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おしぼのさま 12

   十二章 坂木春日  酷く寒かった。  頭が痛くて、頬も痛い。全身が冷えて痛い。指先が刺すように痛むのは寒さのせいだろうけれど、頭が痛いのはなんでだっけか、と考えてようやく意識を失っていた事に気がついた。  朝から具合が良くなかった。妙な熱が出ていた。体調不良の身体のまま、それでも一人になりたくなくてくろゆりさんに付いて回った。バス停で暫くデータの受信をしていたくろゆりさんは、祈祷所に向かった。祠のようなその暗い洞窟に入って、突然頭に衝撃を感じた。  ああ、俺、殴られたんだ。  そんな風にぼんやり思うのは、人生で一度も頭を殴られた事がないからだ。普通に生きていれば、頭を殴られることなんて早々ないだろう。事故とか、殴られる危険が伴うスポーツをしていたとかならまだしも。俺は、ただの職業オカマの二十五歳だ。  オカマは他人の人生に口出して精神ぶん殴って行くし時には同じように全力で殴られるけど、実際に肉体を殴られたりはしない。暴力的な客は、腕っ節の強い姐さん達が外に放り出してしまう。  人間は頭を殴られると痛いと思うよりも先に気絶してしまうのか。もしかしたらそのまま、お陀仏になっていたかもしれない。痛いとか寒いとか思いながら目が開いてきたから、俺は多分生きていた。 「……――ツクメ……どちらを、イキジに…………」  耳がぐわんぐわんする。誰かがしゃべっているのはわかる。でも、それが誰なのかわからないし、ここが何処なのかわからない。  辺りは暗かった。真っ暗というわけではない。でも、目をこらさないと周りに何があるのかも怪しい。  物置の様な場所だった。まず目に入ったのは、紙の束だ。ぼろぼろになった古い紙の束が、無造作に詰まれている。元は本だったのかもしれないが、すっかり風化して背表紙なんてない。  奥に棚の様なものが見える。そこには木箱や紙や陶器のようなものが、乱雑に積まれている。……物置だろうか。それにしては、横たわった床が冷たい。まるで土か石のようだ。 「死んではいないだろうね」 「だから、あれほど投薬にしろと――」 「死んでは元も子もない……」 「大丈夫だ、ほら、生きているじゃないか」  その言葉が、どうやら俺に向けられたものだと気がついたのは、視線を感じたからだった。 「………っ、……ぅ………ぁー………ってぇ……………」  ようやく、頭が現状を理解し始めた。そうすると、痛みも次第に激しくなる。後頭部はずきずきと痛むし、倒れた時に打ったのか膝も痛い。熱も相変わらずらしく、起き上がろうとしたら眩暈がしてぐらりと身体が傾いた。  背中で腕をひとまとめに拘束されていた。足も、縄のようなもので縛られている。これじゃ、起き上がれないのも仕方がない。  それでもなんとか冷たい床から逃れようと、身体を横向きにした。その時、ぐるぐるに縄を巻かれたくろゆりさんと目があった。  何かを言いかけて口を開いたくろゆりさんは、そのまま、声を出さずに言葉を飲んだ。  わかる。わかるよ。俺もなんて言っていいかわかんなくて、言葉が出なかった。  良かった、が一番近い。生きてて良かった。でも、多分この状況は確実に良くは無い。無事で良かった。でも、お互いなんか知らないけれど拘束されてんじゃん何これ全然良くねーよ。  映画かよって笑えないのは、わりと本気で死にそうだと思ったからだ。男二人拘束するために、頭を殴るような奴らにつかまった。それは、相当イカれた状態だ。  俺と違い、くろゆりさんは座った状態で壁際の何かに括りつけられているようだった。箪笥か、それとも棚か。とにかく、動けないであろうことは見てわかる。 「……蔵か……?」  天井を見上げて、ようやくそれが普通の家の作りではないことに気が付き、蔵か何かではないかという事に気がついた。  俺の呟きを聞き声を上げたのは、知らないオッサンだった。蔵の中には、五人のオッサンがいた。オッサンというか、もう爺さんと言っていいだろう。 「よし、生きていたね。死なれては困るからね。それでは予定通り、ツクメ祈願を始めよう」 「作芽祈願……? あんた、何言ってんの。それ、春にやるお祭りだろ?」  