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第4話

 カヤさんがおれを連れだって入ったのは、いかにも怪しいピンク色の看板の地下バーだった。  どろりとした派手なフォントは個性的で中々面白いが、一見さんは勇気いるだろうなと思う。『PINKY CHICKPEAS』というその店は、比較的こじんまりとしていた。  薄暗い紫の照明がテーブルの黄緑を照らしていてまた面白い。カヤさんの周りは、やっぱりハチャメチャな色彩で溢れていると再認識する。  タマコさんと紹介されたマスターは、銀色の短髪ウィッグを被って、ぎらぎらした化粧をしていた。  オカマというかドラァグ・クイーンそのものといった感じで、プリシラ好きですかねって言ったら満面の笑みで『靴のお洋服は最高』とのレスポンスを頂いた。この一言でおれはタマコさんというガタイがいいドラァグ・クイーンとこの店が気に入った。  おれはあの映画の若いオカマの言葉が好きだ。エアーズロックの上にヒールで立ってやるの。そう言う前に、隣に座った黒猫男が同じ言葉を呟いた。  それなりにコアな映画の話もできるのかと、マイナーDVD好きのおれはひっそりと隣を見たが、相手もこちらを見た所為で視線がぶつかった。  大変不審そうな目だ。にっこり、愛想を振りまく柄でもないので、銜えた煙草を指に挟んで、ふうと白い息を吐く。  小早川刻親。二十六歳。ゲイ。  おれが雨の日に人命救助して家の鍵を拾った人。おれの憧れの写真のモデルの男。  それ以外の情報は今のところ追加されていない。カヤさんは適当に名前だけしか紹介してくれなくて、後はタマコさんと楽しくおしゃべりを続けている。  おれが差しだした、じゃらじゃらとストラップがついた鍵を恐る恐る受け取ったトキチカさんは、一応礼を言ってくれたけど。まあ、別に、今更必要でもないだろうなぁと思う届けモノだったし、向こうは一回逃げてる身だし、そら気まずいだろうなぁとは予想つくけど。  気まずそうにちらっちら伺ってくる視線わるくないなーと思ってしまうから、おれっていじめっこ属性あったのかなーとぼんやりと煙を吐いた。 「……ときちかさんって、カヤさんとはどういうお知り合い? って訊いても平気っすか」  カヤさんが放置プレイをしているので、もう自分でどうにか話題を振るしかない。  あんまり初対面の人間と喋るのは得意じゃない。  喋ること自体は別に、嫌いではないが、とにかく愛想笑いが苦手でその上声に感情が表情に乗りにくい。結果、だるそうに見えてしまうらしい。いや、でも、まあ、正直おべっかとか社交辞令とか大概だるいなと思っているので間違いじゃない。  いきなり話かけられてびくっとしたトキチカさんは、少しだけ目を細めて気まずそうに酒を飲んだ。 「あーえーと、うん、まー別に平気でございますけど、とりあえずトキで良いというかあんまり本名フルで呼ばれないからそわそわしちゃうっていうか、トキって呼んで倉科さん」 「じゃあおれも別にシナでいいですけど、いやまあおれはどうでもいいっすわ。好きなように呼んでもらって。あー……でも、トキチカさんて響き、ちょっとかっこよくないっすかね? カタカタしてて、気持ちいいなーって思うんですけど。駄目ならまあ、トキさんって呼びます」 「…………どうしてもと言うのならば止めない」 「え、トキチカさんって呼んでいいの?」  そわそわすると言っていたから、嫌なものかと思った。  が、しかし、隣の男を見やれば、大変照れくさそうに視線をさまよわせている。乙女か、と、つっこんだのは許してほしい。何だこの人、想像していたよりも、大変チョロいぞ大丈夫かと、他人事ながら心配になってしまった。  少し褒められて名前呼びを許してしまうくらいにはチョロいおにーさん、もといトキチカさんは、カヤさん曰く『とんでもなく面倒な男』とのことだったが、今のところただのチョロい人だ。 「んで、トキチカさんはカヤさんとは古いの?」 「あーそうねー何年だろ……結構前からタマコさんとこの常連で、まあ、ここで会ったのが最初? かな? うん多分そうね。カヤちゃんとは友達っていうか振られ仲間って感じですけれど」 「……あー。カヤさん、定期的にとんでもねー失恋してますもんね。死ぬんじゃないかって、毎回ハラハラするレベルのやつ。一週間は使いものにならないから、いい加減幸せ掴んでほしいなって思うレベルのやつ」 「そうそう。その度に地球なんて滅べばいいのにねって一緒に悪態吐きまくって泣きまくるのがオレの役目ね。