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盛り塩の家 08
【八】杜環
お疲れ様です。
先日はどうもありがとうございました。ご連絡もなしに急に事務所に伺ってしまったというのに、快く対応していただいて、本当に感謝しかありません。いただいた御札の効力か、その後僕の家に異変はありません。
くろゆりさんの御助言の通り、発行予定の怪談集から、件の『盛り塩の家』を除外することにしました。
僕の担当編集は最期まで粘っていましたが、とある一件から考えを改めたと聞きました。彼の残業中、編集部の前に盛り塩が置いてあったそうです。
彼自身は霊障を驚く程信じていないので、誰かの悪戯か脅迫と考えているようですが、リスクを冒してまで貫くような信念もないしそこまでのネタでもない、と諦めたとの話を伺いました。確かに政治的な告発でもなければ、どうしても出版したいという強い意志があるような内容でもないですし。とにかく、そういう事になりましたというご報告です。
ご報告がてら、というかこちらの方が本題なのですが、盛り塩の家の体験者である波多野氏についてわかったことを、簡単にお伝えします。こちらの件に関しては僕の担当編集が調査してくださいました。
波多野氏から『盛り塩の家』の怪談を聞いたのは、僕のサイン会イベントの怪談募集企画内のことでした。
このイベントは文庫本の帯に参加申し込みの概要があり、当選者の自宅に参加券として当選ハガキが送られるという仕組みでした。昨今は抽選当選会場案内など全てインターネットを介して行うところも多いようですが、牡丹籠社ではまだアナログな方法が主流だったようです。
通常このようなイベント応募や感想はがきなどに記載された個人情報は、明記された目的以外では使用しない、との注意書きがあります。勿論個人的に使用することはできません。
しかしこの度僕が怪談本を執筆するにあたり、追取材の可能性も鑑みて、事前に任意に連絡先を提示していただいていました。こちらは取材が目的ならば使用することが可能な連絡先です。
早速編集者のHさんは波多野氏の携帯電話番号に電話してみましたが、どうやら携帯は解約されているらしく不通。固定電話も解約されていました。仕方なく記載されている住所(こちらは盛り塩の家から引っ越した後の住所だと思われます)に直に向かったそうですが、チャイムを押しても反応はなく、人の気配はなかったとのことです。
波多野氏の職場に電話で尋ねたところ、数日前に鬱を理由に休職し都内の病院に入院しているということでした。流石に、病院の名前までは教えてもらえなかったそうです。結局波多野氏本人についてはここまでしかわからず、本人に塩のある家の取材を申し込むこともできませんでした。
ただHさんがそれとなく彼の容態や家族の事について電話口の同僚と思われる人物に訊いた際、なんとも不可思議な事を言われたようです。
波多野さんは独身で、身重の妻などいなかったそうです。
今思えば確かに、彼の話には違和感がありました。身重の妻を連れて引っ越し作業をするものか、妊娠中に環境が変わる事を選ぶのか。もしかしたら、最初から本当に『妻』という人物はいなかったのではないか。しかしもう彼に直接取材することは叶いません。
流石に電話口では波多野さんの以前の住所など訊けるはずもなく、実際に彼が鷹乃鴉駅から徒歩圏内にあるという『盛り塩の家』で体験したことは事実なのか、全て創作なのか、結局僕達にはわからないという結論に至りました。
担当のHさんは暇があれば鷹乃鴉駅周辺の住宅街を探索したい、と話していましたが、常に忙しくている彼にそんな暇が果たしてあるのか疑問です。個人的にはもうこの件に関わってほしくないと思います。結局原稿からあの話を抜く事は決定しているのですから。
もしかしたらあの話は、波多野氏の創作だったのではないかと僕は想像しています。もし、深夜二時のチャイムが人為的なもので、波多野氏がどうにか僕の家を特定して行っていたものならば、そちらの方が怪異だと考えるよりもまだまともな気がするのです。多少説明のつかないことには目を瞑るしかありませんが……。
盛り塩のある家などなかった、と考える方が、断然マシだ、と、僕は思います。折角相談に乗っていただいたのに、ご報告できることが少なくて申し訳ありません。これ以上僕が『盛り塩の家』の件に関わる事はありません。もし似たような話に遭遇しても、すぐに踵を返して関わらないように努めようと思います。
くろゆりさんは、縁が繋がる、という話をよくしてくださいますね。僕はあの言葉を、時折思い出しては良縁を繋ぎ、忌まわしい縁はなるべく遠ざけるように、と意識しています。果たして僕が踵を返したくらいで、遠ざける事の出来る縁なのかどうかは、わかりませんが。
以上でご報告を終わります。
本来ならば直に事務所にお邪魔してお話するべきなのですが、実は近々取材で遠出する予定があり、既存の原稿や予定を前倒ししてこなしている関係で、僕自身笑える程に家から出る時間がありません。
もしご迷惑でないならば、落ち着いた頃にお伺いして、ゆっくりとお話したいと思います。
椿さんにも会いたいですし。最近、そう言えばあまり顔を見ていないと、蓼丸さんも仰っていました。これから寒い時期になります。体調等々、どうぞお気をつけてお過ごしください。
何事もなければお返事は結構です。どうぞまた、何かの機会にでもお話できたら嬉しいです。
追伸
インターネットで検索したところ、塩と砕いた米を混ぜてそこに自身の爪を入れて廊下と部屋の四隅に盛る、という降霊術のまがい物のようなものを見つけました。もしかしたら波多野さんは、これを見てヒントを得て、恐怖体験をねつ造したのかもしれません。
余談ではありますが、この検索をしている途中、どこかから線香の匂いが漂ってきたような気がしました。
すべて、僕の気のせいかもしれませんが。
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