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第5話
カヤちゃんはいつも甘いミントの匂いがする。
「おはよ、トキ。相変わらず朝弱そうだね。ちゃんと飯食べた?」
いつもの少しだけ表情のない顔で、さらりと挨拶をするカヤちゃんはイケメンだ。多分、ビアンの子じゃなくてもときめくだろうし、なんだったら男子もきゅんとしちゃうようなかっこよさがある、気がする。
午前中のちょっと冷たい空気にぼやぼやと脳みそを揺さぶられつつ、どうにか待ち合わせ場所に着いたオレは、重そうな荷物にまみれたカヤちゃんと合流した。
朝一番で目が開かなすぎて今日はコンタクトじゃなくて黒ブチ眼鏡だし、ついでに適当なパーカーで、髪の毛もセットしてない。そんな元気ない。
まず朝飯の心配をされるのもどうかと思うけど、そういえば食ってない、ような気がする。いやヨーグルトだかポカリだかは流し込んだ、かもしれない。覚えてない。
ここんところ毎日が希薄で大変よろしくない塩梅だ。
「オハヨーゴザマス……カヤちゃんは相変わらずいつなんどきでもフラットよねレンアイ以外ではね……」
「毎日がジェットコースターのトキに比べたら大概の人間がメリーゴーランドレベルだよ。ディルズミントとカロリーメイトならあるけど、他に欲しいもんがあるなら後でシナに持ってこさせるよ。あいつ今日は基本運転雑用係だから」
「あー。倉科クン来るのねやっぱり」
「来ますよ、今スタジオ寄って機材積んでるとこですよ。来るのなんて言う割に、一番最初に目で探したじゃない」
「……カヤちゃん目ざといから嫌ー」
確かにまず最初に『あれ、ピンクいのいない』と思ってしまったことは事実だったけれど、そう言われると反論したくなる。
別にオレは倉科クンに懸想とかしてないしタイプじゃないし、でもほら一応友人でもないわけだしお仕事するわけだし挨拶とかちゃんとしないとカンジ悪いでしょ? ね? と思ってどこにいるのかなって思って探しただけであって、他意はない。まったく。これっぽっちもない。と、言い訳しまくっている内心はきっとカヤちゃんにはばればれだろう。
「シナのこと、気になる?」
「あー、うん、そうねマジレスするとフリーなお身分としてはレンアイ対象になり得なくもない男子が近場に居るとそら、うっかりちらっちらしちゃうけど。でもまあ、ないない。好みじゃないもん。なんか、怖そうだし倉科クン。一人好きそうだし」
「一人が好きなのはそうだろうなって思うけど、別にシナ、怖くないと思うけどね。まあいいや、無理にくっつけようとかそういう面倒なこと一切考えてないから、トキも適当にシナと仲良くね」
カヤちゃんは本当に適当にそんな事を言うけど、個人的にはレンアイはしばらくノーセンキューだ。
そもそも、まだ前の男が頭から抜け出て行ってくれてない。勝手にオレを振った男。束縛ばかりでオレから仕事も金も奪って行った男。それでも甘い言葉は気持ち良くて、キスの相性もセックスの相性も申し分なかった。
オレは恋すると世界の軸が完全に傾いちゃうタイプだ。
だから、多少人間として屑でも、鬼畜でも、アホでも、馬鹿でも、愛してくれるならもうなんでもいいって思っちゃう。好きならそれで世界はハッピーだ。どろどろ、ずぶずぶハマって結局何が残ったのって死にぞこないのゲイだけなんだけど、それでも、好きだった時間は気持ち良かったから自業自得だとは思う。
いっそ心中でもしとけばよかったのかもしれない。
勿論同意なんか得られないだろうから、所謂無理心中っていうあはは結構笑えないアレになっちゃうけどさ。でもこんな風に毎日惰性で生きてますみたいな気分になるんだったら、見栄張らないで大人しく刺し違えてきたら良かったかなって。思わなくもなくて、そんな事を考えていたのは多分カヤちゃんにはバレていて、携帯灰皿に煙草押し付けたカヤちゃんは呆れた顔で『サンドイッチ買ってきて貰うからとりあえず飯食え』って言った。