あとオレが死にそうな時に飯食って寝ろって言ってくれるのがカヤちゃんのお役目」  その言葉に思わず笑いが漏れてしまう。  確かにカヤさんはおれがコンテストに落ちてへこむ度、理不尽に所長に呼び出されて苛々する度、『飯食って寝ろ』と言う。それが、カヤさんだ。 「カヤさんは慰めないんだ?」 「やだよ、カヤちゃんの慰め方びしばし痛いんだからさ。本当の事ガツガツぶち込んでくる割に言いすぎたって言って泣くの、こっちが疲れる。慰めるのはタマコさんのお役目デス」  まあタマコさんもびしばしホンネ突き刺してくるんだけどさ、と言ったトキチカさんに対し、カウンター向こうのタマコさんが呆れたようにため息をついた。 「本当に泣き虫ちゃんな常連しかいないのよねぇ、ウチ。トキちゃんなんかもう、涙で溶けるんじゃないかしらこの子って毎度思うわ。お酒なんか飲んでないでポカリ飲みなさいよポカリ。アナタ一回失恋すると五キロは痩せるじゃないの。カヤじゃないけど、ちゃんとご飯食べて寝ないと駄目よ。そうだ、ほら、カヤの出番。言ってやって。寝ろって言うの得意じゃない」 「え。え? トキ、また振られたの?」  カヤさんの驚きの声が向こう側から降ってきて、そっちに顔を向けたトキチカさんは『なんでオレが振ったって可能性を見出してくれないの!』と声を上げていた。 「ふられましたけど! ふられましたけれども! 振られた上に仕事も無くして吐き気と涙堪えて雨の中ぼんやり世界呪いながら歩いてたらどこぞの誰かに突き飛ばされて死にそうになったところをこちらのピンク髪のイケメンに助けて頂きましたの!」 「ふはははは何ソレ運命的……! シナ、本当に王子様じゃないか!」 「もーやだ、カヤちゃんの笑い声って頭に響いてその上心臓ぐっさぐさえぐるからやだ……」  頭を抱えるトキチカさんの言葉には全面的に同意だった。  カヤさんは普段無表情で怖い割に、感情の起伏が激しく笑い上戸だ。特に酒を飲んでいると酷い。人が変わったように笑うから最初は精神がアレな人かと疑ったくらいだ。  死にそうな声でため息をついて、トキチカさんは酒を舐める。  確かに初めて会った時も、やたら覇気がなかった、気がしないでもない。そうかあれは失恋直後かと思うと、この奇麗な黒猫男が振られるなんて世の中わっかんねーなという気分になった。 「はーお腹痛い……なんだそうかー、トキ、あの屑男と別れたのかーだったらまた、たまに遊んでも良いかな。あの屑男、やたらとトキの周りにうるさかったでしょ。面倒だったから連絡取るのも控えてたんだけど。じゃあさ、ちょっとお仕事しない?」 「……おモデルさん? カヤちゃんのお写真の?」 「そう。新しい作品集、ちょっとやりたいのがあって。顔は出ないように工夫するから。ちょっと長期間拘束しちゃうかもだけど、時間あるなら手伝ってほしいな」 「え。ちょ、カヤさんそれおれ聞いてないっす」 「シナはいつだって暇でしょ仕事なんだし勿論手伝ってもらうよ。いいでしょ。トキがOKしてくれたらさ、撮影合間に口説けるでしょ」  カヤさんの口から飛び出た不穏な単語に、びくりとトキチカさんがこちらを窺ってきた。  いや違うそういうんじゃない、と手を振るが、どうにもちょっと身体を引かれた気がした。 「写真、写真の話です。おれ、カヤさんの写真っていうか、トキチカさんの映った写真のファンで。だから、おれも、撮ってみたいなって若干思わなくもないというかそのー……」 「別に私はキミ達が恋愛的な意味で付き合っても面白いからイイと思うけどね。シナ、今フリーでしょ? 好みのタイプは黒髪で釣り目の年上美人でしょ?」 「……カヤさん酔ってます?」 「全然。なんか、会わせるまではトキがシナに傾いたら危ないかなーと思ってたんだけど、並んでるの見たら有りかなーって思って来たんだよね」 「勝手にくっ付けないでくださいよ。別におれ、ゲイに偏見ないしトキチカさん美人だと思うけど、」 「ほら、よかったねトキ、美人だって!」  急に話を振られたトキチカさんは、おれがびっくりするくらい慌てて赤い顔を隠してカウンターに突っ伏してしまった。  本当に大丈夫か。チョロすぎでしょアナタ、って、心の中だけで盛大につっこむ。こんな状態で、今までどうやって生きてきたんだろう。おれですら心配になるのに、頼られるタマコさんの心労はいかほどかと、余計な心配までしてしまう。 「いやだって事実美人でしょ」  発言を撤回するのもどうかと思い、仕方なく言い連ねる。赤い耳を覗かせた頭がもぞりと動き、隙間からそっと恨めしいような視線と茹だった声が漏れた。 