言わないけど、そうねぇ……正論ぶちかませば、終わりばかり考えてたら何も始まらないわって話なんだけど、でも物事に終わりがあるのも事実よね。まー実際恋なんて、否応なしにすとーんと落ちちゃうものでしょう?」
「……タマコさんも、奥さんとストーンと落ちちゃったの?」
「どうかしら。でも、好きよ。愛してる。旦那が夜な夜なバーのカウンターにドラァグ・クイーンじみた格好で立ってもキスしてくれる最高のワイフだもの。あとね、こんなゲイだかオカマだかわからないようなアタシに付き合ってお酒を飲んでくれるお客さんも、みーんな愛してる」
「タマコさんの愛はいいよなぁなんか、ふわふわしてて柔らかくてあったかくて正しい。涙出そう」
「あらら泣いてばっかりねぇトキちゃんは。でもアナタは、アタシの柔らかい愛じゃ満足できないじゃない」
そうだ、オレはそれじゃ満足できない。
君だけだよ、キミが一番だよって言って貰えないと安心できない。そうしないと価値がない、とまでは流石に思わなくなった筈だけど、どん底精神の現状ではどこまでが虚勢なのか自分でもわからない。
オレを振った例の人は、屑な男だったと思う。でもオレも同じくらいの屑だから、きっとバランスは取れていた。
行く行くは店長を目指してるし、男の恋人とかいるとちょっと困るしさ。
そんな風に困った様に笑う顔に罪悪感なんか無くて、呆然としてしまったオレは何も言い返せずに、アハハそりゃそうだわって笑顔でじゃあお別れっすねと踵を返した、筈だった。
なんか他にも色々言われたけど忘れた。忘れたことにした。実際うっかり転落死しそうになった件もあってリアルに記憶が飛んでいる。
ただ、しんどい胃の重さも、頭の痛さも、一向にオレを解放してくれない。
おばさかんなのねあたしあんなおとこにねつをあげて。なんて、茶化してみても、涙しか出てこない。笑えない。まだ、全然笑えない。
「働きなさい、健全に。男の為に生きるんじゃなくて、たまには自分の為に生きて御覧なさいな。トキちゃん芸術系強いんだから、そっちのお仕事探したらいいのにって、まあ、言うだけは簡単ってやつよねぇ。お顔も奇麗めなんだし、ポルノとは言わずともモデルさんとかどうなのよ。カヤがいつだって手をこまねいているじゃないの」
「えーあーでも世の中に顔出るのちょっと抵抗がありまして。カヤちゃんのモデルはさぁ、あれはほら、友情出演だし顔出てるのは作品集からも外して貰ってる……あ、そういえばカヤちゃん最近来た?」
「最近も何も、今来たわよ」
「え」
後ろを指さされ、思わず振り返ると懐かしい顔が相も変わらず無表情でひらひらと手を振りながら近づいてきた。のは別にどうでもいい。
問題は、その後ろでこれまたダルそうな覇気のない顔のまま歩いてくる見覚えのあるピンク色の髪の男の方だった。
「……っあ」
思わず椅子から半分腰を浮かせて固まる。そんなオレの反応は予想していたらしく、ちょっとにやりと笑ったカヤちゃんが、久しぶり、とオレの隣にするりと腰を下ろした。
「タマちゃん久しぶり。元気してた?」
「そうねぇ比較的お元気かしら。カヤはどうしたの、最近見なかったけど、アンタ相変わらず三十過ぎても外見変わらないわねぇ化け物かしら」
「あはは、辛辣。最近振られてないから、タマちゃんに慰めてもらう必要が無かっただけだよ。まあ、出会いがないだけなんだけど」
「いやぁねーうちの常連ちゃんたちは、アタシをセラピストか何かと勘違いしちゃってるのかしら。こちとらお酒を振る舞うお店よ、お酒を飲みにくるのがお客の仕事、振る舞うのがアタシの仕事。失恋相談所じゃなくってよ」
オレの事なんか無視してだらだらと会話を始める二人をこれまた無視して、ピンクのおにーちゃんはカヤちゃんとは反対側のオレの隣によっこらせと腰かけた。今日は男子にしては長めの髪の毛を、女子が使っているような派手なシュシュで括っている。なにそれかわいい。あと足が長い。ムカつく。でもちょっとときめいてしまうのは悪い癖すぎてもうしにたい。
あの時は精神状態おかしくてついでに命の危機を救っていただいたっていう非日常感でわけがわからなくなっていたけど、良く見れば肩のラインから鎖骨の形が壮絶にカッコイイ男だった。
決して好みじゃないけど。オレはもうちょっとわかりやすくしっかりと甘い顔が好きだ。
「喜びなよトキ。王子様が、わざわざシンデレラ探してガラスの靴もってきてくれたんだから」
カヤちゃんに言われてなんぞと眉を寄せる。オレは靴なんか落としてない。鍵は落としたけど、と思ってアッと声を上げてしまった。
骨ラインが奇麗な男は、長い腕を背中に回してポケットから何かを出す。
じゃらじゃらという音と共に現れたのは、やはり見覚えのあるカラフルな束だった。
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