オレが死にそうな顔をしていると、カヤちゃんはいつも栄養摂らせて睡眠取らせようとする。
でもまあ、何言われたってどうせ人生屑ですものって言い訳しちゃうオレに効く言葉なんて無かったから、物理的な栄養と休養補給は一番手っ取り早い慰めだった。
食えば多少は生きてるって気がする。
寝て起きれば多少は生きれるって気がする。
人間なんてそんなもんだけど、でもまだ、オレはもうちょい涙にまみれてぐずぐずしたい。
「トキって毎回面倒くさいのにハマるけど、でもさ、多分一番面倒くさいのってトキ自身だよね。私、絶対に嫌だな、トキなんて。だから友達できるんだけどさ」
なんて、あきれ顔で酷いことばっかりびしばし言っちゃうカヤちゃんが嫌いじゃないから、まったくその通りねって笑っておいた。
「カヤちゃんどっちにしてもオンナノコじゃないと抱いてくれないっしょー。やだよーオレカヤちゃん抱けないしどっちかっていうとっていうか確実に抱かれたい派ですもの」
「誰がセックスの話したって言いたいところだけどまあそれも、確かにそうか。うん。私とトキがさ、面倒くさくなって付き合い始めたらさ、世界も終わりだよ。ていうか多分勝手に終わる。一緒に面倒になってじゃあ死のうかって入水自殺で皆さんサヨウナラの確率が高すぎてタマちゃんに叱られちゃうね」
「あっははわっかるー。共依存ってこっわー」
想像してうわぁリアルって自嘲してたら、後ろからすこし控えめな声がかかった。
「…………ちょっと、朝からなんて話してんすか」
あ、倉科クンだって思って、ひょいと振り向いたらなんていうか微妙に呆れたようなげっそりしたような顔と目があって、そのままひょっこり頭を下げたら向こうも下げてくれた。ただ、顔は呆れたままだ。
今日の倉科クンはモスグリーンのジャケットに臙脂色のカラースキニージーンズだった。細いからスキニーが奇麗に似合う。ちょっとごついブーツもかっこいい。それなのにやっぱり髪の毛は派手なシュシュで括っていて、かわいいんだかかっこいいんだかよくわからなくなる。
「何もどうもないよ、トキと私の相性のお話。シナ、機材全部チェックしてきた? ちょっと早くない?」
「所長が気まぐれで手伝ってくれたんで猫の手レベルのスピードアップが出来たんですよ。チェックも二回しましたおっけーです。……死ぬ死なないの前にもちょっと朝からどうなのって話してたっしょ」
「やだ立ち聞き。えっちだねシナったら」
「エロいことは否定しませんが公道のど真ん中でえぐい話してるゲイコンビに比べたらおれは至って平凡っすわ。もー遠目から見たらそこそこ美人とイケメンのカップルなんすから、ちょっと、発言気を付けてくださいよ……」
まったくもうとため息をつきながら、倉科クンは駐車場に案内してくれた。
ここからは車で移動するらしく、モロ機材車って感じのワゴンの助手席に座らされる。カヤちゃんが助手席だと思っていたのに、機材支えるからとさっさと後部座席に乗ってしまった。
男の運転する車の助手席なんて、何年ぶりかなとか思っちゃうから、よろしくない。
雨の日にオレの事をこっぴどく振った例の男は、免許すら持っていなかった。まあ、オレも無いけど。
「これ、どこ行くの?」
そういえば集合場所しか聞いていなかったことを思い出し、後ろのカヤちゃんに問いかけると煙草の煙と一緒にだるい声が返ってくる。
「んー。山の中、の、廃墟? みたいなとこ。ちゃんと許可取ってるし、別に曰くつきとかじゃないから、ただの奇麗なコンクリの建物だよ。ちょっと静かな写真撮りたくてさ。静かっていうか、あー……孤立した世界っていうか。下界の遮断?」
「なんとなく言いたいことはわからなくもないけど、山の中の廃墟に向かうってことしか明確に伝わって来ない」
「他に情報もないよ。人がいない。コンビニもない。あ、シナ途中でコンビニ寄って。トキにサンドイッチ買ってあげなきゃいけないし、多分夕方までかかるからお昼も買っとこう」
「うぃっす。つかトキチカさん朝飯食ってないの?」