「……あんま、言われない、デス」  くそ。美人な上にかわいいとか反則だ。 「え、うそ。美人じゃないっすか。ていうか、魅力的っていうか、なんか、オーラあるっていうか。かわいい? じゃなくて、あー……美人、だと、思、ちょっと誰か収拾してくださいよなんだこれ!」 「いいじゃない、事実だし。トキはもうちょっと他人からの評価受け止めて自信もった方がいいよ。だからほらシナ、どんどん褒めなさい。トキはどんどん照れなさい。あんたのこと恋愛対象でもなんでもないノンケ青年から見たってアンタは魅力的な男なんだから、アホ男との失恋に泣く必要なんかない。飯食ってポカリ飲んで寝て人生再開したらいいよ」  いつもの調子の声なのに、カヤさんがトキチカさんの頭を撫でる様は優しくて、結局この人もトキチカさん好きなんだろうなとわかった。  タマコさんもにこにこ見守っていて、テンパっているのはトキチカさんとおれだけだ。なんだこれ。地味に人身御供にされた感が半端ない。  でもカヤさんはちょっと面倒な人間を好きになる傾向が強い。それはおれが可愛がられていることからもわかるし、いつも恋をするのは面倒な女ばかりだったような気がする。  タマコさんもきっと一筋縄ではいかない。きっとトキチカさんも、こんな風にチョロくてかわいい男に見えて、ひと癖ふた癖ある人間なのだろうと思った。  美人だと思うし、なかなか、面白いオーラの人だとは思う。  けれど、まだ、写真にしたいかどうかわからない。赤の中にぶち込めば、それも変わるのかもしれないけれど、どうだろう。あの原色の衝動は、この人のどこに隠れているのだろう。それとも、ただ、カヤさんの腕が良いだけだろうか。  そんな事を考えながらぼんやりトキチカさんを見ていたら、見られていることに気がついた彼は、今度は顔を覆わずに倉科クンってさ、と頬杖をついた。  どうやらおれの呼び名はクラシナクンに決定したらしい。確かに普段シナとばかり呼ばれる生活をしているから、フルで呼ばれるとそわそわする。 「なんですか」 「……倉科クンってちょっと、タラシっぽい。全然そんな風に見えないのに、コワイデス」 「え、うん、あー……いやあんま言われないっすけど、そういやカヤさんにはタラシってよく言われる、かもしれないっすわ。そんなに信用ない感じに見えます?」 「ていうか世界人類どうでもよさそうな顔で気持ち良い言葉いきなりかけられると、びっくりして勘違いしそうになっちゃうっていう感じなのでよろしくないなーって思いました。あ、でもオレ、暫く恋愛とか字も見たくない感じなので警戒しないでもらえるとウレシイ感じです。雨の日に振られて死にそうになってた超絶駄目なゲイなのは事実だけどーねー」  ちょっと自虐的に笑う顔が板についてて、あー、なるほどなーと、ほんの少し納得した。  カヤさんが心配するのもわかる気がした。多分この人、自分の事、あんまり好きじゃないんだろうな。気分が乗っちゃえば、えいやってビルの上から飛び降りれちゃう人なんだろう。 でも、この前助けたことは一応感謝されているらしい。  あの時死んでおけば良かったとか、そういうの言われなかっただけでもまあマシか。流石にそこまで病んでいるとかアホとかでもない、というのは大事なことだ。メンヘラと、メンヘラ風の線引きは大切だ。  今のところは、興味半分、残りの半分は惰性だけれど。カヤさんの思惑通りにどっちかがどっちかに惚れることだってあるのかなーと想像してみて、どっちにしても面倒くさいなという結論に至った。  人生割と面倒だよなって息を吐きながら生きてるおれが、精神弱者のゲイに惚れるのも。その逆も。ひどく滑稽だし報われる気がしない。最悪片方死にそうだ。まじで。  せーので一気に両想いになれたらまだマシかもしれないけれど、そんな奇跡はめったにないだろう。  まあせめて惚れない様に努めよう。人生何があるかわからない。女子のCカップが好きなおれでも、黒猫じみたゲイ男にキスしたくて死ぬって思い悩む様になってしまう可能性も、ゼロではない。  ただ、この人がこっちを見た時の目線の色っぽさは好きだなーと思ってしまった。  釣り目気味の奇麗な黒い瞳がこちらをとらえると、少しだけどきりとする。  前だけ見てたらいいのに。そしたらおれは、無駄に動揺することもなくいつも通りなんでもない顔で煙を吐けるから。  こっち向くな、と、奇麗で自虐的な横顔に向かって、そんな身勝手な事を念じた。

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