思わず横たわったまま突っ込むと、爺さん連中は汚らわしいものでも見るような眼で見下ろしてきた。 「村の作芽祈願は、春にやるものだが、本来のツクメ祈願は立春、つまり節分にやるものだ。ここ数十年は、ツクメ祈願をやったという記録はない。だが、何度も調べた。やり方に間違いはない」 「本来の、つくめきがん……」 「憑女をつくる、呪術ですね」  くろゆりさんの声だった。  爺さんたちは、急に意識を俺から縛られているくろゆりさんに向ける。 「現在は言葉が転じて豊作の祭りとなっていますが、本来の字は憑く女で憑女祈願と書くのでしょうね」 「……どこで調べたんだい。この蔵の文献は、おまえが来る前に全て持ち出した筈だ。他に書物があるような家は無い筈――」 「情報の伝手がありましてね。まさか、繋がるとは思っていなかったので、全てに目を通してはいないのですが……縁とは恐ろしいものです。憑女と、生餌が、葦切家の呪いだった」 「過去の話ではない。未だに、この家は憑女に呪われている。アレは、非常に強力だ。もう誰も押さえることができない。鴻偲は術式を放棄した」 「アレ、とは、おしぼのさまの事ですか」 「アレは強すぎる。作り方が悪かったのだ。目の前で殺すのは流石に、呪いが強くなりすぎる。この家に封じる事にする。今まで野放しにしてきたのが間違いだった」 「そして、代わりに新しい憑女をつくる、という算段ですか? 春日くんも僕も、生憎女性ではないですが」 「本来は女を使う。だが、女の執念は強すぎる。失敗したら、また、稀人を待てばいい。今回は丁度よかった。運命だと言ってもいい……稀人は男二人だと聞いたからね、期待はしていなかったんだ。だがおぞましい事に君達は恋仲だ。とても運がいい。これで、憑女祈願が行える。人を買っても、中々、人間の感情はうまく操作できない――お互いに慕っていなければ駄目だからね。難儀な儀式だよ」  恋仲じゃない、なんてつっこみを入れられる雰囲気ではなかった。俺の頭は、面倒くさい言葉が羅列された話を理解するだけで精いっぱいだ。正直理解できていないかもしれない。  わかったのは、なんとなく俺とくろゆりさんの命の行く末がヤバいような気がする、というふんわりした雰囲気だけだった。 「これより、憑女祈願を行う」  見るからにボスっぽい爺さんが宣言すると、俺を立たせるように指示した。頭がぐわんぐわんするし、寒いし、痛い。それでも爺さん達に足の縄を解かれ無理矢理立たせられ、どうにか自立した。  抵抗する体力も気力もない。相手は爺さんとはいえ、五人も居る。その上一人は鎌のようなものを手にしていた。俺一人が暴れてここから逃れられたとしても、残ったくろゆりさんはどうすんのって話だ。  俺はここに来るまでの道のりを知らない。地理も良く分かって無い。運よくバスが通っている時間だとして、そのバスが何処に向かっているのか、何時間ゆられれば人のいる街に繋がるのかも、わからない。現代人の頼みの綱である携帯端末は軒並み圏外だ。  退路は奇麗に断たれている。それじゃあもう、大人しく話を聞いて順応にして、どうにか逃げる機会を窺うしかない。 「お前さんには、これから山上の祈祷所にて儀式をこなしてもらう。儀式が成功したら、この男の命は助けてやろう。ただし、お前さんが途中で逃げ出した場合、この男は婁川に沈む事になる」 「……そんな、さくっと人間殺していいもんなの? 今、平成で西暦二千年代よ?」 「文明など都会の習慣だよ。この村には、この村の習慣がある。雪に埋もれ、一歩間違えば遭難し、崖から落ち、命を無くす生活を続けてきた。命など、いつ無くなってもおかしくは無いものだ。それならば、有効に活用した方が良い」 「それは自分の命に対して言ってよマジで……なんで俺とくろゆりさんの命が関係ないこの村に有効活用されなきゃなんねーんだよ……」  俺のぼやきは、奇麗にスルーされてしまった。まあ、どうせ人の意見なんか聞く気はないんだろう。新興宗教団体みたいなもんだ。思い込みや思想は、わりかし強く人間を縛る。  どうやら俺は今から、このガッチガチにおかしな方向に思考回路固まったやべえ爺さん集団に連行され、儀式とやらをこなさなければならないらしい。そうしないと、くろゆりさんが死ぬらしい。  なんだそれ映画かよ。漫画かよ。笑えてくる。笑う余裕なんて本当は一切無い筈なのに思わずふははと声が出た。  