ときちかさん、と呼ばれてうっかりどきりとして、あーそういえばこのピンクのおにーちゃんオレの事そんな風に呼ぶって言ってたっけ、と、虚ろに思い出してどきどきする心臓を抑えた。
名前を呼ばれるのって、よくない。心臓を掴まれるみたいな気分になる。普段馬鹿のひとつ覚えみたいにトキトキ連呼されるから、尚更だ。
「食ってない、っていうか、忘れてたっていうか、なんていうかー。あ、でももしかしたら昨日の夕飯も食ってない? え、どうだろう」
「ちょ、それは覚えておきましょうよ大丈夫っすかまじで。細いんだから食わないと倒れるでしょ。カロリーメイトならありますけど」
「……それ、カメラマンの一押しアイテムなの?」
なんかさっきも同じような事を聞いた気がする。
ちょっと、そんなくだらないことが面白くて笑ってしまって、そしたら健全に腹が減ったかもっていう気分になった。
ここんとこ、食べなきゃ寝なきゃって思わないとそれが実行できない有様だった。
第一に腹が空かない。栄養足りてないなっていう感覚はある。じりじり、動くのが億劫になって行く感覚は不気味でそんでメンヘラちゃん的に言わせてもらえば『あー生きてるー』って実感が出来る。
恋が終わってそのまま餓死、っていうのも、別に悪くはないと思うが如何せん惨めだ。そんなことが許されるのは大手歌手の歌詞の中か文学の主人公だけだろう。オレがのたれ死んだところで、タマコさんとカヤちゃんが泣くだけだ。
そう思う度にどうにかそこらへんにあるものを食べて、ひたすら羊を数えて目をつぶる生活だった。
一匹、二匹、数えるごとに思い描く羊に自信が持てなくなってゲシュタルト崩壊してくる。
五十匹くらいで面倒になって、ふと我に返って、冷たい布団に泣きそうになって、羊なんかどうでもいいからだれか愛してくれないかなって他力本願全開で神様にお願いしてまた胃が痛くなる、日々をくり返した。
バイトはコンビニが決まりそうだけど、どれだけ稼げるのかは未知だ。
カヤちゃんの撮影バイトで、出来るだけ溜めこんでおかないと結構リアルにのたれ死ぬかもしれない危機にある。
失恋の涙で溶けるように餓死するのと、金が無くて死ぬのとは、どっちが惨めなんだろうなぁと思いながら、今日は黄緑のカットソーをすらっと着こなしている倉科クンをぼんやり眺めた。
窓を開けて運転しているから、ざっくりまとめられたピンクの髪の毛がふよふよと風に揺れる。派手な色のシュシュが、ちょっとかわいい。
「トキチカさん、サンドイッチ何が好き?」
唐突に訊かれ、見ているのがばれたかと思って慌てたけれど、倉科クンは前を見たまま愛想もなく、いつも通りの若干かったるそうな声を出す。
左手に挟んだままの煙草がカッコよくてイラっとする。
「ハムレタス派デス。でも最近はポテトサラダも中々やりよると思ってきている」
「あ、わかりますわかります。あれ、微妙になんていうか甘しょっぱくて、うまいっすよね。あとチキンカツとか」
「カツ系はずるいじゃん。あんなのうまいに決まってるので邪道」
「生クリームとフルーツも邪道?」
「あれはいっそ狂気を感じる。オーエルにでも食われてろって思うヤツ」
「右に同じく。じゃあ、ハムレタスかポテサラね」
把握しました、と呟いて、車はすっとコンビニの駐車場に入り、倉科クンは颯爽と降りて行ってしまう。
あ、いいの? 一緒に行かなくていいの? ってあわあわしてたら、後ろでカヤちゃんが笑った。
「ね、ほら。シナ別に、怖くないでしょ」
まあ、確かに怖くは無いけどさ。
でもなんていうか、……いや、やっぱ怖い。
優しい男は怖い。だって惚れちゃいそうだもん。ほいほい好きになって、ほいほい人生捧げちゃいそうだもん。だから怖い。倉科クンなんてめちゃくちゃ怖い。
怖いから嫌いだと言いたいけれど言いきれなくてもだっとしていたのもバレていて、本当に、これだからカヤちゃんは嫌だって思った。
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