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1話

 きっとその出会いは、神様が惹き合わせた『運命』だったのだろう。  これは、ケーキに恋したフォークと、フォークに恋したケーキの物語。 *****  暗い空に柔らかな光を照らす満月が浮かぶ夜。とあるマンションの一室。大きなパソコン画面と睨めっこしながら、キーボードをカタカタと打ちこんでいく。作業に目途が着き、御剣(みつるぎ)セイトは身体を伸ばすと、そっと溜息を吐いた。疲労した頭を休めようとして、ふと、冷蔵庫の中身を思い出す。偶々訪れたコンビニで目に入ったのは、とても美味しそうに紅く熟した苺のケーキだった。糖分摂取には丁度良いと考え、セイトは立ち上がると台所まで歩いて行く。冷蔵庫を開けると、目当ての苺のケーキを手に取り、真っ白な皿を取り出すと、その上に盛りつける。飼い猫である黒猫のミケが「にゃあ」とセイトの足元に無邪気にじゃれつきながら着いてくるのを、微笑ましく見つめながら優しい手つきでミケを撫でる。いろいろな手段と方法を使った結果、膨大な金が手に入り、今では金に困る事は無い。生活もとても安定している。  セイトの幼い頃はとても貧しかった。そのせいか、ケーキといった類のデザートに縁が無かったし、一度も食べたことが無かった。ふと、出来ることならば、美味しくて甘いデザートを母にもっと食べさせてあげたかったと考えて、セイトは一人自嘲した。今更、何を感傷に浸っているのかと思った。  幼い頃、セイトに対して唯一優しく接してくれた母は、既にこの世を去ってしまった。セイトに金が無かったからだ。金が無いせいで母を救えなかった、辛い想いをさせてしまった。だからこそ、金に執着した。そして、莫大な金を稼ぎ出す方法を見つけた。今の自分の姿を、母が見たら悲しむだろうと言う思いを、セイトは心の奥に蓋をした。 (金さえあれば、何でも出来る)  お菓子であるケーキは、ケーキ屋に行かないと購入できないものだと思っていたが、今では、手軽にコンビニでもケーキは買える。便利な世の中になったと思考しながら、セイトは柔らかなソファーに座る。瑞々しく宝石の様に紅く熟した苺を、そっと銀色に光るフォークで突き刺すと、口元に運んだ。芳醇な甘い香りが漂い、甘酸っぱい味が口の中に広がるはずだった。しかし、その期待は裏切られることになった。 (味が、無い……?)  舌で転がした時に、セイトは違和感を覚えた。そして、苺のケーキの薄紅色の苺のクリームに銀色のフォークにのせて、口の中に運ぶ。けれど、甘酸っぱい匂いがする苺のクリームにも、全く味を感じなかったのだった。  どうして、味がしないのだろうかと考えたセイトは、ある話題がネット上で上がっていたのを思い出した。急いでパソコン画面に向かい、検索欄にキーワードを入力してエンターキーを押す。そして、目当てのページに辿りついてしまった。  現在、世界中には【ケーキ】と【フォーク】と呼ばれる人間がいることを知り、その【フォーク】にセイトが該当してしまうことに嫌でも気付いてしまったのだった。  【ケーキ】とは、先天的に生まれる【美味しい】人間の事である。【フォーク】と呼ばれる人間にとって【ケーキ】の人間は極上のデザートの様に甘露な存在で、彼らの血肉や、涙、唾液、皮膚などが全て対象になる。何故【美味しい】のかは、科学的に証明はされていないし、自分が【ケーキ】であるとは知らずに生きる人が大半である。  【フォーク】とは、【ケーキ】の人間を【美味しい】と感じてしまう人間のことである。後天性に味覚を失っていて、その理由はさまざまであるが科学的に解明されていない。事故によって味覚を失う人もいれば、今まで味覚があったにも関わらず、ある日突然、味覚を失う人もいる。【フォーク】は【ケーキ】の人間と出会ってしまった時に、本能的に【食べたい】という欲求を覚えてしまう。それ故に、【フォーク】の人間は社会的に『予備殺人者』として忌避される傾向にあった。  セイトはネットの記事を目で追いながらも、「ああ、自分には甘いものを食べる資格が無いのか」と呟いては、心の中で自嘲した。  その日から、御剣セイトの味覚は全て失われてしまったのだった。 *****  味覚を失ってからの生活は、特に変わる事は無かった。食事に色を失い味気が無くなったぐらいで、普段通り生活できた。セイトがフォークであることがバレないように、振る舞うことも簡単に出来た。いつも通り変わらない日常を、このままずっと送るのだろうと思いながら、ぼんやりと雑踏の街中を歩いていた時だった。ふと、ある人物の横を通り過ぎた時に、苺の様に甘い匂いがした。 (甘い、匂いがする……?)  目を見開いて咄嗟に、セイトは振り向いた。その人物は特に気付くこともせずに、ごく普通に歩いて行ってしまった。セイトは気付かれないように、そっと、何かに惹かれるようにその人物について、帰宅するとすぐにネットの情報を使い、個人情報を調べ上げた。  その人物の名前は「駒村(こまむら)ヨシキ」という男だった。第一印象としては、幼い顔立ちの童顔で、内気そうで大人しそうな青年だ。セイトよりも年齢が1個下という事実にも驚きを隠せなかった。駒村ヨシキは現在、マンションで一人暮らしをしている事も知った。セイトは、駒村ヨシキという青年が【ケーキ】であると確信していた。そして、【フォーク】であるセイトは、【ケーキ】であるヨシキを、本能的に【食べたい】という欲求に駆られていることに気付いてしまった。セイトは、ケーキの人間とすれ違うだけで、こんなにも「欲しい」という欲求が働いてしまうものなのかと、思わず舌打ちをした。  けれど、すれ違ってしまった以上、出会ってしまった以上、知ってしまった以上、セイトはヨシキの事を見逃すつもりはない。セイトの頭の中では、ヨシキをどのような方法で「監禁」しようかという思考に働いていた。決して、殺すつもりはない。殺してしまっては、もう二度と自分好みの【ケーキ】の人間に出会えない様な気がしたからだ。そんな勿体ない事はしたくない。じっくり、ゆっくり、他の【フォーク】の人間にバレないように、【ケーキ】を独り占めして、味わって満たされたい。頭をフル回転させながら、セイトは念入りに『駒村ヨシキ監禁計画』を立てたのだった。 *****  数か月の時が経ち、計画実行日。その日は、月の無い新月の夜で薄暗かった。コンビニから出てきたヨシキは、自宅へと帰える途中だった。セイトはバレないようにヨシキの後を着けて背後に回る。そして、一瞬の隙をついてヨシキの鼻と口に薬を染み込ませたハンカチを、押し付けて無理やりに吸わせて襲った。 「んーっ!!」  突然、背後から襲われたヨシキは抵抗しようと暴れていたが、セイトの力の前では赤子の手をひねるくらい簡単だった。ヨシキという人間は力に自信が無いのか、抵抗されても簡単に抑え付けられた。しばらくしてから、ヨシキは力が抜けていったのか、だらんと手足を垂らさせて深い眠りに着いた。そっと、セイトはケーキの人間であるヨシキの顔を見る。幼い顔立ちで、とても美味しそうな甘い匂いを漂わせていて、その白い首筋に衝動的に歯を立てて、血を吸って、噛み付いてしまいたいのをぐっと堪えた。そして、持参した大きい黒色のスーツケースの中に、ヨシキの身体を傷付けない様に押し込めた。  そして、誰にも気付かれない様に、御剣セイトは駒村ヨシキを拉致したのだった。

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