俺はただの若干運がないだけの若造で、くろゆりさんと違って専門家じゃないし、幽霊とか呪いとか、そんなものも巻き込まれて仕方なくお付き合いしているだけなのに。  命がどうとか馬鹿じゃないの。死ぬとか殺すとか馬鹿じゃないの。  笑いの後に涙がこぼれそうになったが、それより先に怒りが来た。全力で俺の人生巻き込んできやがったくろゆりさんの事はもう正直どうでもいい。ついてきた俺が悪い。ていうかくろゆりさんが一人で杷羽見村に来て、勝手に儀式とかに巻き込まれて死にやがったらそれこそ最悪だ。  一人にするくらいなら一緒に巻き込まれた方がマシだ。  怒りは純粋に理不尽さに対するものだった。  全然関係ないだろ俺。全く関係ないだろくろゆりさん。儀式だか祈願だか知らないけど、別に俺達は村に災いを呼びこんだわけじゃない。ただ、葦切家に依頼をうけてその周辺を調査してただけだ。もっと穏便に追い返してくれたらそれでいいじゃんか。なんで死ぬか生きるか殺すかみたいなとんでもない話に巻き込まれなきゃなんねーんだ。  死んでたまるか。殺されてたまるか。 「……しかしべっぴんな男だね。こっちの方が、良かったんじゃないのか」 「だめだ。そいつは霊能者だという話だ。葦切はそういう体で招いている。本物かどうかは知らんが、下手な知識がある奴を連れて行くわけにはいかない」  震えるような寒さと怒りの中、鎌をもった男がくろゆりさんの頭を掴んだ。その時俺の中の何かがぷつりと切れた。 「――触んな。そいつ、俺のだ」  腹から出た低い声に、俺の隣に立っていた爺さんがびくりと肩を揺らした気配がした。くろゆりさんも、目を開いて俺を見ていた。うすぼんやりとした月明かりの中、白い顔が見える。 「春日くん。言葉は、言霊です。特に僕に関しては、あまり、めったな事は言わない方が、」 「うるっせーよ捕らわれの姫状態でぶつくさ文句言ってんじゃねーよさっさと終わらせて助けに来てやっからそこで神さまに祈ってろ馬鹿!」 「……キミ、動揺するとどうしてキレてしまうんでしょうね」 「なんか言ったか役立たず呪術者」 「何も申しておりません。本来なら、なりふり構わず止めるところですが、残念ながら本当に動けません。キミが居なければ、僕はさっさと舌を噛んでいたことでしょう。大した価値のない命ですが、利用されるだなんてまっぴらだ」 「同じ気持ちだよくっそ。生きて帰ってくるから生きてろ」 「……キミは本当に格好良い」  真っ白だったくろゆりさんの顔に、一瞬、感情が戻ったような気がした。薄暗くてよくわからない。俺達の会話が許されたのはそこまでだった。  両側を爺さんで挟まれた俺は追い立てられるように歩かされ、蔵を出た。  やはり葦切家の蔵だった。  リーダー格だと思われる爺さんが、念入りに蔵に施錠した。蔵の鍵をもっているということは、葦切に関係のある人物なのだろうか。回らない頭をフル回転させて、もしやと思った名前を出してみる。 「……アンタ、儀一って人?」  他に名前を知っている人間がいなかっただけなんだけど。俺の声に、リーダー爺さんこと儀一らしき人物は、大変嫌そうに眉を寄せた。 「思った以上に、村の事を知っているようだね。やはり、あの術者は置いてきて正解だった……」 「いや当てずっぽうだったけど。つか、あんた葦切の血継いでないだろ。なんで儀式続行すんだよ。捨てろよ風習なんて」 「捨てられるものなら捨てている。いいかい、この儀式は呪いだ。しかし、呪いには相応の利益が付いてくる。鴻偲亡き今、その利益を受けるべきなのは、私だ」  典型的マッドな悪役思考らしい。これはもうだめだ話にならん、と判断して俺は黙って歩いた。  葦切家の蔵の裏には、やはり祈祷所に通じるけもの道があったらしい。山を登る道に何度かつまずき、雪に濡れながら歩き、どうにか小さな祠まで舞い戻って来た時には既に息も絶え絶えだった。  ごうごうと、風の音がする。  ぽっかりと空いた洞窟は、まるで何かの口のようだ。 「言われたことだけやりなさい。そうすれば、あの術者は助けてやろう」  お前の命は助けてやろう、とは言わないんだよなぁという事に、実は俺は気が付いていた。

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